怠惰傲慢な悪役貴族は、謙虚堅実に努力する~原作知識で最強になり、破滅エンドを回避します~

月島秀一

第1話:悪役転生


「――あっ」


 昼食を取っているとき、ふと思い出した。


 ここはゲームの中のファンタジー世界。

 しかもボクは『主人公』じゃなくて、『悪役貴族』ホロウ・フォン・ハイゼンベルク。


 そんなとんでもない事実が、驚くほどすんなりと頭に入ってきた。


「……マズい」


 ボクの原作知識が正しければ、このホロウという悪役貴族は――。

 そこまで思考を巡らせたところで、給仕担当のメイドが勢いよく頭を下げた。


「も、申し訳ございません……っ。ホロウ様の御口に合うよう、すぐに作り直しますので、どうかお許しください……ッ」


 絶望に顔をくもらせた彼女は、何度も何度も頭を下げる。


「あっいや、今の『マズい』は、そういう意味じゃなくて……。システィさんの料理は、とてもおいしいですよ」


 メイドの名前が、自然と口をいて出た。


「わ、私なんかの名前を……っ。それに敬語だなんて……!?」


 システィさんは驚愕に目を見開き、信じられないといった表情で後ずさる。


(……しまった、今のは軽率な発言だったかも……)


 メイドの名前を覚える。

 メイドに敬語を使う。

 どちらも、原作ホロウではあり得ない行動だ。


「旦那様を呼んで来なくちゃ……!」


 顔を真っ青に染めたシスティさんは、慌てて部屋から飛び出そうとする。


「ま……待て待て、落ち着け! ボクは至って正常――」


「ぼ、『ボク』ぅ!?」


 そう言えば……ホロウの一人称は、『俺』だったな。


「あ゛ー、ゴホン。は至って正常だ。父に報告することは何もない……いいな?」


「か、かしこまりました」


 彼女はそう言って、ペコリと頭を下げた。


 ひとまず騒ぎを落ち着けたところで、中断していた食事を再開する。

 とてもご飯を食べるような気分じゃないけれど、このまま手を付けずに退出したら、またよからぬ疑念を持たれかねない。

 それに何より、せっかくの料理が無駄になってしまう。


「ときにシスティ、今日は何年何月の何日だ?」


「えっと、聖暦せいれき1009年3月5日です」


「そうか」


 原作ホロウは聖暦1000年に生まれた。

 つまりこの体は今9歳ということだ。

 ボクの知る限り、ホロウが最速で死ぬのは11歳。

 まだ後2年の猶予がある。


(ひとまず落ち着いて、現在の状況を整理しよう)


 昼食を取り終えたボクは席を立ち、システィさんに目を向ける。


「少し考えごとがある。部屋には誰も入れるな」


「やはりどこか具合が……!?」


「問題ない。お前は普段通り、自分の仕事をしていろ」


「か、かしこまりました」


 彼女は異を唱えることなく、慇懃いんぎんに頭を下げたが……あまり納得のいっていない顔だ。

 おそらくは不信感をぬぐい去れていないだろう。


(一人称は『俺』にして、臣下への敬語は禁止……。大変だけど、徹底しないとな)


