本当に非常識なのは、労る心を知らぬ者と向上心のない者だ

星咲 紗和(ほしざき さわ)

本編

現代の日本社会では、インターネットとSNSの発展により、誹謗中傷や攻撃的なコメントが日常的に目に付くようになりました。特に、目立つのは誰かがちょっとしたミスや過失をしたときに、匿名の人物たちが群がるかのようにその人を非難し、叩く行為です。しかも、多くの人が「常識」という言葉を盾にして他者を攻撃することを正当化しているかのようです。しかし、こうした人たちが掲げる「常識」とは何なのでしょうか。本当に彼らが「正しい常識」を持っているのでしょうか。


私が考える本当の「常識人」とは、他人に対する労りの心を持ち、自分もまた成長しようとする向上心を持つ人です。他者の過失を無闇に責め立てるのではなく、理解と共感を持って接することができる人。そして、自分自身も変化を恐れずに前に進もうとする人です。ですが、SNS上ではその逆の行動が散見され、他人の失敗や不安に対して冷たく反応し、自分を正当化しようとする人が多く見受けられます。なぜ、人はここまで攻撃的になってしまうのでしょうか?


一つには、彼らが自分自身に自信がないことが挙げられるでしょう。攻撃的なコメントや誹謗中傷をすることで、自分が正しく、他人よりも優位であると感じられるため、瞬間的な自信を得ることができるのです。これは一時的なものであり、根本的な自信には繋がりませんが、それでも瞬間的な自己満足に依存してしまうのです。そして、SNSという匿名性の高い空間が、彼らの攻撃的な行動を促進し、現実世界ではできない行動が簡単に行える場を提供しています。


さらに、こうした人たちは、自分自身の行動や習慣についてはほとんど考えようとしません。彼らは、歩きタバコや信号無視といったマナー違反を平然と行いながらも、自分が「常識的」な人間だと信じ、他人を攻撃することに躊躇がありません。このような行為は、彼らが労りや共感といった人間らしい感情を欠如していることを物語っています。彼らにとっては、他人がミスをすることが自分の存在を強化する機会であり、そのためにはどんな手段も正当化されるのです。


また、こういった人々の行為は、現実社会でも見られます。職場や学校などで、他人の努力や成長を冷ややかな目で見て、批判する人がいます。たとえば、上司や同僚から「それ、常識的にどうなの?」と、根拠のない決めつけで責められることがあります。「このくらいできて当然だ」という言葉も、彼らの無意識の自己防衛の現れです。彼らは、他人の努力や成長を見たくないのです。それは、他人が向上することで自分の立場が相対的に低下することを恐れているからです。こうした人々は、他者を支え、共に成長しようという姿勢が欠けており、これこそが本当の「非常識」であると言えるでしょう。


私たちは、こうした攻撃的な人たちに対して無駄にエネルギーを使うべきではありません。心理学的な観点からも、自己肯定感が低い人々は他者に攻撃的になりがちであり、彼らを変えるのは難しいとされています。彼らが他人を攻撃する行動は、自分の劣等感を隠すためのものであり、根本的な解決にはなりません。むしろ、関わらずに距離を置くことが、最も効果的な対処法です。とはいえ、こうした人たちはどこにでも存在し、完全に避けることは難しいでしょう。そのため、私たち自身が強い心を持ち、彼らの攻撃に屈しないようにすることが重要です。


私たちが目指すべきは、他人を労り、自分自身も常に成長しようとする姿勢です。SNSや現実の場で、他人の失敗や成功を冷静に受け入れ、共感を持って対応することが、本当の「常識」なのです。批判ばかりしている人たちに振り回されるのではなく、自分の人生に焦点を当て、他者を支えながら成長していくことで、私たちはより健全な社会を築くことができるでしょう。

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