第25話:刻限
極悪貴族ホロウ・フォン・ハイゼンベルクに大敗を喫したニアは、
「……」
帰りの馬車では一言も発さず、失意のままエインズワースの屋敷に戻った。
ボロボロの体を引き
「なんで……どうして、あんな最低な男に……っ」
ホロウに負けた理由は、単純にして明白、彼があまりにも強過ぎたのだ。
天性の
しかし、そんな全てに恵まれた男は――怠惰にして傲慢だった。
試合が終わった直後、
「さすがはホロウ様、見事な戦いぶりでございました」
「ふん、当然だ」
ホロウは美しいメイドを
(……っ)
これ以上ないほど、惨めな気持ちだった。
自分は死ぬ気で努力してるのに、ホロウはどうせ遊んでばかりなのに、何故こんな差があるのか……。
この世界は理不尽だと思い知らされた。
絶望のどん底に叩き落とされたニアは――それでも諦めなかった。
もしここで自分が折れてしまったら、今も魔力を搾取され続けている子どもたちは、いったいどうなってしまう?
彼らが必死に戦っているのに、自分だけ楽になることは……そんな甘えた道は許されない。
(もっと頑張って努力して、強くならなくちゃいけない。ホロウよりも、ゾーヴァよりも……っ)
ニア・レ・エインズワースは、高潔にして清廉な気高い精神の持ち主だった。
それから八年後、レドリック魔法学校で『運命的な再会』を果たす。
「……っ」
特進クラスの教室に『奴』が入って来たとき、比喩表現ではなく、本当に体が凍った。心臓がギュッと掴まれるような思いだった。
風の噂で聞いていた。
ホロウ・フォン・ハイゼンベルクが、レドリック魔法学校の首席合格者であることは。
無駄に整った顔・人を見下した真紅の瞳・どこか気怠げな姿、あの男は八年前から何も変わっていない。
一瞬にして嫌な記憶がフラッシュバックする、殴られ蹴られ
(……だ、大丈夫。アレはもう過去の話。今はもう絶対に私の方が強い……っ)
頭を小さく横へ振り、トラウマを忘れようとした。
その後、
「――アレン・フォルティス、あなたのような
不安と恐怖と苛立ちから、
彼は白服でありながら、例外的に特進クラスへ振り分けられたことで、ちょっとした有名人となっている生徒だ。
ニアがレドリックに入った目的は、優秀な魔法士たちの揃った環境で研鑽を積み、ゾーヴァに勝てるだけの力を身に付けること。
そこにアレンのような異分子が混ざっているのは、確かに少し気に障るところではあるが……。
こんな風に喧嘩を売るのは、平時の優しいニアからは考えられない行いだ。
もしかしたら、少しでも自分を大きく見せようとしていたのかもしれない。
そうしてアレンとニアが言い争いしていると、ホロウが割って入ってきた。
正直――怖かった。
ニアの体には、ホロウという
それでも気丈に振る舞い、なんとか必死に言い返した。
そして――。
「ホロウ・フォン・ハイゼンベルク、あなたに『序列戦』を申し込むわ!」
臆病風に吹かれた自分を奮い立たせるため、クラスメイトの前で序列戦を申し込んだ。
これでもう逃げ場はない。
(大丈夫、絶対に勝てる……っ。あいつに負けてから八年、私はずっと努力してきた。だから……大丈夫。もうあんな惨めったらしい思いはしないッ!)
