第四章

第1話:クラインダービー

 聖暦せいれき1015年6月16日。

 第三章の大ボスを、『獣災じゅうさい』ラグナを家族に迎え入れた翌日、ボクは王都の中央競馬場を訪れた。

 なんでもうちの『馬カス』が、5000万もの大金を賭けるらしいので、その壮絶な散りザマを――『約束された敗北』を見届けに来たのだ。


 貴賓室VIPルームのソファに体を預けながら、上半期最大のレース『クラインダービー』を眺める。


(フィオナさん、きしているなぁ……)


 眼下の一般観覧席では、馬券を握り締めた『借金馬女カモ』が、「行っけぇええええッ!」と魂の叫びをあげていた。

生命いのちは散り際に最も輝く』と言うけれど、どうやらあれは本当のことらしい。


(しかし、大盛況だね)


 中央競馬場は満員御礼。

 ここは声出しを禁止していないため、熱狂的な応援や歓声が盛んに飛びっていた。

 経営者オーナーとして、嬉しい限りだ。


 ボクはクラインダービーの空気を楽しみつつ、メインルートの攻略に思考を傾けていく。


(さて、いよいよ明日から、本格的に第四章が始まる……)


 この章の大ボスは、『四災獣しさいじゅう天喰そらぐい

世界の脅威ワールド・エネミー』に数えられる超強敵だ。


 昨晩遅く、王国西部でその姿が観測されたらしく、あちこちで号外が飛び交っている。

 当然そのニュースはすぐにうちへも届き、ハイゼンベルク家は緊迫した空気に包まれた。


「……天喰そらぐい、か」


 母は顔をしかめ、


「実に十二年ぶりの襲来でございますね」


 オルヴィンさんは鋭い眼を尖らせ、


「くくくっ、よくぞ来てくれたな、天喰そらぐいよ……っ。貴様の頭蓋ずがいを砕き割り、五臓六腑ごぞうろっぷをぶちまけてくれるわッ!」


 父ダフネスは殺気立ち、<虚飾きょしょく>の大魔力を解き放つ。


 父にとって天喰は、最愛の妻レイラに呪いを掛けた怨敵おんてき……。その憎しみたるや凄まじく、「必ず私が仕留める!」と宣言し、軍備の増強を命じた。


 結果、ハイゼンベルク領は大忙し。

 鍛冶師たちはあわただしく鉄を打ち、武具屋はあちこちから装備品を買い集め、商人は水と食料を調達している。


(ただ、これじゃちょっと間に・・合わない・・・・


 このままなんの手も打たず、愚直にメインルートを進めた場合――ハイゼンベルク家は敗れる。

 天喰そらぐいに――ではなく、卑怯な・・・対抗勢力・・・・

 本件については、ボクがフォローするとしよう。

 そのためのプランは、もう組んであるしね。


(サブイベントが山盛りだった第三章とは違い、この第四章は基本的に『一本道』だ)


 第一章・第二章・第三章の『総決算』ということもあり、シンプルな地力じりきの問われる章になっている。


(……大丈夫、万事問題ない)


 ロンゾルキアに転生して早六年、破滅の運命シナリオに打ち勝つため、あらゆる事態に備えてきた。

 怠惰傲慢を捨てた。

 謙虚堅実に生きた。

 不断ふだんの努力を重ねてきた。

 今の原作ホロウボクには、四災獣ワールドエネミーと戦えるだけの『武力』・『知略』・『信頼』があるはずだ。


(当初の予定通り、天喰そらぐいという『最高の踏み台』を利用して、ホロウ・フォン・ハイゼンベルクの名声を王国中へ轟かせる!)


 さらにその過程で、とある・・・状況・・を作り上げ――主人公を葬り去る!

 この第四章をアレン・フォルティスの『エンディング』にするのだ!


(でも、『例のアレ』には気を付けないとね)


 原作ホロウは、世界に中指を立てられた存在。

 第四章にも当然のように存在する、大量の『死亡フラグ』が。


(確か、第三章からランダム発生する『暗殺者の襲撃イベント』に加えて、今後は大魔教団の刺客が差し向けられるんだったよな……)


 最高幹部の『天魔十傑てんまじゅっけつ』が、わずか十五歳の学生に敗れた。

 これにより、教団の面子めんつは丸潰れ。


 この先ちょっとでも隙を見せれば、背中を刺されると思った方がいい。

 まぁ<虚空憑依>があるから、なんの問題もないんだけどね。


(そんなことよりも、ボクが真に注意すべきは――中盤に仕込まれた『致命的な死亡フラグ』だ)


