アリシアくんはお姫様! ~男の娘の偽姫奮闘記、嫁入り騒動を添えて~
ヒセキレイ
序章 アリシアはお姫様
1. あなたはだあれ?
ハーノイマン王国の、やんごとなき王家に生まれた、一人息子です。
王宮の自室、壁に掛かる姿見の中に、可愛らしい少女の姿がありました。
髪は薄い赤色。少し癖のついた毛先が触れる肩は細く、肌を晒した二の腕へ向けて柔らかな曲線を描いています。白と桃のドレスは姫の晴れ舞台にふさわしく仕立てられた見事な一品ですが、見た目の幼さから若干着られている感が否めません。この華奢な身体からすれば、小等部の学生と言い張ってもギリギリ通るでしょう。
身長ですか。百五十センチで止まった三年前から測っておりませんとも、ええ。我ながら健やかによく食べてよく寝ていたと自負しているのですが、髪とお肌がつやつやになるばかりでロクな伸びしろがありませんでした。これも人体の神秘というものでしょうか。自分の身体で感じたくなかったですね。
ふう、と一息。
気を取り直して、再び鏡と向き合います。
その場でクルリと身体を回してみます。爪先を立てて軽く一回転、ふわり広がるスカートを指先で摘み、慣れ親しんだ微笑みを浮かべればあら不思議。先程までのいたいけな幼さはどこへやら、気品に溢れた所作が花畑を舞う妖精を思わせます。どう頑張っても『美女』の領域には至らないのがこの容姿の限界ですね。まあ良いでしょう。
ついでとばかりに、慣れ親しんだ国家の一節でも口ずさみます。開いた喉を震わせるメゾソプラノ。張らずとも不思議と良く通る声、紡がれる響きは天使が遣わす福音のように澄み渡ります。『天女』にはならないのですよね主に容姿のせいで。まあ仕方ないでしょう。
自己採点、九十八点と言ったところでしょうか。完璧とは言えませんが、今日までの準備で多忙な中にもかかわらず、よくコンディションを保ちました。立場を考えれば当然の務めではありますが、自分くらい褒めてあげてもバチは当たらないでしょう。
よし、と胸の前で両手を小さく握り、鏡に映る笑顔と向き合いまして、
「――相変わらずですけど、誰なんでしょうねコレ」
今日も今日とて、女装した自分を、自分だと認識できませんでした。
この可愛らしい少女は一体誰なのでしょうか。名前はアリシア・メル・ハーノイマン。この王国のお姫様。何やらとても満足そうな笑みで首を傾げた、幼い容姿ながらも気品を纏う、何の間違いもなく生まれはやんごとなきナニモノカ。鏡越しに向き合う瞳はどこか遠くの国の貴人でも眺めるようでいて、もはや完全に他人事。お前は誰だと口にすれば発狂しそう。
すなわち、いつも通り。
『私』は、『アリシア』は今日も絶好調です。
「さて。今日の大舞台、しっかり務め上げませんと」
改めて気合いを入れ直します。これから、国を挙げて私の生誕祭です。
それに、と続く思考を途切れさせたのは、コンコンと扉を叩く控えめな音。
はい、と返事をすれば、向こうから低い女性の声が返ります。
「カリンです。アリシア様、お迎えに上がりました」
どうやら時間ぴったりだったようです。自室に人目はありませんが、常の習慣としてはしたなくないように、けれども待たせてしまわないように急いで歩き、扉の前に立ちます。
大丈夫。今日も私、アリシア姫はイケております。多少精神がアレなことなど何の問題がありましょう。男が姫を騙るなどと、元より狂った真似を成しているのです。むしろ狂っていた方が好都合でしょうと、胸に右手を当て、一息に呼吸を整え、ゆっくりと扉を押し開き、
「――お待たせしました、カリン」
