第25話 お姉ちゃんが大好きな子


「あのね――最初はフェアお姉ちゃんのこと、嫌いだったみたいなの。私は覚えてないんだけど、パパとママが言ってた」


 ニュイちゃんは、お兄ちゃんのことが大好きで、いっつもひっつき虫になっているブラコンさんだった。


 おんぶにだっこは当たり前。お兄ちゃんにご飯をあーんして貰えないとグズったり、寝る時に離れると泣き出すような……そんなとにかくお兄ちゃん大好きな幼少期だったそうな。


 でもそんなお兄ちゃんと仲良くする、女の子が現れた。レーちゃんだ。


「私たちの家は、隣にあったから。物心着いた時にはもうお姉ちゃんがいるのは当たり前だったの」


 どんな時だってお兄ちゃんに構って欲しいニュイちゃんは、自分を最優先にしてくれないお兄ちゃんに怒り、邪魔者のレーちゃんに怒った。パパとママに泣いて駄々を捏ねていたそうな。


 レーちゃんが言っていた通りに、ニュイちゃんはトゲトゲした幼女だったみたい。なんか、全体的に微笑ましくて可愛いエピソードだなぁ……。


 そして、ニュイちゃんのお兄ちゃんのポジションが、それはもう血涙流すほどに妬ましいなぁ……!?


「怒ってた私に、パパとママが将来家族になるお姉ちゃんなんだよって教えて、私は納得したみたい」


 なるほど? いやー! ってなってる相手がお姉ちゃんになる、なんてむしろ嫌がりそうだな〜って思うけど、両親の説得が上手だったのか、ニュイちゃんがお姉ちゃんという存在に焦がれていたのか、丸め込まれたと。そして婚約は子供の頃から……と。


「それからお姉ちゃんにもくっつくようになったんだって。物心ついてからは段々とお姉ちゃんと一緒にいる方が増えたんだ」


 まあ、兄妹でも男女だとそれなりに年齢を重ねると距離ができるって聞くよね。そしてお兄ちゃん大好きがお姉ちゃん大好きにシフトした、と。


 それからレーちゃんにベッタリな日々を過ごして大きくなっていく中で、一つ目の転機が来た。


「お姉ちゃんは剣の達人で、大人と戦っても負けなかった。だから狩人になってみんなを守ってあげるって言ってて、私も憧れて狩人を目指したの」


 狭い世界では確かにレーちゃんの剣は達人に見えるだろうね。そして大人との手合わせで強さに自信を持ったレーちゃんは、みんなを守ると決心して狩人になった。


 けれど、それはあまり歓迎されなかったみたいだ。


 レーちゃんたちの村では、狩人は大人の男性の仕事。狩人になるためには若い頃から経験豊富な者に長く師事を受ける必要がある。年長者に頭を下げて、兄弟子達にこき使われながら何年も時間をかけてやっと就ける役職で、村人を守ってやるんだ、という意識の強い男社会なんだそうだ。


 そんな中に、大人顔負けの強さを誇るレーちゃんが入れば何となく空気は良くなかったと予想できる。


 女で、子供で、男よりも強く、大人よりも強く、村社会でも力を持つであろう狩人という立場を得ようとする。


 嫉妬や異端視……あからさまではなくとも、レーちゃんは狩人仲間から距離を置かれていたみたい。その意識は他の村人にも伝播し、結果として村でレーちゃんは浮いた。おそらくこの経験が彼女を気遣いしいにさせたんだろう。


 守ろうとした人達に遠巻きにされるのは……辛いよね。


「でも、お姉ちゃんは諦めずに頑張ってたの。本当に凄いんだよ。村の近くに出たオークを一人で倒したりしちゃったんだから!」


「……それは凄いね」


「ふふーん!」


 お姉ちゃんを褒められて誇らしげなニュイちゃん。可愛いね。


 前にも言った通り、新人冒険者の壁となるオークは、ゴブリンなんかより圧倒的に強い。


 木をへし折る腕力は人を簡単に吹き飛ばすし、厚い脂肪とそれを支える筋肉に包まれた身体は下手な剣じゃ通らない。その上で人間の倍近くの大きさだから、戦う力がない村人なんか襲われてしまえば大変なことになる。


 中堅冒険者だって、パーティで狩るのが安全と言われる魔物。それがオークだ。


 それをたった一人で倒すことが出来るなんて、とんでもないことだ。私の指導を受ける前からそれだけ出来る子だったレーちゃんは、もはや天才と言って良いのかもしれない。


 ……でも私の胸の中にある感情は、レーちゃんを褒めるものではなく、村人への確かな嫌悪感だった。


 だってさぁ……ないでしょ。オークの相手をレーちゃん一人に押し付けるってなに? 狩人は何人もいたんでしょう? 兄弟子だっていたんでしょう? なんでレーちゃん一人で戦うなんて状況が起きてるの? 自分より強いから、嫉妬してたから、とかそんな理由で許されていい事じゃなくない?