そして――再び敗れた。
(なんで、どうして……っ)
怠惰で傲慢なホロウに勝てるよう、謙虚に堅実に頑張ってきた。
それなのに……むしろ両者の力の差は、広がっているようにさえ思えた。
ニアは自室に引き籠り、ベッドの上に倒れ込んだ。
そして――白いシャツをはだけさせ、柔らかな胸にそっと手を当てる。
(……また成長している……)
もう、あまり時間は残されていない。
極秘裏に調べた結果、ゾーヴァの狙いが<原初の炎>であることは突き止めた。
どうやら<原初の炎>と<原初の氷>を融合させることで、『最強の固有魔法』を再現しようとしているらしい。
また、因子の融合には『莫大な魔力』を必要とするようで、ゾーヴァはそのために重病の子どもたちを治療の名目で集め、『生きた魔力源』として活用せんと目論んでいる。
ニアの体が完成すれば、彼女は<原初の炎>を抜かれ――殺される。
その後は、用無しとなった子どもたちを証拠隠滅とばかりに処分するだろう。
もちろんその際は、死ぬ気で抵抗するつもりだが……。
同い年の学生にさえ劣る現状、稀代の大魔法士ゾーヴァ・レ・エインズワースに勝てるとはとても思えない。
「……誰か、助けてよ……っ」
それから一週間が経ったあるとき、
「――ホロウ・フォン・ハイゼンベルク、キミに序列戦を申し込む」
噂の予科生アレン・フォルティスが、突如ホロウに序列戦を挑んだ。
(あの
そんなの自殺行為だ。
下手をすれば殺される。
どうにも気になったニアは、地下演習場へ足を運び、二人の戦いをこっそりと観戦した。
ホロウは相も変わらず舐めた男で、<
一方のアレンは、
(うそ、ホロウの<
自慢の
しかし……最後の最後で、ホロウはその膂力でさえも上回って見せた。
(……ひ、酷い……っ)
思わず、アレンに同情してしまう。
目の前に勝機をぶら下げて、わざと僅かな活路を残して、最後にそれを一番残酷な方法で没収していく――それがホロウのやり方だった。
極悪貴族
結局はいつも通りの結末、まるで予定調和のように彼の圧勝で終わる。
しかしそれでも、あのアレンという予科生には、何か『光るモノ』を感じた。
(彼と戦えば、何か『ヒント』が得られるかもしれない……っ)
そう考えたニアは、放課後にアレンを河川敷へ呼び出し、純粋な決闘を申し込む。
結果は――惜敗。
「ふぅ……私の負けよ」
「ギリギリのいい勝負だったね」
戦いが終わり、互いの健闘を称え合う。
その後は、ちょっとした感想戦を行い、握手を交わして
ニアは屋敷に帰る前、河川敷に架かる橋を軽く覗いてみた。
(……誰もいない、よね……?)
アレンと戦っているとき、橋の上から「ぐ、ぉ、ぉ……っ」という奇妙な
そう判断したニアは今度こそ帰路に就き、
「……く、糞ったれェ……っ」
ちょうどその橋の隅っこで、四つん這いになって頭を抱えるホロウは、『世界の修正力』にぶち切れていた。
それから数日が経ったあるとき、
「ねぇ……どうしたら、私はもっと強くなれると思う?」
そんな相談事をアレンに持ち掛けてみたところ、
「それだったら、ホロウくんにお願いして、修業を付けてもらうのはどうかな?」
およそ想像だにしない答えが返ってきた。
「……はぁ……?」
ニアの口から、なんとも間抜けな声が漏れ出す。
「あ、あれ……? ボク、なんか変なこと言ったかな……?」
「アレン、落ち着いてよぅく考えてみてちょうだい。あの天上天下・唯我独尊・怠惰傲慢を具現化したような男が、私のお願いなんか聞くと思う? どうせあいつのことだから、『何故この俺が、貴重な時間を割いてまで、そんな面倒なことをせねばならん』とかなんとか言って、馬鹿にしてくるだけよ」
「あ、あはは……っ。確かにホロウくんはちょっと口が悪いけど、本当はとても優しい人と思うよ? 真剣にお願いすれば、きっと
「そんなわけないでしょ。アレンは知らないと思うけど、私は八年前の武闘会で、ホロウに大恥を
ニアはそう言って鼻を鳴らしたが……意思の強いアレンは、自分の意見をはっきりと口にする。
「昔のことは、ちょっとよくわからないんだけど……。今のホロウくんは、やっぱり優しい人だと思う。入学式のときも、予科生の人達を助けていたみたいだし」
「ホロウが……人助け……?」
ニアの頭は
『ホロウ』と『人助け』――相反する意味を持つ二つの言葉が、同じ文脈に並んだことで、特大の
一方のアレンは「ボクがその場にいたわけじゃないんだけど」と前置きしつつ、当時のことを語り始める。
「確か『入学式の少し前』って言っていたかな? ボクと同じ
「……う、うそ……っ」
ニアは動揺を隠せなかった。
「本当だよ。ボクの友達が一人、ちょうどその場にいたんだ。しかもホロウくんってば、『
「あのホロウが……予科生を助けた……」
しかし、アレンはつまらない嘘をつくタイプじゃない。
ニアは冷静に考えてみる。
