第9話:救い

 セレスさんが自室に引きこもってしまったため、ボクとリンは玄関口で取り残される。


「お、お母さん……?」


「ふむ、どうやらかなり疲れているようだな」


「すみません……。きっともう少ししたら出てくると思うので、もうちょっとだけ待ってもらえませんか?」


「そうさせてもらおう(できればどこかのタイミングで、セレスさんと二人きりになりたいんだけど……さて、どうしたものかな)」


 それからほどなくして、リンは『とある用事・・・・・』で家を飛び出した。

 本人が言うには、十分ぐらいで帰ってくるらしい。


 ちょうどいい機会だ。

 この時間を利用して、セレスさんと接触しよう。


(確か、ここが彼女の私室だったよね?)


 目の前の扉を軽くノックする。


 しかし、


「……ん……?」


 待てど暮らせど返事はない。


「セレスさん、ホロウです」


 呼び掛けてみたが、反応はゼロ。


(……大丈夫か?)


 扉の先は、完全な無音。

 さすがにちょっと心配になる。


「セレスさん、入りますよ?」


 大きな声で断りを入れてから、扉をガチャリと開ける。


 するとそこには――鬼気迫る勢いで机に向かう、天才研究者の後ろ姿があった。


(……凄いな)


 とんでもない集中力だ。

 全くこちらに気付いていない。

 ひたすら筆を動かし、手元のレポートにナニカを書き込んでいる。


(さすがは魔法研究のエキスパート。こういうところを見ると……意地でも欲しくなっちゃうね!)


 絶対に確保しよう、何があっても絶対にだ!


 決意を新たにしたボクは、セレスさんのもとへ近付く。

 わざと足音を立てたにもかかわらず、これほど近くに迫っているにもかかわらず、彼女はまったく気付いていない。

 真剣な眼差しで、ずっと手を動かし続けた。


(どれどれ……)


 セレスさんの背中越しにレポートを拝見する。

 そこには専門的な記述や複雑な魔法式が躍っていた。

 素人が見ても何がなんだかわからないだろうけど、天才的なホロウブレインを以ってすれば、瞬時に理解できてしまう。


(これは……『妨害工作』か)


 セレスさんは現在、自分の関わってしまった『邪悪な研究』を台無しにするため、『特別な策』を講じていた。


(いやしかし、実に興味深いアプローチだね)


 彼女は、自身の専門とする『魔法因子の分離理論』を応用し、『英雄因子』から魔王因子ふじゅんぶつを取り除こうとしている。


(確か大魔教団の出した命令は、『魔王因子』から英雄因子ふじゅんぶつを取り除くこと)


 彼女は命令と真逆の理論を構築し、魔王因子を消し去ろうとしているのだ。


(……かなり危ない橋を渡っているね……)


 こんなことが教団にバレたら、当然タダじゃ済まない、下手をすれば殺される。


(セレスさんを突き動かしているのはきっと――強い『正義の心』だ)


 やっぱり『ケルビーの血』は濃いね。


 ボクが彼女の血筋に想いをせたそのとき、


(……あれ……?)


 とある考えが脳裏をよぎった。


 ボクが手に入れようとしているケルビー母娘おやこは、ロンゾルキアでも屈指の天才魔法研究者。

 この二人は、どこぞの借金馬女と違って、とにかく真面目だ。

 借金もせず、馬に散財せず、酒におぼれて屋敷でリバースもしない。


(リンとセレスさんをゲットできれば……フィオナさん、もういらなくね?)


 そんな考えが脳裏をかすめたけれど――すぐに思い直す。


(いや、彼女には彼女のいいところがあるな)


 フィオナさんは倫理観がぶっ飛んでいるので、法律スレスレの魔法や魔道具の開発を依頼しても、「それ、面白そうですね!」と二つ返事で引き受けてくれる。

 しかし、ケルビー母娘はちゃんとした『真人間まにんげん』だから、そういう『黒い依頼』には難色なんしょくを示すはずだ。


(もちろん強く命令すれば、言うことを聞くだろうけど……その場合、彼女たちの本領は発揮されない)


『やる気』って、数値としては測れないけど、かなり重要なパラメーターだからね。


(『白い綺麗な仕事』はケルビー母娘へ、『黒い汚れ仕事』はフィオナさんへ――こんな感じで振り分けるとしよう)


 臣下がのびのびと気持ちよく働ける環境・状況・仕事を整備するのは、いずれ領主となるボクの務めだ。


(フィオナさんには利用価値があるし、クビにするのはもったいない。それに何より、あんな『特級俗物ぞくぶつ』を世に放てば、市井しせいの人々に迷惑をかけてしまう……)


 一度こちらで引き取った以上、既に『管理義務』は生まれている。


(『終生飼育しゅうせいしいく』は飼い主の責任、しっかりと最後まで面倒を見なきゃね)


 とにもかくにも、セレスさんとは良好な関係を築きたい。

 せっかく二人っきりになれたことだし、ここは頑張って好感度を稼ぐとしよう。


「――『研究・・』は順調ですか?」


 ボクがそう声を掛けると、


「……っ」


 セレスさんはバッと振り返り、驚愕に瞳を揺らす。


「ほ、ホロウ…………っ」


「あはは、敬称は不要ですよ。今の自分はリンさんのクラスメイト――レドリックに通う一学生に過ぎません」


 会心の笑顔を披露したが……セレスさんは警戒を緩めるどころか、いっそう険しい表情を浮かべる。


「あなたは……どこまで・・・・知って・・・いるんですか・・・・・……? やっぱり私を殺しに来たんじゃ――」


「――安心してください、自分はセレスさんの味方です」


「……」


「……」


 二人の間に張り詰めた空気がただよう。


(うーん、困ったなぁ……)


 セレスさん、思ったよりもガードが固いぞ。

 親しげに話し掛けても、まったく好感度が上がらない。


(主人公の好感度なんか、適当に放っておくだけで、グングン上がって行くのにね……)


 人生ままならないモノだ。


 でも、大丈夫。

 ホロウ・フォン・ハイゼンベルクは『万能の天才』。

 戦闘はもちろんのこと、学術・芸術・交渉術などなど、あらゆる領域をカバーしている。


 当然、女性との会話だってお手の物だ。


(友人の親と打ち解ける話題……ふっ、アレ・・だね!)