 子供で、女の子なんだよ? それをオークの前に差し出せば、どんな事になるか想像出来るでしょう?


 どうしよう、一方の話で決めつけたくないけれど、私、レーちゃんたちの故郷、嫌いかも。


「お姉ちゃんはだんだんみんなに認められて、私もお姉ちゃんみたいに頑張るんだよって言われるようになったんだ」


 そんな私の感情は関係なく、ニュイちゃんは話を進める。


 村への嫌悪感が増してきているせいで、それって村人のためにオークに自分を差し出せるようになるんだよ、って言ってるんじゃないの? って勘ぐってしまって、その思考に気がついた私は、何とか落ち着こうと深呼吸をした。


 嫌悪感のせいで、悪くとらえすぎだよ、私。


「一人前って認められて、私たちの家の周りを担当することが決まったから、私とお姉ちゃんで毎日狩人として頑張ったんだ」


 それって……と、嫌な考え方をしそうになったところを何とか堪えて話を聞く。


 狩人として一人前になった頃の記憶は比較的最近の話ということもあって、ニュイちゃんの話はどんどん鮮明になっていった。


 それと同時に、それまでどこか辛そうだったニュイちゃんの様子が明るく楽しげになっていく。思い出している記憶が、楽しいものだからだろう。


 例えば……魔物がどんなに上手く潜んでいようとも、見つけ出してしまうお姉ちゃんは凄い、とか。お姉ちゃんは教え方も上手で、おかげで自分の追跡能力は村随一になった、とか。自分は剣の適性が無かったけれど弓ならそれなりに上手になった、とか。


 森にいた動物と仲良くなったとか、二人で内緒で美味しいお鍋を作ったとか、そのせいでおなかいっぱいで晩御飯が食べられずに二人で怒られたとか。


 そんな二人にとって宝物のような大事な時間を、ニュイちゃんは楽しそうに私にも共有してくれた。


 私もさっきまでの嫌悪感を忘れて、二人の様子を想像しながら楽しく聞いた。隠れてご馳走を食べて、パパとママに叱られる二人とか微笑ましかっただろうな。


 そうしてたっぷりと思い出を語った後に、ニュイちゃんは穏やかな表情になって、静かに言葉を紡いだ。


「お姉ちゃんは、約束してくれたの。ずっとこうやってみんなを守ろう。ニュイと一緒なら笑って頑張れるから……って。ううん、それだけじゃなくて。家族として一緒にいよう、美味しいものを見つけたら最初に分け合いっこしよう、困ったら助け合おうって……いっぱい、いっぱい約束してくれたの……」


 でも、話している途中からだんだんと痛みをこらえる様に崩れていく。


 それが、とても痛ましくて。


「約束……してくれた、のに……!」


「…………」


 二人の楽しい記憶を教えてくれたから、どれだけ大切にし合っていたか伝わったからこそ、改めて辛い。


「村長の息子が、お姉ちゃんに目をつけて、結婚しろって言ったらしいの。村じゃ村長の言葉は絶対だから、お姉ちゃんは……凄く辛かったと思う。なのに、私は知らなかった。なんにも……知らなかったの。そんなこと、お姉ちゃんは全然言ってくれなかったの!」


「……うん」


「調べて、怒ったの! そんなのダメって、おかしいって。なのに周りは村長のことを怖がって反対しなかった! あんなわがままで迷惑かけてばっかりのボンボンなんかにお姉ちゃんを渡すなんて有り得ないのに! 絶対嫌な思いをするのに! それなのに……お兄ちゃんまで受け入れてた! お姉ちゃんのこと、好きなくせに! 仕方ないって!」


「…………うん」


 ニュイちゃんは、ベッドシーツを握りしめて、声を震わせて、溢れ出る感情のままに涙を流す。


「ぜんっぜん仕方なくなんかない! おかしいじゃん! なんでみんなお姉ちゃんにばっか押し付けるの!? お姉ちゃんは頑張ったんだよ!? みんなの為に、みんなを守って、私のわがままを沢山叶えてくれて……! 凄く頑張ってたの! なら、お姉ちゃんは幸せにならなきゃダメだよ! そうじゃないと……ダメ……なのに……なのに私は……お姉ちゃんのために、なんにも、なんにも……できなくって……」


 溜まった熱が爆発するように、ニュイちゃんは周囲への怒りを示した。でもその怒りは途中で墜落するように姿を消して、自分の無力さに沈み込むように項垂れる。


 その姿に私は耐えきれなくなって、おもわず頭に手を置いた。後でまた引かれてしまうかもしれないけれど、それでも放置したくはなかった。


「…………よしよし」


 狩人仲間から疎まれても、守ろうとした村人から距離を取られても、レーちゃんは努力した。そんな立派なレーちゃんの頑張りをニュイちゃんは誰よりも近くで見てきた。


 頑張ってる人は幸せになって欲しいよね。それが大好きな人ならなおさらだよね。なのに、その人は嫌なことを押し付けられていて、知らぬ間に姿を消してしまっていて、自分は気づくことも助けることが出来なかった、なんて……とても、苦しかったよね。