 ダイニングを出て、そのまま自室へ向かう。

 ハイゼンベルクていの構造は、ゲームとまったく同じだった。

 そのおかげもあって、迷うことなく自分の部屋に戻ることができた。


 扉にしっかりと鍵を掛け、ベッドにバタンと倒れ込む。


「……おいおい、マジかこれ……」


 この世界は、超マルチエンディングRPG『ロンゾルキア』。

 日本の大企業&作家連合が制作し、世界的メガヒットを叩き出したゲームだ。

『みんなが主人公! モブキャラなし!』のうたい文句通り、全てのキャラクターに個別ルートが用意され、星の数ほどのエンディングが存在する。


「現実世界のボクは死んだのか? それとも生きたまま魂だけが転移してきたのか?」


 まぁ、どっちでもいいや。

 現実世界に未練はないしね。

 幼い頃に両親を亡くし、天涯孤独だったボクにとって、このロンゾルキアこそが世界リアルだった。

「嬉しいか?」と問われれば、答えはもちろん「Yes」だ。

 腹の底から湧き上がる高揚感は凄まじく、気を抜けば小躍りしてしまいそうになる。

 でも、これだけは言わせてほしい。


「なんっで! よりによって、『ホロウ』なんだよぉおおおおおおおお……ッ!?」


 ホロウ・フォン・ハイゼンベルク。

 剣術・魔法・学問、あらゆる才能に恵まれた正真正銘の天才。

 しかしその性格は、怠惰たいだにして傲慢ごうまん

 自らの才能に溺れ、努力をおこたったがゆえ、主人公に敗北する……だけに留まらない。

 ホロウはあらゆるルートで死亡する、破滅エンドが約束された『歩く死亡フラグ』。


 ボクはよりにもよって、この悪役貴族に転生してしまった。


「このままじゃ破滅する……っ。予定調和の運命『シナリオ』に殺される……ッ」


 すぐにでも手を打たなければ、あっという間にバッドエンドを迎えるだろう。


「……落ち着け、冷静になろう」


 上体を起こして、大きく深呼吸。

 ホロウに転生したという過酷な現実を受け止める。


「最優先目標は――とにかく生きることだ」


 原作ホロウは、世界に中指を立てられた存在。

 おそらくこの先、幾多の試練がボクを殺しにくるだろう。


(でも……こっちには『原作知識』がある!)


 ボクはこのロンゾルキアというゲームが大好きで、青春の全てを注ぎ込んだ。

 もちろん全キャラの全ルートをクリアしたわけじゃないけど……。

 それでも主要なものは、ほとんど履修済みだ。

 だから、ホロウがどういう死に方をするのかも知っている。


(原作知識で死亡フラグをへし折り、大量のバッドエンドを回避して、美しいロンゾルキアの世界を満喫する!)


 そのためにはやはり――。


「――謙虚堅実に努力して、強くならなきゃな!」


 ロンゾルキアは多くのRPGに漏れず、剣と魔法のファンタジー世界。

 ここで生き抜くためには圧倒的な『個』が、他を寄せ付けない『武力』が必要だ。

 その点、原作ホロウは『最強の資質』を備えているので、ある意味うってつけのキャラと言えるだろう。

 まぁ……生来の怠惰傲慢な気質が災いして、その才能を開花させる前に死んでしまうんだけどね。

 彼と同じてつを踏まないためにも、謙虚堅実を心掛けなくちゃいけない。


「とりあえず――ステータス」


 修業を始める前に自分の『初期ステータス』を確認しておこうと思った。

 しかし、待てど暮らせど、ステータスウィンドウは表示されない。


「ということは――スキル」


 当然、スキルウィンドウも出てこない。


「……なるほど、そう来たか」


 ステータス&スキルウィンドウが存在しないということは……。

 ロンゾルキアのキャラクター強化システム――①敵を倒して経験値を獲得→②レベルアップしてステータス上昇&スキルポイントをゲット→③スキルポイントを割り振って、新たな技や魔法を習得――これが通用しないということだ。


 となれば、ボクはどうやって強くなればいい?

 パッと思い付くのは、『練度』や『習熟度』を高める、とかか?


 まぁこの辺りの詳しい仕様は、トレーニングの過程で調べるとして……。


「問題はどの道に進むか、だな」


 ロンゾルキアには、騎士・盗賊・僧侶・レンジャー・ネクロマンサーなど、100を超える職業が存在する。

 調伏士テイマーになって魔獣を使役したり、商人になって会社を経営したり、探検家になって秘境を探索したり、いろいろと楽しいルートがある。


 でも、今ボクが必要としているのは、シンプルな強さだ。


「そうなるとやっぱり……剣士と魔法士か」


 初級職の剣士と魔法士を極め、上級職の魔剣士を目指す。

『遊び』は一切持たせない。

 ただ強くなることだけを目指したガチビルドを組もう。


「剣と魔法、どっちから始めようかな……」


 最終的には両方極める予定だけど、最初から同時並行して進めるのは効率が悪い。

 まずは一つの道に絞って鍛え上げ、そこそこ形になってから、残りを手掛けた方がいい。


(確か『洗礼の儀』が行われるのは10歳、まだ後一年ちょっとあるな)


 それならば先に、剣から触った方がいいだろう。


 幸いハイゼンベルク家うちには、剣術の達人である執事長オルヴィン・ダンケルトがいるしね。

 オルウィンさんの剣術スキルは、ゲーム内でも最上位レベル。

 彼の師事を請えば、最高効率で剣を修めることができるはずだ。


(今は十三時か。この時間だと……庭先で木々の手入れかな?)