 瞬時に『最適解』を導き出したボクは、飛び切り穏やかな笑みを浮かべる。


「――それにしても、優しい・・・娘さん・・・ですね・・・


 その瞬間、


「……ぇ……(そう言えば……どうして彼は、一人でここにいるの? まさか、リンを……っ!?)」


 セレスさんの顔が凍った。


「り、リンは……リンはどこにいるんですか!?」


「少し遠いところへ行きました」


 真性のおっちょこちょいであるリンは、お茶菓子を出していないことに今更気付いた。

 どうやらストックを切らしていたようで、「ちょっと待っててください! すぐに買って来ます!」と飛び出して行ったのだ。

 わざわざ買いに走るなんて、本当に優しい娘さんだね。


「お、お願いします……っ。私はどうなっても構いませんから、娘を――リンを返してください……ッ」


「心配なさらずとも、じきに帰ってきますよ」


「そう、ですか……よかった……っ」


 何をどう勘違いしたのか知らないけど、後五分もすれば帰ってくるよ。


「ホロウ様、私は……いったいどうすればいいのでしょうか……っ」


 セレスさんは今にも泣きそうな顔で、ボクの体にすがり付いてきた。


(あっ、いいにおい……じゃなくて――おそらくこの質問は、『例の研究』に対するモノだろう)


 どうやら彼女は、ボクが全てを掴んでいると思っているらしい。


 うん、正解だ。

 キミの置かれている状況について、ボクは完璧に把握している。


(さて、どう答えようかな……)


 親切にいろいろと教え過ぎたら、メインルートから外れてしまうかもしれない。

 かといって冷たく突き放せば、ただでさえ低い好感度がさらに下がってしまう。


 今ここで返すべき答えは――やはりこれ・・だろう。


「――セレス・ケルビー、お前は自分の正義を信じ、為すべきことを為せ。そうすれば、『救い』があるやもしれんぞ?」


「や、やっぱりホロウ様は、全てを知って――」


 セレスさんが目を見開いたそのとき――カランカランとドアベルが鳴った。


「どうやらリンさんが帰って来たようだ。自分はこの辺りで失礼します」


 話をバッサリと打ち切り、セレスさんの部屋を出ると、


「……う、う゛ぅ……っ」


 背後から、彼女の嗚咽おえつが聞こえてきた。


 ちょっと可哀想だけど、今はこうするのがベストだ。


(変にここで手を貸したら、『中途半端な助け』になってしまう……)


 大魔教団はしつこい。

 しっかり根本から『駆除』しておかないと、どこからともなくいてくる。


 今は苦しいだろうけど、後もう少しだけ頑張ってほしい。

 そうすればボクが、その地獄のような場所から、完璧に救い出してあげるからさ。


 それからリビングへ向かうと、息を切らせたリンと目が合う。


「はぁはぁ……ホロウくん、お待たせしましたぁ……っ」

 

 彼女の手にはお茶菓子らしき箱があり、その額には薄っすらと汗がにじんでいる。

 どうやら猛ダッシュで買って、猛ダッシュで帰ってきたようだ。


「すまないリン、ちょっと急ぎの用事が入ってな。屋敷へ帰らねばならなくなった」


 既に目的は果たした。

 もうこれ以上、ケルビー家に長居ながいする意味はない。

 すぐに『次の準備』を始めなきゃいけないからね。


「えっ、そうなんですか? でも、お母さんとのお話が……」


「いや、幸いセレスさんとは少しだけ話すことができた。ありがとう」


「いえいえ、それならよかったです」


「では、またな」


「はい、いつでも遊びに来てくださいねー!」


 ボクは左手をあげてこたえ、そのままケルビー家を後にする。


(よしよし、これで『フラグ』は立ったね!)


 ケルビー母娘おやこについて、今この時点でボクができることは、全て完璧にやり切った。

 リンとセレスさんのイベントは、この辺りでちょっと『熟成』させよう。

 こういうのはカレーと同じで、適度に寝かせた方がおいしくなるからね。


(だいたい一週間後くらいかな……?)


 おそらくそれぐらいの頃に、『あのイベント』が発生するはずだ。

『旬の時期』を逃さないよう、シュガーに連絡して、リンの監視を頼んでおくとしよう。


(さては……えーっと、そうだ。うちの屋敷で『密談』か)


 すぐに次のイベントへ頭を切り替えたボクは、<交信コール>を使い、『とある人物』へ念波を飛ばす。


(――俺だ。明日の夜、うちの屋敷へ来い。わかっていると思うが、誰にも見られるんじゃないぞ?)


(あぁ、承知した)


 端的に指示を出し、<交信コール>を切断。

 これでよし、後は明日のイベントに備えて、『台本』を用意しないとね!

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