第8話:家族

『携帯型猛毒カプセル』の有用性を確認したボクが、エリザのあごを掴んでいた手を放すと――彼女の体は重力に引かれて、前のめりにべちゃりと倒れた。

 形のいい大きな胸が潰れ、つやっぽい吐息が漏れる。


「しばらくそこで寝ておけ。三時間もすれば、動けるようになるだろう」


 エリザを見下ろしながら、そんな言葉を掛けると、


「くっ……殺、せ……。敵の、情けなど……御免、こうむる……ッ」


 彼女はそう言って、キッとこちらを睨み付けた。


嗚呼ああ……イイな、ゾクゾクしてきたよ。その強気な姿勢がどこまで持つか、一つ試してやろう――って、待て待てストップ!)


 エリザの胸元に伸ばし掛けた右手を慌てて引っ込め、ゆっくりと大きく深呼吸する。


(……あ、危なかった。今のは完全にまれていたぞ……ッ)


 このシチュエーションが、あまりにも刺激的過ぎて、思わず手を出すところだった。


(いやでもさ……今回はボク、悪くないよね?)


 エリザみたく『誇り高き清純な女騎士』が、あんな台詞を口にするのは、さすがに『レギュレーション違反』だ。


 そう、これはボクの落ち度じゃない。

 明らかに向こうサイドのミス……なわけないよね。


「はぁ……」


 思わず、ため息が零れる。


 ホロウ・フォン・ハイゼンベルクは、1000年に一人の天才だ。

 魔法・剣術・学問、何をやらせても、驚くべき速度で上達し、驚異的な成果を残す。


(それなのに……『煩悩ぼんのうを倒す修業』だけは、まるで効果が出ない……っ)


 ボクだって、何もしていないわけじゃない。

 最近はここを『重点注力分野』と置き、いろいろな手を打ってきた。

 座禅ざぜんを組んだり、瞑想めいそうをしたり、滝に打たれたり、やれるだけのことはやった。


 しかし、ロンゾルキアの魅力的なヒロインに迫られたり、今回のような刺激的なシチュエーションに遭遇したとき……どうしても抑えが利かなくなってしまう。


(……はぁ、困ったな……)


 このホロウボディは、膂力りょりょくや魔力といった『基本スペック』は最高なんだけど……とにかく女体にょたいに弱過ぎるのだ。

 しっかりと鋼の意思を持たなければ、いつかとんでもない過ちを犯しそうで怖い。


(ロンゾルキアのヒロインは、基本的にほぼ全員が『重い』……)


 もし一度でも手を出そうものなら、おそらく世界の果てまで追い掛けてくるだろう。

 まぁボクも四大貴族の跡取り息子として、一人の男として、そこで逃げるつもりは毛頭ない――きちんと責任を取るつもりだ。


 でも、今はまだ完全に自由な身で、ロンゾルキアの美しい世界を楽しみたい。


(フィオナさんにお願いして、情欲を抑える毒でも作ってもらうか……?)


 ……いや、そういうのはやめておこう。

 彼女が毒の調合に失敗して、ボクの巨龍が『使用不能』になった場合、きっと泣いてしまう。


 ボクは過酷な『ホロウルート』の攻略に成功し、『死の運命シナリオ』に打ち勝ったら――ヒロインと結婚するつもりだ。


(ニアか、エリザか、エンティアか、ダイヤを筆頭とする五獄ごごくの誰かか、それとも第三章以降に登場するヒロインか……)


 誰と結ばれるか、今はまだわからない。


 でも、ボクが好きになった人、ボクを好きになってくれた人。そんな『運命のヒロイン』に告白して、付き合って、デートして――結婚したい。

 子どももたくさん作って、温かくて楽しい幸せな家庭を築く。

 そして最期は……美しいロンゾルキアの世界で、みんなに看取みとられて安らかに死ぬ。


 そんな『最高のHappyEnd』を迎えるため、ボクは謙虚堅実に努力を重ねているのだ。


(とにかく――将来のことを考えるなら、自分の情欲は自分でコントールできるようにならないとね)


 強い決意を胸に秘めていると、視界の端に四つん這いの姿勢で、そろりそろりと移動する男が映った。

 今回の標的メインターゲット『切り裂きジェイ』だ。

 このどさくさに紛れて、逃げようとしているらしい。


「――おい、どこへ行くつもりだ?」


「ひ、ひぃ!?」


 彼の頭をがっしりと掴み、漆黒の渦へポイと放り込む。


 斬の魔法因子、ゲットだぜ!

