第三話 南京町

 

          ◯



 駅の南側に位置する中華街、南京町なんきんまち

 それを抜けた先に、『問題児』の住むマンションは建っている。


「なあ。桃まんだけ買ってってもいいか?」


「やめとけ。ニオイするやろ。今から人んに上がるんやぞ」


 道の両脇に並ぶ屋台や中華飯店を、天満は物欲しそうな目で眺めている。

 しかし兼嗣の言う通り、これから他人——血縁者ではあるが——の自宅に上がり込むことを考えると、あまり香りの強い食べ物を口にするのははばかられる。


「なら、お前もガムは口から出しとけよ。クチャクチャ音立ててたら失礼だろ」


「わかっとるわ」


 兼嗣は苛々した様子でガムを取り出して紙に包む。

 やはり口は寂しいようで、この分だと禁煙はおそらくまだ順調とは言えないのだろう。


「ほら、見えてきたで。あそこや」


 二人が進む先には、二十階ほどある縦長のマンションがあった。

 どうやらここに件の少年がいるらしい。


 そこでふと、天満が気づく。


「そういえば、今日は平日なのに家にいるのか? まだ小学生なんだろ。学校は?」


「お前なあ。何も聞かされてへんのか? 『問題児』は今、昏睡状態で入院しとんのや。やから俺らが今から会うのはその家族や。二歳の妹がおるから、母親はその世話で家におるやろ」


「昏睡状態?」


 予想外の言葉に、天満の顔色が変わる。


「二週間前かららしいわ。朝起こそうとしたら全然起きんくて、そのまま意識が戻らんねんて。病院で検査しても悪い所は見つからん。医者もお手上げらしいわ」


「なるほどねぇ」


 体に異常はない。

 しかし意識は一向に戻らず、目ぼしい原因も見当たらない。


 そして、少年は永久家の遠縁に当たる。


「昏睡状態に陥った原因が本人の呪詛だとすれば、一体何がきっかけで呪いを生み出したのか。その謎を解き明かせってことだな」


 二人はマンションのエントランスに入ると、兼嗣がインターホンで部屋番号を押した。


「あ、どうもー。私、先日ご紹介いただきました『岡部おかべかおる』と申します」


 お笑い芸人さながらの営業トークで兼嗣が言った。

 『岡部薫』というのが彼の偽名らしい。

 スピーカーの向こうからは部屋主の女性の声が返ってくる。


「ああ、岡部さん。お待ちしておりました。いま鍵を開けますので、そのまま入ってきてください」


 安堵と焦りとがぜになったような声だった。

 すぐにオートロックが解除され、入口の扉が開く。


 どうやらすでに根回しは済んでいるらしい。

 こういう段取りの良さだけは無駄にスキルが高いんだよな、と天満は内心悪態をつく。


「にしても、『岡部薫』か。……くくっ」


 エレベーターで上階へと向かう途中、天満は堪え切れないといった様子で肩を震わせた。


「なんや。何がおかしいねん」


「いや、別に? 思ったより可愛らしい名前にしたんだなーと思って。本名が渋いから、その反動かなーって」


「『東雲しののめ悠人ゆうと』も大概たいがいやろ。ええか。部屋に入ったら俺は岡部、お前は東雲。間違っても本名で呼ぶなよ。怪しまれたら後々面倒やからな」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る