綾瀬穏香の恋バナ的な ~footage~

北見崇史

第1話

「うわあああ」

 朝比南高校へと向かう坂道で、一人の男子高校生がよろけた体勢のまま、しまりのない声をあげた。忍者のように気配を消して背後に近づいた女子高生が、彼に膝裏カックンを食らわせたのだった。

「修二、隙ありっ」

 女子高生くノ一は、得意げにピースサインをする。  

 上谷修二(かみやしゅうじ)がため息をつきながら、その場にくノ一を残して歩きだした。

「あ、待ってよ。シカトすんなってさ」

 島田友香子(しまだゆかこ)が、すぐに後を追った。

「なんだ、友香子だったか」

「ああ友香子だよ。あたしじゃダメなのかい。めっちゃ可愛いクラスメートで悪かったな」

 そう言って、島田友香子はヘラヘラと笑った。

「いや、そこまで褒めたたえてないし」 

「あ、あそこにアダムスキー型の空飛ぶニャンコみたいなUFOが、焼きそば食ってるよ」

「うそ、どこ、どこだよ。見えないぞ」

 修二がバカ正直に探していると、友香子は抱きつくように彼の腕を掴んだ。

「あははは、そんなのあるはずないだろう。ユーフォーが焼きそば食うかよ」

 底ぬけに明るい友香子の笑いにつられて、修二も笑いだした。さらにその笑いに触発されて、友香子の笑いが倍になった。二人は爆笑しながらじゃれ合っていた。

「今日は焼きそばっていうより、肉まんの気分だな。帰りに買って行こう」

「あ、それ、あたしの分もよろしく」

「それはない」

 えー、ケチといいながらも、友香子は修二とくっ付いて登校するのだった。



 上谷修二と島田友香子は二年A組のクラスメートである。二人が教室へ入ったときには、すでに始業時間間際だった。

「やっば、ぎりぎりになちゃった」

「友香子とバカ話しながら歩いてたら、すっかり遅れちゃったよ」

 修二と友香子は、急ぎ自分たちの席についた。窓側の最後列付近が彼らの縄張りだった。

「よう、棟梁。朝から夫婦漫才かい」

 修二の小学校からの友人である田原雄太が、からかうように言った。

「そんなんじゃないよ」

 いつものように軽くあしらっていると、そこに一人の女子生徒がやってきた。

「ねえ上谷君。十文字君はまだかな」

 修二にそう言ったのは、A組というクラスのフェローをしている綾瀬穏香(あやせしずか)である。

 フェローとは、そのクラスでもっとも勉学に優れている者に与えられる名誉であり、学級委員長の職務をすることになっている。成績が良いだけではなく、真面目で温厚、責任感が強く、事務処理能力が高い綾瀬は、誰もが認めるエリート生徒であった。

「さあ、わからないよ。また今日も遅刻じゃないのかなあ」

「そう。それは困ったわ」

 綾瀬が心配しているのは、十文字隼人(じゅうもんじはやと)という男子生徒だった。A組のフェローとして責任感の強い彼女としては、遅刻ばかりの同級生を気にしていた。担任からもそれとなく言われているので、なおさらだった。ちなみに十文字隼人の席は、修二の隣である。