「辛かったね……よしよし」


「……うぅ……うわぁああああ……ごめんなさい……ごめんなさい……!」


 言葉はそれ以上は続かずに、ニュイちゃんは声を上げて泣いた。慟哭と呼ぶような悲痛な声に胸を痛めながら、私はそのまま頭を撫で続ける。


 ……相手のことを思って涙を流す姿は、お姉ちゃんそっくりだな、って。


 私はそう思った。


 ……

 …………

 ………………


「……ねぇ、ツバメさん」


「呼び捨てでいいよ?」


「ううん」


 ニュイちゃんは首を振って拒否した。


 名前を呼んではくれたけれど、まだ少し距離を縮めるのは難しいみたいだ。ヘンタイよりもかなり改善したから、全然良いけどね。


 ニュイちゃんは、腫れぼったい目で私を見ながらしばらく押し黙っていたけれど、やがて決壊したように問いを私に投げかけた。


「一緒に居たかったけど……きっと私のわがままなんだよね? 私がお姉ちゃんの邪魔しちゃったんだよね? 村から出て行った方がお姉ちゃんは楽しいんだよね?」


 お姉ちゃんと一緒に居たいのか? という質問にニュイちゃんはわからなくなった、と答えていた。きっと彼女は考えていたんだろう。自分の一緒に居たいという気持ちと、姉の幸せを天秤にかけて。


 だから、そんな疑問を持ってしまった。


「私がお姉ちゃんから離れた方が――私なんていなくなった方が、お姉ちゃんは幸せになれるのかなぁ……?」


 苦しみに満ちた言葉のくせに、その声が、あんまりにも優しくて。


「――ッ。……違う。それは違うよ、ニュイちゃん」


 そんな質問をさせてしまったことを恥じる。言葉にさせちゃいけないものだった。たとえニュイちゃんの脳裏にそんな疑問が過ぎったとしても、決して口に出させてはいけない言葉だ。


「でも――」


 だから、これ以上を言わせないために、XXフラグなんて決して進ませないために、私はニュイちゃんの口を手のひらで塞いで、無理やり黙らせる。


 ……ごめんね、遅くなっちゃった。


「レーちゃん。入っておいで」


「え――」


 私が扉に向かって合図となる声を出すと、カチャリ、とドアノブが回ってレーちゃんが姿を現す。その顔には僅かに涙の跡が残っていた。


 それを確認してから、ニュイちゃんの口から手を離す。ニュイちゃんはまだ動く様子はない。


 はい。つまり、ここまでのお話はレーちゃんにも聞いてもらっていたわけです。


 古典的な手段だけど、二人には、遮られずに相手の思いの丈を知る時間が必要だと思ったからね。ずるいことしてごめんね。遅くなってゴメンね。


「……ニュイ」


「お姉ちゃん……」


 レーちゃんは呆然としているニュイちゃんに駆け寄って、ニュイちゃんを強く抱きしめた。


「そんなこと……言わせてごめんね……! 一緒に居ていいの。ううん、私がニュイと一緒に居たいの。ニュイと一緒に居られて私も楽しかった。あなたを置いていってしまって、苦しかった。一人になるのは寂しかった。あの時は怖がってごめんね。村に連れ戻されるって思っちゃったの。本当にごめん。会いに来てくれて、探してくれて、ありがとう。ニュイと一緒に居られて、私は幸せだよ。幸せだから……だから、そんなこと考えないで、お願い……」


 レーちゃんは泣きながら懺悔するように、希うように、甘えるように、宝物を手放さないように、必死にニュイちゃんに想いを伝える。


 その心に触れて、レーちゃんの想いを知ることが出来たニュイちゃんもまた、ポロポロと涙を流し始めた。


「――っ、ち、がうの……私こそ……ごめんなさい、ごめんなさいお姉ちゃん……!」


 ニュイちゃんもレーちゃんを抱きしめ返す。強く、離れないように、甘えるように。


 大切に思い合っていたのにすれ違ってしまった二人は、ここでやっと離れたくないという心を確認し合ったんだ。


 あぁ……よかった。フラグが、消えた。


 二人の様子から、きっと今度こそはちゃんと話せると思って私は席を立つ。今は姉妹二人っきりで話した方が良いと思うからね。


 黙って部屋を出て、扉を閉じて、少し距離を置いてから壁に背を預ける。ここなら二人の声を盗み聞いてしまうこともないだろう。こっちの声も二人に届くことはない。


 だから、私もやっと気を緩めることが出来た。


「……きっつかったぁ」


 しゃがみこんで、安堵の息を盛大に吐く。


 全く……人の喧嘩に割って入るのは、これで勘弁して欲しいね。

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