左手の国と6人の怒れる男

伊吹

左手の国と6人の怒れる男

1.背景

我が左手の国では生後間もなく国民は皆左利き・右利き診断が下され、利き手の手首に印が押される。生まれつき左利きの人間が70%、成人してから左利き証明書を申請したものが25%、申請を受理されたものが5%、稀に成人してから右利き証明書を申請する者もおりこれが2%、従って成人において左利き以外の人間の割合は27%となる。


従来左利き以外の人間ーー即ち右利きは未成熟で劣った存在と見なされ、投票、左利きとの婚姻、移住、国家資格の受験、専門性の高い職業への就職などが制限されていたが、長い社会闘争、解放運動、リベラルデモクラシーによりこれらの差別的待遇は撤廃され、今や右利きは左利きと同等の政治的、社会的地位を認められるようになった。


今回の訴訟は一流企業M××××社においてその割合3%の右利きの従業員が、これまで陰湿なハラスメントに晒されており、その給与も左利きより40%も低いことを告発するものである。原告のA氏はM××××社の本社ビジネスインテリジェンス部門の従業員であり生まれつき右利きである。


M××××社は世界的にもリベラルな社風で知られており、A氏の訴訟内容を「事実に基づかない」として否定している。第一審地方裁では5年に渡る決議の上この告発は退けられ被告に無罪が言い渡された。原告はこれを不服とし控訴、上級裁判所において陪審員裁判が開かれる。陪審員は公正を期するために、現実社会での左利き・右利きの構成比と同じ割合で召集された。なお、審理は陪審員の有罪と無罪が1:1比となる時無効とされる。


2.審理

Y××上級裁判所陪審員審理室。円卓に様々な色のソファが6つ並んでいる。


ブラウン「それでは、この訴訟について有罪か無罪か投票しようじゃないか」


グレー「まて、きみが議長なのか?」


ブラウン「誰もはじめようとしなかったから私がはじめたまでさ」


ブラック「誰が議長でもいいよ」


ブルー「さっさと投票して帰ろうぜ。今日はZ×××のナイターがあるんだ。今期は3連敗記録中さ」


ブラック「投票はもちろん匿名だろうな」


ブルー「…なんだこの空調機は壊れてるじゃないか」


ブラウン「ここに空のチョーク入れがあるからここに入れてくれ」


グレー「まあきみが仕切ればいいさ」


ブラウン「皆入れたか?ああ開票するぞ」


レッド「なんでもいいから早くしろ。こんな裁判は無罪で終わりさ」


(ブルー氏席を立ち窓を開ける)


ブルー「ああ…暑くてたまらない。くそっ土砂降りじゃないか」


ブラウン「無罪、無罪、無罪、無罪、無罪、…有罪」


ブルー「なんだと誰が有罪に入れた」


ブラック「おい、投票は匿名が基本だぞ」


ブラウン「意見が分かれているので公平に審理しようじゃないか」


レッド「審理することなんかあるもんか。どうせ俺たちが有罪にしたところで、最高裁で無罪になるさ」


ブルー「馬鹿馬鹿しい。早く帰ろうぜ。…有罪に投票したのは誰だ?」


(ホワイト氏が静かに手をあげる。一同、はっとしたように注目する)


レッド「有罪に入れたのはあんたか。いったい何故だ?あんたはM××××社は故意にA氏のペイを低くした証拠がどこにある」


ホワイト「いえ、確証はないんですが、陪審員として選ばれた以上、審理して判決を下すのが我々の義務ではないかと思ったまでです」


ブルー「義務?あっはっは!」


ブラック「なるほど最もな意見じゃないか」


レッド「なにが最もだ、いくら審理してもなんの意味もない。お前は右利きなのか?」


ホワイト「いえ、私は生まれつき左利きです」


ブラウン「ふーむM××××社が有罪として、その根拠は?」


ホワイト「まず、右利きが左利きよりも40%も給与が低いことが事実として挙げられますよね」


レッド「単に右利きの人間は能力が低いからなんだろう。M××××社は実力主義で有名だからな」


ブラック「M××××社には右利きの人間が3%しかいないな」


レッド「M××××社には一流の人間しか入れないからな。」


ホワイト「その3%しかいないという事実そのものが右利きが就職市場で排除されている帰結ではないですか」


ブルー「なんでもいいよ、ナイターが始まっちまう」


グレー「右利きの人間は知能が低い。大卒者にたった30%しかいないんだ」


ブラック「あなたは差別主義者なのか?私は右利きだが大学院卒だ」


グレー「傾向を言ったまでさ。全員がそうだと言ったわけではない」


ホワイト「それは実数値だからでしょう。大卒率は右利きも左利きもともに70%だったはず。全体の30%ならむしろ右利きの方が多いくらいでしょう」


(ブラウン氏、スマホを操作しながら)


ブラウン「確かにそのようだね」


グレー「しかし右利きは特権を利用して大学に進学しているだろう。高校卒業時全国試験でスコアを全員50点上乗せされている」


ホワイト「右利きの職業差別が問題になったのはたったの20年ほど前で、20年前には専門性の高い国家資格の受験資格すらありませんでした。親の年収格差は子供の教育格差を産みます」


