Gagate kNight

@toya_m

Overture

第1話

貴人の死別を告げるカリヨン(鐘)の音が、夕暮れ時のエンセィド大公国に斉鳴した。

そう広くない領土、その中心地にあるベイトラシュ・アシュインの大聖堂。

奏でられる離別の旋律が、続いて城下の六大主教座寺院で鳴り始める。


そしてその各主教座寺院の追鳴を聞いた地区長寺院が、同じ音階でカリヨンの縄を引き操り、さらに城下の外へと波紋のように悲色の和音を鳴り響かせて国中に訃報を知らしめていく。


 がら…りぃん から…ん りぃ…ん ごろ…ぉん


誰が為にぞ鳴るやこの鐘――否、それは問うまでも無い。

大公国すべての成人が知っている。


泣き崩れる貴賤の娘、数あまた。

――何故、彼が――


老若問わず、多くの者が嘆息を漏らす。

――やはり身罷られてしまわれた――


聖俗の諸侯が項垂れる。

――アッシーネの『証刃』をもってしても救えなんだか――


 ガールットナ家の当主と、ベイトラシュ・アシュインの首座巫女に続いて3人目の犠牲だ。影獣騎士達の手にも負えないほどの凶事。それがかの誉れ高き『ガゲート・ナイト』まで及んだのだ。

 彼を救うべく指揮を執ったアッシーネ家の当代当主も無事では済まなかったと言う噂が、市街の嗚咽と溜息に混じって囁かれて、隣家から隣家へ伝播していく。唯一、何も知らぬ無邪気な子供たちだけが、あの鴉の濡羽色の髪を持ち、漆黒の装束を纏う憧れの騎士が、明日こそは自分たちの町村へ足を運んでくれるかもしれないと、期待し続けていた。


 しかし、その『ガゲート・ナイト』こと現宰相第一子がヴィルツリード・マグィレイシュは、『影』に囚われてエンセィド大公国より姿を消した。




 ――数年後。


細く、若い月が白銀の光を鋭く放ち、森に陰影を作り出している。

その樹々の影が大きく揺れた。

さらに葉枝を掠めて揺らして、黒い雑音が風のように駆けていく。

右手前方。

樹の壁に弾かれ、遠くへ行ったかと思うと、ざぁぁと音を立てて左の方向から音がする。


その『黒い雑音』は、己が罠に追い込まれたことに気が付いた。

これ以上先へ行くことはできない。

そうなると、あとは自暴自棄になって暴れ出すのみ。

見えない壁にぶつかったように弾かれて、大きく翻って進路を変える。

しかし。


出せる限りの速度を持って別の「壁」に衝突し、再び弾き飛ばされ、出口を探して樹々を揺らす。

・・・もはや逃げられやしないと言うのに。

儚い姿の月が、されど強くまばゆく輝き、森に濃い陰を落としている。

風に揺れて、森の陰が蠢く。

逃げ回る『雑音』を追い詰めるように、一段と濃い闇色を纏った『影』が地面を滑るように這い、樹の幹を嘗め、枝葉の間を染め侵していく。

『雑音』が木枝を薙ぎながら、左右にジグザグに弾かれながらこちらへやってくるのを察して、真鍮色の髪の男が、その前に立つ者に声をかけた。


「当主代理」

男に声を掛けられて頷き返すは少年。

後ろで結んだ赤毛を揺らし、長めの短剣を手にして。

そして少年はおもむろに空いた片腕を前に翳す。


そこへ、倒すべき標的を見つけた『雑音』が、焦燥に駆られた勢いで迫る。

恐慌の中で気が付いた。

こいつだ、と。

こいつのせいで「出られない!」と。

―――邪魔だ!こいつさえいなければ!!

その雑音へ指を向け、赤毛の少年が声を張り上げ叫んだ。


「そこだ!喰え、イルシュ!!」

刹那、煌々たる月光が作り出した掌の陰から、声とともに闇色の『影』が放たれ、一瞬で膝丈の雑草を薙いだ。

そして直後、放たれた闇色の『影』と黒い『雑音』が、少年の睨む先で不協和音を立てて衝突した。


獣の咆哮より重く、氷河が軋るよりなお不快、そして空気を震わす悲鳴のような不協和音。

『影』を放った少年が、歯軋りをして表情を歪める。


「当主代理」

「大丈夫です。それより、雲は?」

後ろに控える男を手で制し、少年は暴れる『影』と『雑音』を見据える。

影と雑音は互いに急所に噛みつこうと、渦巻く風のように巻きついてはぎしぎしと音を立てて相手を締め付け、森を破壊し尽さん勢いで樹木を揺らして、細く若い葉枝を倒していく。


樫の樹の枝を根本から吹っ飛ばし、枯れ果てた倒木に突進して木端微塵に。

巴になって林の中へと飛び込んで姿を消し、離れたところで何かに激突しては弾き飛び、林から飛び出してきては少年たちの目の前に突如再び現れて。

そしてまた少年と男のすぐ左を掠めて飛び去っていく。


それを灰色の眼だけで追いながら、黒のフロックコートを纏った男は、左腰に下げた長剣に手をかけつつ主の問いに答えた。

「快晴です。心配は要りません。・・・当主代理、自身の力量・判断をお間違えなさ」

「イルシュっ!!」

低い声を遮って少年が叫ぶ。

直後、雑音と影が林より飛び出して少年たちの方へと突進してきた。

制御しきれていない、このままでは巻き込まれる!

呆れたような鼻息一つ、黒服の男が少年の前へ出ようとしたとき、

「ウィルディムさん!」

邪魔するな、とばかりに少年が鋭く叫ぶが、その眼前に勢いを殺さないままの影と闇色の雑音が目前に迫った。


その小柄な体が渦巻く黒い塊に飲み込まれんとするその刹那。

短く呼吸した少年が再び、強く叫ぶ。

「フェール!!」

すると少年の影がうねって盛り上がり、新たな影が飛び出した。


黒影色の陽炎を纏った巨大な狼。

長毛を思わせる黒炎を揺らめかせて、雑音の主に噛みついた。

そしてそのまま力任せにその巨躯を捻って敵を引きずり倒す。


「喰らえイルシュっ!」

少年の声に反応して、もう一つの影が形を変えた。

枝分かれする長い角、鰐顎、そしてばさりと広がる羽を持つ蛇の姿になって、漆黒の狼と争うように敵に喰らいつく。

そして互いに大きく首を捻り振るって黒い雑音の主を食い千切り、噛み切った片を一口に飲み込んだ。


断末魔の不協和音の悲鳴を上げて樹々を震わせ、その微動に森の獣たちは怯える。

だが、少年が放った2つの大きな影たちは、容赦なく再び不協和音の首元に噛みつき、その息の根を完全に止めると満足そうに獲物の破片を飲み込んだ。

喰い千切られた雑音の躰の黒い残骸はずぶずぶと、木々の陰の中に溶けていった。

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