 あの分岐ぶんきをミスれば、とても厄介な事態になる。

 死ぬようなことはないけど、『計画』が大きく狂ってしまう。

 イベント管理を徹底して、あのフラグだけは立てないよう、注意しなきゃだね。


(とにもかくにも、最初の一手は――ラグナ・ラインだ)


『第三章のクリア報酬』とも言うべき彼を、起源級オリジンクラスの固有魔法<原初の巨釜おおがま>を、迅速に稼働させよう。


 ちなみに現在ラグナは、虚の構成員シュガーに連れられて、ボイドタウンを見学して回っている。

 先に街の構造・ルール・課題を知ってもらった方が、本人のやる気が出ると判断してのことだ。


(右も左もわからない場所で、上から一方的に命令されて、下を向きながら働いても、決してイイ仕事にならないからね)


 ラグナとはこの後『うつろみや』で合流し、ボクの立てた『計画』の極一部を説明する。

 そうしてボクの理念とヴィジョンを共有し、<原初の巨釜おおがま>の力で大量のスケルトンを、『無限の労働力』を吐き出してもらうのだ。


(ふふっ。今後は『スケルトン製造機』として、『ボロ雑巾』になるまで使いたお……ゴホン、大切な家族の一員として、勤勉に汗を流してもらおう)


 そんなこんなを考えているうちに、本日のメインである第11レースが終わった。


「――おっ、万馬券じゃん」


『ビギナーズラック』というやつだろうか。

 たわむれに買った三連単さんれんたんが見事に的中。

 1万ゴルドの賭け金が、なんと150万ゴルドに化けた。


 まぁ原作ホロウの幸運値は、『+900』だからね。

 この手の『運』が絡む勝負には、めちゃくちゃ強いのだ。


 一方、ボクの眼下では、


「どお゛じで、なぁんでぇ……い゛づも、ごうな゛るのぉ……っ」


 幸運値『-1000』が、『ぐにゃぁ~~』って溶けていた。

 彼女の足元に転がる大きなトランクケースは、今朝方までパンパンに札束が詰まっていたそれは、悲しいことにスッカラカン。


(まさに『ゲームオーバー』ってやつだね)


 フィオナさんの幸運値は、原作ロンゾルキアで最下位。

 こういう賭け事では、基本的に負ける。


 もちろん、全敗というわけじゃない。

 小さな勝ちは、ポツポツと拾っている。


(ただ……今のレースみたいな『ここぞ!』という場面で、大きく張った勝負所で惨敗するから、トータル収益は大幅なマイナスなんだよね)


 っというわけで、借金馬女の軍資金5000万は、無事にボクのもとへ帰ってきた。

 ボクがフィオナさんにお金を貸す→フィオナさんが競馬場で溶かす→競馬場からボクへ返金される。

 お金の収支はプラマイゼロにもかかわらず、馬カスの借金だけが無限に増え続けていく。


嗚呼あぁ、なんて悲しい『永久機関』だ……)


 現在時刻は16時30分、クラインダービーは全人馬ぜんじんば無事に終わった。


「う゛ぅ、こんなの絶対おかしいよ……。お酒もやめたのに、開運の勾玉まがたまも買ったのに、煩悩ぼんのうも捨てたのにぃ……っ」


 泣きじゃくるフィオナさんのもとへ、二人の守衛しゅえいが歩み寄る。


「あぁ、またこのお嬢さんか……。ほら、飴ちゃんをあげるから元気出しなさいな」


「前にも言ったと思うけど、もう二度とこんなところへ戻って来るんじゃないよ?」


「……はぃ、お世話になりました……」


 意気消沈した彼女は、ペコリと頭を下げ、退場ゲートへ向かう。

 なんだか『出所する犯罪者』と『世話焼きな看守さん』みたいだね。


(っと、こうしちゃいられない)


 ボクは貴賓室きひんしつを出て、すぐさま追跡を始める。

 今日こうしてわざわざ競馬場に出向いたのは、何もフィオナさんの爆死を見届けるためだけじゃない。

 彼女が馬で3000万ゴルド以上を溶かしたときにのみ発生する、『超激レアなサブイベント』をおがみに来たのだ。


 王都の街が夕焼けに染まる中、


「……ぐす、ぐす……っ」


 フィオナさんは半ベソをきながら、屋敷への帰り道をトボトボと歩き――吸い込まれるようにして、小さな酒屋さかやへ入って行った。


(おっ、そろそろ始まるね。エクストライベント『借金馬女と優しいおじさん』が!)