は、と軽く頭を下げたのは、長身に黒赤の礼装を着込んだ女騎士です。私より頭一つ分も高い位置にあるその顔は、身内の贔屓目無しに見ても端正でした。高く結い上げた長い黒髪に、切れ長の鋭い瞳。覗く黒目は思わず竦んでしまうような輝きを帯びて、線の細くも凛々しい輪郭は、失礼ながらどこぞの国の『王子』と言われても信じてしまうでしょう。ちょっと仏頂面で何を考えているのか分からないのが玉に瑕ですが「そのミステリアスさが良い」と侍女を始め姫仕えの女性たちには概ね好評です。女心はよく分かりませんね。問題発言でしょうか。口に出さなければ問題ありません。
カリン・ニーデルフィア。
私が幼い頃から仕えてくれている、三つ年上の近衛騎士です。
「本日も、大変お綺麗です。アリシア様」
「ふふ、ありがとうございます。カリンも相変わらず凛々しいですね」
恐縮です、とでも言うようにカリンはまた頭を下げます。その間に私は頬に手を当て、少し熱っぽく赤くなってしまったのをささっと誤魔化しました。ふむう、今さらこの程度で顔に出てしまうとは、緊張もあるのでしょうが私もまだまだです。
やはり、こういうセリフをさらりと言えてしまうのがカリンの人気の所以なのでしょうか。周りの侍女たちは頬を赤らめ手を当ててくねくねしています。一体、今のやり取りはどう受け止められたのでしょうか。とても気になりますが精神衛生上よろしくなさそうであまり聞きたくないですね。
おっと、ちょうどいい感じに鬱が入ってきました。心が平常以下に落ち着いて内心スン……としていると、顔を上げたカリンが、少し目を見開いて肩を震わせました。
あら珍しい。滅多にない女騎士の狼狽に、軽く首を傾げます。
「いえ、その、アリシア様。……気迫が」
「あ、あらごめんなさい。ついうっかり」
少々『圧』が漏れていたようです。侍女たちも一歩退いています。コレはいけません、身近とは言え民を不安にさせるなど王族失格。いくら何でも気を張り過ぎです。
「あのカリン様が、一瞬とはいえ怯むなんて……」
「ほら今日アレだし、アリシア様もさすがに?」
「や、やっぱりアリシア様、今もカリン様のコト!?」
何か? と微笑んで首を傾げると、侍女たちは無表情に目を据わらせて直立しました。ふむ、さすがに王室勤め。鍛えられていますね。明日から給料を上げて牽制しましょうか。
「アリシア様、やはりお気が」
「大丈夫ですよカリン。王族の精神が不安定なのはいつものことです」
よく気が付く近衛は不安顔ですが大丈夫。この王室、代々精神的に大丈夫でないことが多いので、側近始め皆も慣れたものです。……まあ今代姫の不調が、精神的どころか性的なアレから来ているなんて思いもしないでしょうけど。
……あら? 何やら急に色々と分からなくなってきました。私は、今、女で合っているのですよね。でも身体は男のはずで、精神的にはコレどっちなのでしょう。そもそもどうして姫の真似事などして、一体なぜこんなところに。
ふと思い出してしまえば濁流のように堰を切って溢れる疑問疑問疑問。狂って混濁する意識がふわふわと私の正体を失わせて、ぐるり反転する視界に踏ん張りの利かない脚を滑らせて、
「アリシア様!」
ぽす、と。
宙に浮いた背中を、抱き留められました。
ハッと意識を戻せば、既にカリンの腕の中でした。力強い両手が背中と膝裏に添えられて私の身体をすっぽりと、ハイお姫様抱っこですねコレ。何を思う余裕もなく咄嗟に顔を上げれば、吐息さえ届きそうな間近に、私を慮って細められるカリンの黒く美しい瞳が。あらまつげがとても長いですね。やおら熱くなる顔に開いた口は何を言うべきかも定まらず、高鳴る鼓動が先とはまるで別の意味で私の正体を失わせて――。
……しかし視界の端、信じられないモノを見るように目を口を開いて絶句する侍女と、両手で覆った口の中で「きゃーっ」と嬌声を上げる侍女と、感情を失った無表情の後に鼻血を噴いて昏倒する侍女の姿に、頭は一気に冷静さを取り戻して緊急冷却が完了しました。