レッド「そんな資格はごく一部だろう。能力的に劣っているから稼げないのさ」


ブルー「なんだっていいよ、早く帰ろう」


ブラウン「話が混乱してきた。ここらでもう一度投票しないか?」


グレー「いいだろう」


(6人、投票する)


ブラウン「それでは開票する。…無罪、無罪、無罪、有罪、無罪、有罪」


ブルー「増えてるじゃないか!」


レッド「いったい誰だ」


ホワイト「投票は匿名です」


(ブラック氏、手を挙げる)


グレー「自分が右利きだからか」


ブラック「それは今関係ない。ホワイト氏の意見を聞いて考えを変えただけだ」


レッド「右利きは感情的にしかものを考えられないからな」


レッド「右利きは左脳で、左利きは右脳でものを考えるからな。左脳はクリエイティブだが論理的思考は苦手なんだ」


グレー「左脳人間だの右脳人間だのそれこそ非科学的さ」


レッド「なんだと」


グレー「科学的じゃないと言ったのさ」


レッド「先週のABCチャネルでやっていたから確かさ」


ブラック「ワイドショーじゃないか」


レッド「ワイドショーだからなんだ。ミスターグッドマンはペーパーバッグを10万部も売ってるんだぞ!」


ブラック「よしてくれ、あまりに馬鹿馬鹿しい。あんなインチキ男のインチキアジテーターを根拠にされてもな。頭痛がしてきたよ」


(レッド氏、激昂する)


レッド「もっと社会問題について勉強したらどうだ!私は生物学にも詳しいんだぞ!」


ブラウン「まあまあ…」


(ブラック氏、大笑い)


ブラック「素人の書いたペーパーバッグを読んで生物学に詳しいとは恐れ入ったよ!」


レッド「話の通じない馬鹿だな!くそったれ!だから右利きの人間なんかみんなクソなんだ!」


ブラック「なんだと?」


レッド「右利きの人間なんか、ろくな人間がいやしない!この間も右利きの人間がマンションに越してきて迷惑を被っているんだ!最近ゴミ捨て場のマナーが悪いと思ったら、案の定だ!」


ホワイト「右利きの人がマナーを守らないことをしたところを見たのですか?」


レッド「見てないが、見るまでもなく右利きのやつらの仕業さ!あいつらは頭が悪く、下品で、他人への思いやりがなく!最近犯罪が増えているのも右利きの人間が増えたからさ!あんな奴らは早く国から追い出して仕まえばいいんだ!」


グレー「あなたは差別主義者なのか?」


レッド「俺はリベラリストさ!ただ右利き人間が生まれつき劣っているという事実を指摘しているだけさ!劣っているから給料だって低いんだ!文句があるならこの国から出て行け!」


ホワイト「聞くに耐えない。私は差別主義者の言葉を聞く気はない」


(ホワイト氏、退席し、トイレに向かう)


レッド「お前!やっぱり右利きなんだろう!嘘つきやがって!この国に利き手を偽っている右利きがどれだけいることか!」


グレー「申し訳ないが私も退席させてもらう」


(レッド氏、さらに激昂する)

(グレー氏、退席し、トイレに向かう)

(ブラック氏、退席し、壁のポスターに見入る)

(ブルー氏、退席し、外の雨を眺める)

(ブラウン氏、退席し、外の雨を眺める)


(レッド氏はしばらく激昂していたが、最早何を言っても5人は返事をしなかった)


レッド氏「もう、勝手にしろ!」


(レッド氏はソファごと窓辺に移動して不動の体勢をとった)


(ホワイト氏、グレー氏、ブラック氏、ブルー氏、ブラウン氏が再び着席する)


ブルー「ああこんなに時間がかかるとは。もうナイターも終わってる」


グレー「もう一度投票するか」


ブラウン「あのう」


(ブラウン氏、手を挙げる)


ブラウン「考え直したのだが、有罪に投票しようと思う」


ブルー「俺は無罪だ」


ブラック「有罪」


ホワイト「有罪」


グレー「無罪。それでは、有罪3無罪3、審理無効ということでよいだろうか」


ブラック「それでいいんじゃないか」


ブルー「俺はなんでもいいよ」


ホワイト「異論ありません」


ブルー「どうせ次の審理で無罪になるだけさ」


3.審理後

Y××上級裁判所エントランス


グレー「先ほどはどうも」


ホワイト「どうもどうも」


グレー「意義深い審理をありがとう」


ホワイト「こちらこそ、…ひとつ質問なのですが、あなたは右利きが劣っていると?」


グレー「その通り」


ホワイト「失礼ですが、そのう、トイレで見てしまったのですが、あなたは右利きですね?」


グレー「そうとも」


ホワイト「それでもあなたも劣っていると?」


グレー「私は傾向の話をしているだけだよ」


ホワイト「はあ」


グレー「ところで名前を聞いても?」


ホワイト「私はデイヴィッドです」


(ホワイト氏、グレー氏、熱い握手を交わす)


4.判決

A氏がM××××社に利き手による給与差別を長期に渡って行っていたという訴訟は控訴審の陪審員裁判で審理無効とされた。3ヶ月後、新たに陪審員が招集され、再審理となる。

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左手の国と6人の怒れる男 伊吹 @mori_ibuki

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