 早速オルヴィンさんのもとへ行こうとしたそのとき、備え付けの大きな姿見が目に入った。


「……凄いな、本当にホロウ・フォン・ハイゼンベルクだ」


 ホロウ・フォン・ハイゼンベルク、現在9歳。

 赤髪のミディアムヘア、後ろ髪を長く伸ばし、髪紐で軽くまとめている。

 身長は135センチぐらいで、引き締まった体付き。

 宝石のような真紅の瞳・形の整った綺麗な鼻・色のよい切れ長の口、上は紺色のシックなジャケットを着て、下は黒いシンプルなズボンを穿いている。


(原作ホロウ、ほんと顔だけはいいんだよな……)


 性格はドブだけどね。


 髪を軽く整え、服の皺を伸ばし、屋敷の外に出る。

 周囲をキョロキョロと見回しながら、広大な庭園を歩くことしばし、木々の剪定せんていいそしむオルヴィンさんを見つけた。


(うわぁ、本物だ……っ)


 オルヴィン・ダンケルト、63歳。

 身長185センチ、清潔感のある短い白髪。

 りの深い顔・大きく厳つい目・整えられた白いひげ燕尾服えんびふくの上からわかるほど、しっかりとした分厚い筋肉が付いている。


「オルヴィンさ……ゴホン、オルヴィン、今ちょっといいか?」


 喉元まで出掛かった敬称を飲み込む。

 祖父と同年代の人を呼び捨てにするのは、かなり抵抗があったけれど……これはもう慣れていくしかない。


「坊ちゃま、いかがなされましたか?」


「お前に一つ頼みたいことがある。突然だが、剣を教えてほしい」


「んなぁっ!?」


「ど、どうした?」


「いえ……ホロウ様が命令ではなく、頼むだなんて……っ」


 そう言えば、ホロウは人にモノを頼むことがなかった。

 あいつはいつも上から目線で、偉そうに命令していたっけか。


「あ゛ー……そうか、そうだったな。俺が間違っていた」


「ぬぅおぁ!?」


「こ、今度はなんだ?」


「ホロウ様が、自らの非を認めるだなんて……っ」


「……」


 言葉を失った。

 まさかここまで酷いとは……。


 それと同時に納得した。

 確かに、こういう最低な奴だったな、と。


(とりあえず……しばらくの間は、怠惰傲慢なホロウを演じよう)


 急に人が変わったように丸くなれば、周囲から怪しまれてしまう。

 実際についさっき、メイドのシスティさんには、かなりの不信感を抱かれてしまった。

 臣下の者には、敬称と敬語を使わない。

 何かを頼むときは、基本的に全て命令形。

 しばらくはこの路線で進みつつ、徐々に態度を軟化させていくとしよう。


「オルヴィン、俺に剣を教えろ」


「それはもちろん構いませんが……。いったいどういう風の吹き回しですか?」


「別に、ただの気まぐれだ」


「なるほど」


 原作ホロウらしい回答を受け、オルヴィンはすぐに納得した。

 その後、ボクたちは稽古場へ移動し、刃をつぶした模擬刀を取る。


「まずは基礎練習から……っと申したいところですが、気の早いホロウ様のこと、実戦をお望みかと愚考します」


「えっ? あっ、あぁ……当然だ」


 普通に基礎練習から頼みたい、と言える空気じゃなかった。


 三メートルの距離を取り、互いに剣を構える。


「では、行きますよ?」


「あぁ、いつでも来い」


 そうして摸擬戦が始まった。


 三分後、


「ふむ、まぁこんなものか」


「ば、馬鹿な……っ」


 ボクは悠々と剣を鞘に納め、オルヴィンさんは四つん這いで地を見つめる。

 双方の頭の位置が、勝敗を如実に表していた。


(我ながら、本当に規格外だな……)


 ホロウ・フォン・ハイゼンベルクは、想像以上に想像以上だった。


 莫大な魔力・圧倒的な膂力りょりょく・悪魔的な頭脳、基礎スペックがチート過ぎる。

 実際のところ、オルヴィンさんは強かった。単純な剣術の技量では遠く及ばない。


 ただ……莫大な魔力×天性の膂力による暴力が、磨き抜かれた剣技を食い潰してしまった。

 例えるなら、ボクがゴリラでオルヴィンさんがリス。

 肉体フィジカルの強度があまりに違い過ぎたため、剣術というスキルの介入する余地がなかったのだ。


(しかし……オルヴィンさんという強敵を倒したのに、レベルアップした感じがないな)