「ケイタイにかけてみたら」

 横から友香子が口をはさんできた。

「私、十文字君の番号知らないから」綾瀬は首を振った。

「それだったら修二が教えてくれるってさ」

「いやまってくれよ。俺は知らないぞ」

「ええー、なんで知らないんだよ」

 友香子は役立たずを見るような冷たい目線を飛ばした。修二は申し訳なさそうに首を横に振る。ならばと、田原を見た。

「いや、俺も知らないぞ。ってか、アイツ持ってないんじゃなかったけ」

「そんなのあり得ないじゃん、いまどき。原始人かって」

 四人が困った顔をして固まっていると、チャイムが鳴った。綾瀬は仕方なく自分の席に戻った。それでもチラリチラリと振り返って、十文字の席を見ていた。

 ほどなくして担任が教室に入ってきた。二年A組を受けもつのは、近藤愛子(こんどうあいこ)教諭である。

 昨晩の一人深酒により、少しばかり表情がどんよりしていた。前席の生徒が、本日の女教師の機嫌がどのあたりをさ迷っているのか、顔色をチェックしていた。

 朝礼が終わり全員が着席した。愛子担任が、ぐるりと教室内を見回した。

「また一人いないぞ。どうなってるんだあ」

 今日の機嫌は泥沼の岸辺をさ迷っているなと、前席の生徒は首をすくめた。

「フェローは、昨日注意したんじゃなかったのか」

「すみません」

 綾瀬が起立して謝罪した。

 じつは昨日の放課後に話をする約束だったのだが、十文字が一方的にすっぽかしたのだった。自分のミスでもないのに皆の前で叱責されて、綾瀬は悔しくてたまらなかった。その利発で可愛らしい瞳がうるうるしている。

「いやいや、フェローの責任ではないから。悪いのはあの男で、綾瀬さんはなんともないのよ」

 クラスの優等生に八つ当たりして泣かせてしまっては、担任としての評判が地に落ちてしまう。生徒たちに嫌われるのは本望でないし、あとあと教頭の耳にでも入れば面倒なことにもなるからだ。  

「はは、はは、はは」

 近藤教諭が笑ってごまかしていると、教室の後ろのドアが、たいへん申し訳ございません、とばかりにそうっと開いた。そして一人の男子生徒が無言で、お魚くわえた野良猫のような忍び足で、しかし教壇の方向にはけして顔を向けず、自分の席へと向かっていた。 

「は~い十文字君。おはようだねえ。そんなに急いでどこに行くんだい。まずは、この二年A組の担任たる愛子先生に、なにか素晴らしいご挨拶があってもいいんじゃないかなあ」

 その男子生徒は立ち止まった。

「あ、お、おはようございます」

「あれ~、それだけかい。先生はもっと君の声を聞きたいのだよ。とくに遅刻の理由なんかをね」

 笑みを浮かべた近藤教諭の顔が、時間の経過とともに真逆の表情へと変化していた。これはマズい、シバかれると十文字は悟った。

「い、いや、あの、そのう、なんてゆうか吹雪がたいへんで」

「いまは冬じゃないぞ」

「ふ、吹雪で電車が遅れるみたいに、どういうわけか今日の電車が遅れてしまって」

「おまえは徒歩通学だろうが」

「徒歩というか、それはですね、あのう、ええっと、タヌキが、いや黒猫が目の前を通りすぎたとおもったらじつはハクビシンで、それはじつに複雑な出来事で簡単にいうと」

「一行で言え」と言って、女教師は手にした長定規をバシッと教壇に叩きつけた。

「はい、寝坊しました」

 教室の後ろで直立不動の体勢で固まる男子のもとへと、教師愛子はツカツカと足音を立てながら近づいていった。そして手にした定規を彼のアゴに当てて、さらにそれをクイっと上げた。

「ああ~ん。寝坊しましたって、これで何回連続なんだ。おまえは眠り姫か」

 サディスティックな声が教室の中に響いた。これは朝から面白い見せ物だと、クラス中がワクワクしている。

「す、すみません。づみません」

 十文字は、とりあえず謝ることに全力を出した。

 近藤教諭はケンカ上手として知られていた。酒場での酒乱っぷりを複数の父母に目撃されている。ガラの悪いDQNたちを蹴飛ばし、店から叩き出したとして名を馳せていた。

「まあ今日のところは勘弁してやろう。私も鬼じゃないからねえ。だけど罰として、放課後に化学室と準備室の掃除だな。徹底的にやれよ。もちろん一人でな」

「えー、そんなことは」と言いかけた十文字の鼻先に、長定規がビシッと突き付けられた。

「文句あっか」

「いえ、ありません。がんばります」

 こうして、二年A組の朝の行事は無事に終わった。ほどなくして通常通りの授業が始まった。

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