(……確かに……殴られなかった)
最も記憶に新しいのは、ホロウと構えた摸擬戦。
極悪貴族ホロウ・フォン・ハイゼンベルクは、自分に
徹底的に痛めつけ辱め、ボロ雑巾のようにして嘲笑う。
(あいつ、何もしてこなかった……)
自分があれだけ一方的に猛攻撃を仕掛けたにも関わらず、ホロウは全く反撃してこなかった。
『俺のことは詮索するな』と忠告したきり。
それ以後、特に嫌がらせのようなことも受けていない。
(確かに……変だ)
自分の知っている『過去のホロウ』とレドリックで会った『現在のホロウ』には、大きな『ブレ』がある。
残された時間は、後一か月あるかどうか。
悩んでいる暇さえ惜しい状況だが、これといった手立てもない。
(認めたくないけど、ホロウは『万能の天才』。もしもあいつに修業を付けてもらえるのなら……)
『
(一か八か、試してみる価値はある……っ)
ニアはすぐに筆を取り、ホロウの机に手紙を入れた。
その日の放課後、化学準備室に彼を呼び出し――恥もプライドも捨て、必死に頼み込んだ。
「――お願いホロウ、私に魔法の修業を付けてちょうだい」
生まれて初めて、同い年の異性に頭を下げた。
最初はすげなく断られた。
それでも必死に食い下がって、なんとか交渉に持ち込んだ。
しかし……ホロウは文字通り、全てを知っていた。
自分の秘密はおろか、エインズワース家の暗部も、極秘事項である魔法因子の融合研究さえも。
必死に搔き集めた交渉材料は、どれも
ニアにできることは、ただただ必死に頼み込み、ホロウの恩情に
「……私にできることならなんでもする。あなたの言うこともなんだって聞く。だからお願い、私に魔法の修業を付けてください……っ」
我ながら下策だと思った。
どうせこんなことをしたって、
しかし、奇跡が起きた。
「……はぁ、いいだろう」
あのホロウが、自分の願いを聞き入れてくれたのだ。
「……ありがとう……本当にありがとうっ!」
それからすぐに修業が始まった。
ホロウの課す修業は本当に過酷で、一日のうちに何度意識を失ったかわからない。
だが、
「す、凄い……っ。これが本当に……私の魔力……!?」
その効果は絶大だった。
彼の指示に従っているだけで、自分がどんどん強くなっていくのがわかる。
(悔しいけど、やっぱりこいつは凄い。他の魔法士とは『モノ』が違う……!)
ただ、一つだけ意外なことがあった。
(なんというか……『いい意味で普通』だ)
確かに口は悪いけれど……自分が思っていたよりもずっと、ホロウは『人間味』があった。
「ねぇ明日の一限って、なんだっけ?」
「魔法
質問を投げれば、普通に返してくれる。
「フィオナさんって、美人で頭が良くてかっこいいよね。私、憧れちゃうな」
「お前……もう少し人を見る目を磨いた方がいいぞ?」
日常会話を振っても、意外と普通に返してくれる。
ただ……、
「私の修業を見てくれてるとき、いつも<
「詮索はなしだ」
相も変わらず秘密主義で、自分のことは話したがらない。
(でも、そっか……。ホロウも、私と同じ人間なんだ)
他人の不幸と絶望を食べる、悪魔のような男だと思っていた。
しかし、先入観を取っ払って、その懐に飛び込んでみたら、ホロウはむしろ話しやすかった。
彼に抱いていた恐怖心は、自然と日ごとに薄れていく。
そうして一週間・二週間・三週間と経つ頃には、ホロウと修業をする時間を楽しみにしている自分がいた。
「えへへっ。どう、凄い魔力でしょ?」
「まぁまぁだな」
「ふふっ、ありがと」
これまでずっと一人だったニアにとって、誰かと一緒に修業をするのは、とてもとても楽しかった。
しかし……幸せな時間というのは、そう長く続かない。
「よし、できた! これで魔力制御は完璧! ふふっ、ホロウの驚く顔が目に浮かぶ――」
彼女が自室で修業をしていると、コンコンコンとノックの音が響いた。
「――ニアお嬢様、旦那様がお呼びです。地下の実験室まで来るように、と」
「……そう、わかった。すぐに行くわ」
ゾーヴァから呼び出しを受けた。
おそらくは週に一度の定期検査。ニアの体に<原初の炎>がどれだけ馴染んだか、それをゾーヴァがテストするのだ。
ただ、そんなことをせずとも、彼女はもう知っていた。
自分の体が……既に完成してしまっていることを。
今日の検査でそれが明らかになれば、すぐに大儀式の準備が始まり、明日にでも『因子融合』が執り行われる。
「……そっか。楽しかった時間も、今日で全て終わりなんだ……」
ゾーヴァとの決戦は明日。
(明日が私の人生の――十五年間の集大成。絶対に勝つ、子どもたちのためにも、勝たなきゃいけない。たとえこの身が滅んでも、『
ニアは壮絶な決意を胸に秘め、ゾーヴァの元へ向かった。
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