 これでみんなの手に出来た豆が……じゃなかった。

 ボイドタウンの発展速度が、また大きく向上することだろう。


 そうして今回の目的を達成したところで――ふと気付いた。


「さすがにこれ・・は、ちょっと邪魔か」


 いくらここが人気ひとけの裏路地とはいえ、こんな道のど真ん中でエリザを寝かせていたら、通行の妨げになってしまう。

 仕方ない、路肩に寄せるとしよう。


 よっこらせっと、彼女を抱きかかえた。


「……やめ、ろ……離せ……ッ」


 エリザは恥辱に震えるが、もはやなんの抵抗もできない。

 ただボクにされるがまま、お姫様のように抱っこされている。


(けっこう重いな)


 見た目は細く見えるけれど、割と肉感のあるタイプだった。

 多分、男が一番大好きな体付きだろう。

 そして――エリザの肌は温かくて柔らかくて、まさに『女の子の柔肌やわはだ』。


(ふー、落ち着け……っ。毒で昏睡中のヒロインを襲うとか、そんなのは絶対に駄目だぞ……ッ)


 荒れ狂う強烈な情欲を必死に抑えつつ、彼女が頭をぶつけないよう、そっと道の端に寝かし付ける。


(これでよしっと)


 最低限のアフターフォローを済ませたボクが、この場を後にしようとしたそのとき――前方から二人組の大男おおおとこがやってきた。


「おい見ろよ! あの女エリザじゃねぇか!?」


「んー……おぉ! マジだ、マジもんのエリザだ!」


 二人はドタドタとエリザのもとへ駆け寄る。


「げへへ。この女、ほんといい乳してやがるな……っ」


「見ろよ、この綺麗な白い太腿ふともも! こりゃ上物だぜぇ……!」


 ……下劣げれつな会話だね。

 多分、このロンゾルキアに転生して以来、最も低俗ていぞくなモノだろう。


「俺の大切な舎弟が、こいつに捕まっちまったんだよなぁ……」


「俺の立ち上げた組織も、こいつに潰されちまった……」


「何があったかしらねぇが、あのエリザがこんな無防備な姿を晒してんだ」


「こんなチャンス、逃すわけねぇよなぁ!」


 下卑た笑みを浮かべた大男二人は、ズボンのベルトを緩めながら、エリザの体に手を伸ばす。


「や……めろ……っ。下種共げすどもが……私に、触る、な……ッ」


 エリザはそう言って、必死に抵抗の意思を示すが……完全に逆効果だ。

 その強気な言葉と態度が、男たちの獣欲じゅうよくをさらにき立てる。


(というか、まだ意識あるんだね。これ、龍が卒倒するレベルの猛毒なんだけど……)


 下手に肉体からだが強過ぎる分、薬の効果に抵抗できてしまっているらしい。


(でも……さすがにこれはちょっと嫌だな)


 エリザはロンゾルキアにおける人気ヒロインの一人であり、ボクも少なからずの愛着を持っているキャラだ。

 それがこんなところで、下卑た男たちのなぐさみ者になるのは――原作ファンとしてがたい。


「おい、お前たち、その辺にしてお、け……っ」


 その瞬間、電撃が走った。


(大きな太刀傷に龍の刺青いれずみ……それに二人とも、顔がそっくりだ。これは、もしかして……っ)


 慌てて手配書を取り出し、高速でパラパラとめくる。


 そして――見つけた。


【暴虐のマット兄弟】

・特徴:兄は目元に大きな太刀傷。弟は左腕に龍の刺青いれずみ。二メートル近い巨躯きょくを誇る、恐るべき怪力の持ち主。単独警邏けいら中に遭遇した際は、絶対に戦闘を避け、すぐに応援を呼ぶこと。