ええ、今ばかりは心の底から感謝していますとも。
明日から給金を一.五倍にしましょうね。
ニコリと微笑めば、侍女たちは即座に姿勢を正して無表情に直立しました。
「ありがとう、カリン。もう大丈夫です」
「いえ、差し出がましい真似をしました」
カリンの腕を降り、しかと自分の両足で立ちます。
胸に手を当て、呼吸を整え。
己が何者であるのかを、改めて心に定めて。
「……ごめんなさいね。あなたの主が、このような体たらくで」
そう、苦笑を浮かべれば、カリンの鉄面皮が、僅かに歪みました。
少しだけしわの寄った眉間は、まるで何かを堪えるように。ああ、本当に、一番の従者にまでこのような顔をさせて、一体何をしているのでしょうかと、苦渋を噛み締める私の前で。
しかしカリンは、ただ膝をついて跪きました。
目を伏せ、僅かに顎を引いて。
「アリシア様は、未来永劫に、誇るべき『我が王』です」
そっと、上げられた顔。
真っ直ぐに、私を見据える瞳に。
呼吸が、止まりました。
「この思いは、貴女様にお仕えしたあの日より、一度たりとも変わりません。我が生涯、この身体、全てを剣として捧げると、誓いを違えたことはございません」
ゆえに。
「アリシア様が歩む王道を、阻むものあらば。何なりとお命じください。不肖このカリン・ニーデルフィア、万難を排し、何もかもを斬り捨てましょう。
それが、我が『
告げられた、言葉に。
……ああ、思い出しました。
それは、確か。
私の願いに、あなたが返してくれた言葉で。
私は、一度だけ目を閉じて……開いて。
カリンを真っ直ぐに見つめて、そっと、小さな右手を差し伸べます。
「共に国のため、民のため。力を尽くしてくれますか」
「御意に」
僅かな逡巡さえも無く、大きな左手が、力強く重ねられました。
「今度は逆になってしまいましたね」と私の浮かべる苦笑に、カリンの「恐縮です」と僅かに口の端を緩ませたかんばせが向けられて、
「「「……ぐはっ」」」
視界の端で、侍女たちが吐血して昏倒しました。
微笑みを向けて彼女らが復帰する刹那に、私は改めて、心を決め込みます。
そう、全ては私が選んだ道。
嘘の性別、偽物の姫。
それが、何だと言うのでしょう。
国のため、民のため。何より、私に全てを捧ぐと誓ってくれた騎士のために、この偽りを、最後まで貫き通すと決めたのだから。
例えこの身に――王たる資格が無いとしても。
「では、行きましょう。カリン」
は、とまた頭を下げるカリンに踵を返し、私は静々と歩き出します。一歩一歩を軽やかに揺らぎなく、油断なく。侍女たちが腰を折って見送る中、カリンは一歩後ろを、大きな歩幅を小柄な私に合わせて歩みます。
「今日は私の生誕祭。決して失敗は許されません」
なにより。
「――私の、婚約者が決まるのですから」
私はハーノイマン王国の姫、アリシア・メル・ハーノイマン。
王家に生まれし一人息子にして、女帝の冠を戴き、国と民を導く者。
十六歳になる今日この日、成人の儀をもって、誰かのお嫁さんになります。
「本日のアリシア様には、女神ですら嫉妬するでしょう。畏れながら、歴代王妃にも類を見ない美しさに気高さかと。ハーノイマン王国は、永劫に安泰です」
「ふふ、お世辞は結構ですよカリン。もちろん、そう在るべく努力は惜しみませんが」
いつもの調子で軽く応えつつ、しかし私の頭は、一つの懸念で埋め尽くされていました。
……寝室で身バレしたら国家転覆案件かと思いますが、一体誰が責任取るのでしょうね?
――――――――――
【AIイラスト】
・アリシア
https://kakuyomu.jp/users/hisekirei/news/16818093087761953825
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