第十話 カラクリ時計

 

 時計台はまず屋根の部分がせり上がり、次に時計の部分がくるりと半回転して、裏側から一人の女性の人形が現れる。

 小説『坊っちゃん』に登場するヒロイン・マドンナだ。


「……このカラクリ時計、母と一緒によく見に来とったんですよね。小さい頃」


 周囲のざわめきに紛れて、弥生がどこか遠い目をして言った。

 その瞳の先にはきっと、十二年前に亡くなった母親の姿が映っているのだろう。


「母は体が弱くて。そのことは、私もよう知っとったのに。私は、暇さえあればこの時計を見に行きたい言うて、母を家から連れ出してました。いつも無理をさせとったと思います。それ以外にも、色んなワガママを言うて。その度に母は無理をして、体調はどんどん悪化して。……私さえおらんかったら、母はもっと生きられたと思います」


 それは、あきらかな懺悔ざんげの言葉だった。


 自分のせいで母親が死んでしまった。

 自分さえいなければよかった。

 自罰的なその思いは、『呪い』を生み出す条件としては十分である。


「しかし、あなたのお母上は交通事故で亡くなったのですよね? お体の不調と、事故は関係ないのでは?」


「母はあの日、歩道を歩いとったときに目眩を起こして倒れたんです。運悪く車道側に飛び出す形で倒れて、そこに車が通りがかって……」


 その先を、彼女は語らなかった。

 おそらく、母親の命の灯火が消える瞬間を、幼い彼女は目の当たりにしてしまったのだろう。


「直接的な原因やなくても、私は、母の命を奪ったも同然です。やから、『私さえおらんかったら』って考えたことはあります。自殺願望って、そういうのも含まれるんですかね」


 呪いの原因は母親の死に関係している。

 それ自体は間違いないと天満も確信していた。

 弥生の言う『自分さえいなければ』という後悔の念こそが、呪いを生み出したのは間違いない。


 しかし、一つだけ腑に落ちないことがある。

 母親が亡くなったのは十二年も前のことなのに、なぜ今になって呪いが発生してしまったのか。

 きっかけとなった何かがあるはずだが、今はまだ、その正体がわからない。


 時計台は雅な音楽とともにさらに高さを増し、中から主人公である坊っちゃん、下女であるきよ、学校の教師陣や道後温泉の客など、多くの登場人物の人形が姿を現す。


「私、このカラクリ時計のことは子どもの頃から好きでしたけど、『坊っちゃん』の原作を読んだのは結構最近なんです。学校の友達も、全文読んだ子はあんまりおらんくて。東雲さんは読んだことあります?」


「ええ。夏目漱石は有名どころはほとんど読みましたよ。特に『こころ』は何度も読みましたね。読んでいるだけで、こう……自分の心の底を覗き見られているような気がして、良い意味で鳥肌が立ちます」


「私も『こころ』は最近読み切りましたけど、あれはちょっと……怖かったですね。登場人物が二人も自殺したでしょう。人が亡くなるときって、あんな感じなんですかね」


 やがてカラクリ時計の人形たちは役目を終え、奥へと引っ込んでいく。

 最後に残ったマドンナが、録音された音声で市内の観光スポットを案内して、再び時計の裏側へと消えていった。

 

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