・犯罪歴:強盗・暴行・傷害、その他、軽犯罪多数。

・備考:マット兄弟は一卵性双生児であり、共に精鋭級エリートクラスの固有魔法<衝撃波クラッシュ>を持つ。


 ……いいじゃん。


 さっき捕まえた『切り裂きジェイ』が斬の魔法で岩を切り出し、『暴虐のマット兄弟』が<衝撃波>でそれを加工する――完璧な流れだ。


(犯罪歴も申し分ないし……キミたち、合格だよ)


 偶然にも優秀な人材を発見したボクは、早速リクルート活動を開始する。


「お前たち『暴虐のマット兄弟』だな?」


「あぁ゛、なんだてめぇ……?」


「俺たちゃこれから、『お楽しみの時間』なんだよ。ぶっ殺されたくなかったら、さっさと消えな!」


「そういきり立つな。俺たちはこれから、『家族』になるんだから」


 ヌポポン。

 マット兄弟は虚空に呑まれ、ボイドタウンへ送られた。

 多分あの二人は、何が起きたのかさえわかっていないだろう。


(よしよし、他人を吸い込む速度も、いい感じに上がってきたね)


<虚空>には『三種類』あって、それぞれ異なる性質を持つんだけど……いや、この話はまた今度にしよう。


「エリザは……っと、さすがにもう限界か」


 毒に抵抗する精神力が尽きたのか、彼女は完全に気を失っていた。


 いやそれにしても、今日は大漁だったね!


(毎日こうだと嬉しいんだけど……最近はちょっと動きづらいからなぁ)


 フィオナさんがホームルームで言っていた通り、聖騎士の見回りがかなり強化され、王都のあちこちに奴等の目があるのだ。

 実際に今日も、エリザの邪魔が入った。

 彼女は単独行動だったからよかったものの、もしも大部隊を引き連れていたら、撤退せざるを得なかっただろう。


(聖騎士協会が腐っているのは上層部だけ、真面目に働いている現場の聖騎士を連れ去るのは……違う)


 それはもうただの拉致・誘拐。

 虚空界に引きり込む相手は、しっかりと厳選し、重罪人だけにしている。

 こういう自分の中の基準は大切だ。

 そこを曖昧にしたら、人間としての『大切な軸』がブレて、いつかただの『化物』になってしまう。


(でも、真剣に鬱陶うっとうしくなってきたな……)


 これ以上、聖騎士協会をのさばらせては、今後のボクのプランに――『主人公モブ化計画』に支障をきたしてくる。

 聖騎士の懐柔を急がなくてはならない。


(とりあえず今は……エリザをどうにかしなきゃ)

 

 このまま彼女を放っておいたら、またさっきのような暴漢に襲われてしまう。


(そう、だな……聖騎士の詰め所にでも飛ばしておくか)


<虚空渡り>を発動し、聖騎士協会王都支部に接続したそのとき――彼女の胸ポケットから一枚の写真が零れ落ちた。


「ん……?」


 それは古びた『家族写真』。

 柔らかく微笑む幼い頃のエリザと優しい顔をした老夫婦と多くの子どもたちが写っている。


「これって確か……エリザが育った孤児院の……」


 その瞬間、


「――くくくっ、これは使えるぞ・・・・


 邪悪で優秀なホロウブレインが、またよからぬことを思い付いた。


(エリザを利用すれば、『聖騎士懐柔計画』を大幅に短縮できる!)


 しかも、それだけじゃない。


(上手く慎重にコトを進めれば……厄介な王都の聖騎士たちを全員、ボクの支配下に置くことだって可能だ!)


 エリザの妨害を受けたとき、正直「あぁ今日はついてないな」と思ったけど……。

 ところがどっこい、『超絶ラッキー』じゃないか!


(後はそう……ハイゼンベルク家の屋敷でもうじき発生する、『例のイベント』を待つだけ)


 ふ、ふふふっ……素晴らしい、最高の展開だ!


『流れ』は今、ボクにある!


 この勢いに乗って、第二章を一気に駆け抜けるとしよう!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る