 ボクの記憶によれば、現時点における原作ホロウのレベルは5前後。

 オルヴィンさんを倒した経験値で、軽く10レベは上がってもよさそうだけど……その感覚はまるでない。


 その代わり、剣が手によく馴染む。

 ステータス・スキルウィンドウが表示されず、レベルアップの兆候もないことから判断して――この世界で強くなるポイントは『練度』と見ていいだろう。

 地道な修業がモノを言う、リアル指向の強化システム。 

 うん、いいね。

 謙虚堅実を標榜ひょうぼうするボクにぴったりだ。


 そんなことを考えていると、


「……そんな、あり得ない……っ」


 オルヴィンさんの口から、無念の言葉が零れ落ちる。


 無理もない話だ。

 何せ、剣を握ったばかりの初心者に敗れたのだから。


 でも、ここで勘違いしちゃいけない。

 ボクはただ、膂力と魔力という才能で勝っただけ。

 単純な剣術では、オルヴィンさんの足元にも及ばない。


(きっとこういう『間違った勝利の積み重ね』が、油断と慢心を醸成し、原作ホロウという悲しい化物を生み出したんだろうな……)


 努力しない天才は、努力した凡才に敗れる。

 どれほど優れた才能があろうとも、それを磨かなければ宝の持ち腐れ。


(逆に言えば、努力する天才は、文字通り『最強』! ボクはあらゆる慢心を捨て、地道に強くなるんだ!)


 そのためには今、オルヴィンさんの力が必要だ。


「――オルヴィンよ。その剣、何年と磨いた?」


 原作と同じ台詞が、自然と口をいて出る。


「……我が生涯、その全てを捧げたものでございます……っ」


 失意に満ちたオルヴィンさんは、絞り出すようにそう答えた。

 生まれつき魔力をほとんど持たない彼は、ただひたすら地道な修業を積み、原作でも最高クラスの剣術スキルを持つに至った。

 その愚直な在り方は、気高く美しい。

 謙虚堅実を志すボクが、はんとすべきものだろう。


 しかし――原作ホロウは、ここでオルヴィンさんを嘲笑あざわらった。


【ぷっ、くははははっ! 生涯を懸けた剣だぁ? そりゃまた随分と軽い一生だなァ!】


 侮蔑ぶべつと嘲笑の限りを尽くし、彼の歩んだ剣の道を叩き折ったのだ。


 ボクはそんなもったいないことはしない。


「生涯を懸けた剣、か。道理で美しいわけだ」


「……今、なんと……?」


 オルヴィンさんは、驚愕に顔を上げる。


「聞こえなかったのか? お前の剣は美しい、と言ったのだ」


「な、何を仰いますか……っ。私の剣なぞ取るに足らぬ些末なモノ。ホロウ様の剣の方が、遥かに優れて――」


「いいや、俺の剣はまるで駄目だ。こんなものはただ魔力さいのうを振り回しているだけ、まったく理にかなっておらん」


「け、決してそのようなことは……っ」


「見え透いた世辞せじはよせ。もしもお前に俺と同じだけの魔力があったなら、こんな不格好な剣を振っているか?」


「……っ(確かにそうだ……。ホロウ様の剣術は、お世辞にも褒められたものじゃない。もしも私に坊ちゃまのような大魔力があれば、決してあのような大味な戦い方はしない)」


 オルヴィンさんは、言葉を詰まらせた。


「オルヴィン、お前が生涯をした剣。この俺が引き継ぎ、いただきへ導いてやろう。そのための案内役を頼めるか?」

「……」


 返事がない。


(あっ、もしかしてヤバイか……?)


 原作ホロウに成り切って、随分と上から目線でモノを言ってしまった。今のはさすがに口が過ぎたかもしれない。


「あ、あー……すまん、少し乱暴に言い過ぎ――」


「――身に余るお言葉、感謝の言葉もございません……っ。不肖ふしょうオルヴィン・ダンケルト、全身全霊を以って、先導役を務めさせていただきます!」


「え、あっ……うん、よろしく」


 こうしてボクは、オルヴィンさんの師事を受けることになった。


「まずは剣の握り方、握手をするように右手で柄を持ち、その下へそっと左手を添えてください」


「ふむ」


「基本の構えは正眼、頭の天辺から糸を垂らすような意識です」


「なるほど」


「斬撃の肝は体重の移動、しっかりと腰を据え、流れるように斬ります」


「こうか」


 剣の握り方・基本の構え・斬撃の心得などなど……基礎から応用まで、徹底的に叩き込んでもらった。


 あっという間に一年が経ち、ついにその時が訪れる。


「では、始めるぞ?」


「はい」


 庭園に立ったボクとオルヴィンさん、お互いの視線が静かに交錯する。

 穏やかな日差しが全身を照らし、鳥のさえずりが響く中――まるで取り決めでもあったかのように、二人同時に駆け出した。


「ハァ!」


「ぬぅん!」


 互いの模擬刀が激しくぶつかり合う。

 魔力による膂力強化は使わない、純粋な剣術による一騎打ち。


 一合いちごう・二合・三合、硬質な音が響き、赤い火花が舞い散る中、


「シィッ!」


 オルヴィンさんは深く踏み込み、鋭い突きを放ってきた。


 ボクはそれを剣先で優しく迎え入れ――刀身の腹を滑らせながら、大きく一歩前に踏み込み、袈裟斬りを繰り出す。


「ハッ!」


「ぬっ!?」


 オルヴィンさんの剣は、未だ戻りの半ば。

 防御の術を持たぬ彼は、咄嗟にサイドステップを踏み、寸でのところで難を逃れた。


好機チャンス!)