 ボクは極限まで気配を殺し、同じ店に足を踏み入れる。


「……明日、世界が滅びればいいのになぁ……」


 フィオナさんは物騒なことを呟きながら、競馬雑誌とおつまみを見繕みつくろい、いつも呑んでいる安いびんビール――ではなく、それよりもさらに安いカップ酒を取り、奥のカウンターへ向かう。


「すみません、これください」


めて2100ゴルドだ」


 見るからに不愛想な店主は、読んでいた新聞を折り畳み、素早く合計金額を弾き出す。


「はい」


 ガマ口の財布を開いたフィオナさんは、1000ゴルド紙幣を会計トレーに乗せ――「あっ」と小さな声を漏らした。


「あの、やっぱりこれとこれはなしで……っ」


 どうやらお金が足りなかったらしく、慌てて柿ピーとナッツを引っ込める。


 しかし次の瞬間、右手で回収した商品が、左手の財布にぶつかり……その中身をド派手にぶちけた。


「ご、ごめんなさぃ……っ」


 フィオナさんはその場にしゃがみ込み、床に散らばった硬貨を大慌てで拾う。

 クラインダービーに敗れ、柿ピーを買うお金すら失い、小銭を拾い集めるその姿は、そこらの映画なんかよりも遥かに泣けた。


(……やだこれ、もう見てらんないよ……っ)


 ロンゾルキアに転生して以来、こんなに胸を締め付けられたのは、おそらくこれが初めてだ。


(いやまぁ、完全に自業自得なんだけどね……。ただ、馬を辞めればいいだけの話なんだけどね……)


 そうしてボクが複雑な思いを抱いていると、


「……ったく……」


 スキンヘッドの店の主人は小さくため息をつき、トレーに置かれた1000ゴルド紙幣を取る。


「代金はこれでいい」


「えっ? で、でも……」


「その顔、どうせまた負けたんだろう?」


「……はぃ」


「いいか嬢ちゃん、早まった真似だけはすんじゃねぇぞ? あんたまだ若ぇんだ、人生いつだって何度だってやり直せる。今日はうちの酒を呑んでリセットしな」


「あ、ありがとうございます……っ」


 目尻に涙を浮かべたフィオナさんは、ペコペコと頭を下げ、感謝の言葉を口にした。


(……ありがとう、優しいおじさん)


 商品棚に身を隠したボクも、心の中で感謝の念を送る。

 名も知らぬ店主さん、うちの馬カスが迷惑を掛けて申し訳ない。

 お詫びに今度、店で一番高いお酒を買わせてもらうよ。


(いやしかし、本当に切ないイベントだったね)


 今回の大敗にりて、馬から足を洗ってくれたら、魔法の研究に専念してくれたら、とても助かるんだけど……。


(まぁ、無理だろうな)


 何せフィオナさんは根っからの『馬狂い』。

 どうせ来週もまた、うちの競馬場に姿を現すだろう。


(さて、貴重なイベントも見れたことだし、そろそろ行こうかな)


 今日はこの後17時から、待ち合わせがある。

 店を出て人目のないところへ移動したボクは、<虚空渡り>を使い、『うつろみや』へ飛んだ。


「よっこいしょっと」


 漆黒の玉座に腰掛けたところで、コンコンコンとノックの音が響く。

 おっ、ちょうどいいタイミングだね。


「入れ」


「「失礼します」」


 音もなく扉が開き、『大翁おおおきな』ゾーヴァと『闇の大貴族』ヴァランが入室した。

 ボクのレアコレクション――ゴホン、大切な家族たちは、玉座の前でひざまずき、臣下しんかれいを取る。


「ゾーヴァ、ヴァラン、何故ここへ呼び出されたのか……わかるか?」


「い、いえ……っ」


「申し訳ございません……っ」


「そうか」


 こうして二人を呼んだ理由は――特にない。

 今回のメインは、あくまでもラグナだからね。

 強いて言うならばそう……ゾーヴァ・ヴァラン・ラグナ、大ボスたちの集合絵しゅうごうえが見たい』という、極めて個人的な欲求を満たすためだ。


(どうしてボイド様は、儂等をお呼びになられた? もしや……儂とヴァランが何か失態を犯したのか!?)


(考えねば、理解せねば、自らの価値を示さねば……っ。この御方に失礼を働けば、またあの『仲良しの家じごく』に入れられる……ッ)


 何故か渋い顔をした二人が、冷や汗を流し始めたそのとき――再び扉が叩かれる。


「シュガーです」


「入れ」


「はっ」


 青髪あおがみの美少女、虚の構成員シュガーが、台車を押しながらやってきた。


「シュガー一人か? ラグナはどうした?」


「いえ、こちらにお持ち・・・して・・おり・・ます・・


 彼女の視線の先――大きな台車の上には、『金色のボロ雑巾』が載せられている。

 よくよく見るとそれは、第三章のクリア報酬『獣災じゅうさい』ラグナだった。


「……え、えー……っ」

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