第一章 アリシアはお嫁さん
1. 火は良い。全てを焼いて無かったことにしてくれる
「アリシアなら『そっちのケ』なくても九割大丈夫だと思うよ?」
「何もかもが大丈夫ではないのですが頭大丈夫ですかお父様」
ふと私が思い出していたのは、昨晩交わしたお父様との会話です。ちなみに今は生誕祭の開会式。離宮のパーティ会場、大ホールに集まった諸家有力貴族へ向けて、開会の挨拶を一切の思考なく完璧にキメておりました。盛大な拍手へ静かに礼を返します。
すなわち現実逃避でしたとも、ええ。
回想の中で、濃い赤髪、顎と口元に髭を蓄えた偉丈夫は、圧マジ込めした私の視線にもまるで怯むことなく「ハッハッハ!」と愉快に膝を叩き親指を立てて片目をつむり、
「――仮に一割のガチノンケ引いたとしても、アリシアならオトせるって!」
「対症療法ではなく原因療法の話をしているのですが」
つまりコイツは完全に諦めているのだと理解しました。王族として問題が問題にならぬよう努めろと、顔で笑っていても全く笑っていない濁り切った瞳が物語っております。アレは発狂寸前の目です。よく見れば髭の端に乾いた吐瀉物の欠片がこびりついていたのでお夕飯も全て吐き散らかした後だったのでしょう。胃も心も死に尽くした人間を責めて何になりましょうか。気晴らしにもならないので私もさっさと諦めた次第です。
果たしてみせましょう。
夜の戦もまた、王たる使命と言うならば。
……あっダメ吐きそう。意識を現実に引き戻せば食事会の真っ只中、つまんだお菓子が早速胃液と共に込み上げてきたのを軽く口元に指先を置いて誤魔化しました。あくまでお上品に、咀嚼を隠すフリをして貴族たちとの会話に笑顔で相槌を打ちます。
今からでもしかるべき寝技を修めるべきでしょうか。その場合はどちらを想定すれば。為せば成るものなのですか。などと逃避気味の思考に陥りながらふと視界の端、目線は向けずに意識だけを向ければ、カリンが心配そうな表情で飲み物を運んできてくれていました。
度数九十越えの火酒でした。
飲んで酔って忘れろと言うことでしょうか。
あるいは、全て燃やして無かったことにしろと言うことでしょうか。
もし私がここで暴れて火を点けて周っても、あなたならきっとついてきてくれると信じていますよカリン。そう微笑みを向ければ、何故だかカリンは静かに震えていました。
そんな視線だけのやり取りをどう捉えたのか、会話をしていた諸兄が気まずそうに頭を掻いて苦笑を浮かべます。
「やはり、姫様と近衛様の仲には敵いませんね」
そう爽やかな笑みを浮かべる上位貴族家の長子。よそ見をしたのは申し訳ございませんがどういう意味でしょうか。「全くだ、百合に挟まるなど……」「遠くから愛でるものとあれほど……」などと続く他の中位家長子は何。百合とは一体。お花としての意味以上は存じませんが、それはもしかして概念上造花の類ではありませんか。当然の疑問は気の無い微笑みの内に押し込める私を尻目に、彼らは互いに冷やかし合いながら、
「お前の話がつまらないから、カリン様に助けを求められるんだろうよ」
「ああいえ、決してそういうわけではなく」
気に留めていないわけではないのです、少々気が触れていただけで。
そんな内心は飲み込みつつ、軽く手を振って取り直し、話を続けます。
「商工会の近況、大変興味深いですね。蒸気、火力を利用した発動機ですか。確かに民間に出回れば、技術だけではなく社会が一変しそうです」
その言葉におおっと、一際目を輝かせる上位家長子。あっ、コレ知ってます自分の得意分野で饒舌になるタイプです。予想に違わず、あらん限りの知識を語っていただきました。理論上は百馬力にも届かんとする大動力、歩兵の携行サイズまで小型化し連射速射に優れた機関砲、などなど。商工会が中心になりつつ、技術の実証研究が盛んに行われているとのことです。
男の人って、こういうの好きですよねえ。男心はよく分かりません。問題発言でしょうか。口に出しても大して問題ありませんが、イチ個人的に大問題です。吐きそうです。
「しっかし、そんな珍奇なものが本当に出回るのかねえ」
ヒートアップする語りに、水を刺したのは中位家長子の一人。話を邪魔されたというより、自分の好みと呼べる分野を否定されたことに、上位家長子がムッとしますが、
「いえ、決して侮れるものではないかと」
先に私から口を挟ませていただきました。不思議そうに集う視線を受け止めながら苦笑し、大した理屈ではないのです、と前置きしつつ、
「商工会が投資をしているのならば、当然利益で回収する目算がついているのでしょう。元々暴走しがちな一派ではありますが、お金に関する先見は確かなものです。
……むしろ、そこまでの動きが王室へ届いていないことが不思議ですね。意図的に隠蔽しているわけでもないでしょうし、どこかの家で報告が止まって? 工業分野ならば金の管轄でしょうか? いえ、これはあまりにも新しい領域です。他家系列でも扱いに困ってタライ回しに? もし状況が膠着しているようならば、いっそ火の分野として王家の直轄に――」
「アリシア様」
カリンの声にハッと顔を上げれば、諸兄たちが若干引き気味の目で見ております。
またやってしまいました。自分の領分になるとすぐにコレです。女心ゆえでしょうかそれとも男心でしょうか。どちらでもないような気もします。人によるとは便利な言葉ですねとはさておき、失態を誤魔化すべく手を振ろうとして、
「ほう。姫殿下は市井の新技術に興味がおありで?」
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