第五話 母

 

「失礼。ちょっと電話がありましたので、席を外してもよろしいですか?」


 天満は一度断りを入れてからその場を離れた。

 ベンチにぽつんと残された弥生を遠目に見ながら、会話の声が届かない位置まで歩く。


「もしもし、璃子か?」


 着信ではなく、こちらからの発信で璃子に繋ぐ。


「おや天満さま。あなたの方から電話をかけてくるなんて珍しいですね。いつもは私が鬼電してもなかなか出ないくせに」


「速水弥生と接触した。悪いが至急、彼女の家庭環境についてわかる範囲で調べてくれ。特に両親に関する情報を詳しく知りたい」


「あら。もう接触したんですか。珍しく寄り道しなかったんですね。今日は槍でも降るんですかねえ」


「いいから早くしろ。頼んだぞ」


「天満さまが焦るなんて、ますます珍しい。よっぽど問題児の状態が思わしくないんですね。わかりましたよ。この優秀な璃子が迅速に親類縁者の情報網を——」


 ピッ、と終了ボタンを押して一方的に通話を切る。

 スピーカーの向こうでは今ごろ璃子が舌打ちをしているだろうが、天満は構わずベンチへ戻った。


「お待たせしてすみません。それで、何でしたっけ。ええと、そうそう。お母上が亡くなってしまったのは……残念でしたね」


「いえ。もうずっと昔のことですから。私もまだ幼稚園やったけん、記憶も曖昧ですし。車を運転してた人も悪い人やなかったと、父も言うてました」


 弥生は一六タルトの包みを開け、小さな口で控えめに齧る。

 天満も坊っちゃん団子の包みを開け、三つ連なった小さな団子を一口で頬張った。


「弥生さんも相手の方とはお会いになったのですか?」


「小さい頃に何度か。でも、顔はもうあんまり覚えてません。未だに手紙や菓子折りが届くと父は言うてますが、そんなことされても……母は戻って来ませんし」


 最後の方は、どこか自嘲的な声色が含まれていた。


「すみません、母の話ばっかりして。話が逸れてまいましたね。ええと、私が命の危険を本気で感じたっていうのは、お風呂でのことがあった日の翌朝なんです。部屋で寝てたら、急に誰かに首を絞められて」


「首を?」


 いきなり直接的な被害を提示され、天満は思わず身を乗り出す。


「明け方のまだ暗い時間帯で、顔はよく見えんかったんです。首を絞められたまま私が暴れてたら、別の部屋から父が飛んできて……。でも、犯人はいつのまにかおらんなってたんです。父も怪しい人物は見んかったって。警察にも届けたけど、誰かが出入りした形跡もないし、夢でも見たんと違うかって」


「夢、ですか」


 天満は呟きながら、先ほど駅前であったことを思い出す。

 弥生が自ら線路に立ち入り、列車の下に潜り込んだ。

 しかしその一部始終を、彼女は覚えていない。


「夢なんかじゃありません。私の首に、しっかりと手の跡があったんです。本当に、誰かが私を殺そうとしとったんです。信じてください!」


 涙目で必死に訴える弥生。


「信じますよ」


 彼女の震える両肩に手を置いて、天満は宥めるように言った。


「あなたは嘘は吐いていない。あなたを殺そうとした犯人がいます。そして、殺そうとするのには必ず理由がある。動機さえわかれば、じきに真実は見えてきます。一緒にこの謎を解き明かしましょう」

 

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