 剣こそ引き戻ったものの、オルヴィンさんの体勢は崩れている。


 ボクは間髪かんはつれずに距離を詰め、そのまま烈火の如く攻め立てた。


「ハァアアアア!(押し通る……!)」


「ぬ、ぉおおおお……!(一手、遅れる……ッ)」


 激しい連撃の果て、


「そこだッ!」


「しまっ!?」


 オルヴィンさんの鉄壁のガードが、僅かなほころびを見せた。


(よし、これで……!)


 ボクは大上段からの斬り落としを放ち、初めての勝利に手を掛ける。


 しかし、


「まだッ!」


 オルウィンさんは空いた左手を盾とした。


 模擬刀といえども材質は鉄。


「ぬ、ぐ……ッ」


 骨の砕ける音がにぶく響き、年季の入った顔が苦悶に歪む。

 しかし、彼の動きには微塵の揺らぎもなく、流れるように踏み込んできた。


 片腕を捨てたその一手は、勝ちに拘ったその一着いっちゃくは、あまりにも泥臭く――美しい。


おれの勝ちだッ!」


 オルヴィンさんは、かつてないほど活き活きとした顔で、渾身の斬撃を放つ。


 こちらの虚を突いた一撃。

 普通、これに反応することはできない。


 だが、ボクは知っている。


 オルヴィンさんが、死ぬほど負けず嫌いだってことを。

 いざとなれば片腕を捨ててでも、勝ちにくるということを。


「見事な執念だ」


「なっ!?」


 横一線。

 ぎの斬撃が空を走り、武骨な手から剣が離れた。


 カランカランという乾いた音が響く中、しわの入った喉仏に切っ先がスッと添えられる。


「――俺の勝ち、だな」


「――はい、御見事でございます」


 魔力を用いない、純粋な剣技による決着。

 最初の敗北とは違って、オルヴィンさんの顔は晴れやかだった。


「まさか一年で追い抜かされてしまうとは……さすがは坊ちゃまです」


「ふん、当然だ」


 ボクは原作ホロウに成り切り、素っ気なく言い放つ。

 でもなんとなく、オルヴィンさんには伝わっている気がする。

 彼の指導のおかげだということが、ボクの感謝の気持ちが。


「さて、私には『最後の仕事』が残っておりますゆえ、この辺りで失礼させていただきます」


 全てを出し尽くした彼は、どこか吹っ切れたように微笑み、屋敷の玄関口へ足を向ける。


(私の役目は終わった。私の生きた証は――この剣は確かに、ホロウ様が継いでくださった。もはや思い残すことは何もない。後は旦那様にこの辞表を出し、いとまをいただくとしよう)


 すれ違いざま、


「――さようなら、ホロウ様」


 オルヴィンさんが何かを呟いたような気がしたけれど、春のつむじ風に呑まれて消えた。


(……最後の仕事ってなんだ?)


 特に思い当たるイベントはないけど……まぁいいや。


 それよりも今は――。


「――おい、明日は何時だ?」


「……えっ……?」


 オルヴィンさんはゆっくりと振り返り、何やらえらく呆けた顔で固まった。


「何度も同じことを言わせるな。明日の稽古は何時からだ、と聞いている」


 修業の締めは摸擬戦。終わったら、明日の時間を決める。

 これがいつもの流れだ。


(もしかして……負けたショックが大き過ぎたのか? ……しまった、もっと気を遣うべきだったな)


 ボクが自分の浅慮を恥じていると、


「……っ」


 オルヴィンさんはわなわなと小刻みに震え出し、目尻に大粒の雫が浮かぶと同時、それを隠すようにバッとひざまずいた。


「わ、悪い……っ。気が回らなかった、今はゆっくり休んでく――」


「――ホロウ様の・・・・・お心遣い・・・・、しかと受け取りました。このオルヴィン・ダンケルト、生涯を賭してお仕え申し上げます」


「えっ……? あ、あぁ、よろしく頼む」


 ……なんだかよくわからないけど、オルヴィンさんからの忠誠が限界を突破していた。

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