第6話 何もなかったように…
何もなかったように・・・
空がいぶし銀のようにボゥと明るくなった。
(よくもまぁ。こんな時に朝が来るもんだ)
周辺の人々が動く気配を感じる。
シリのパジャマは床に落ちたままだ。
ベットで全裸でいたら何があったかエマに気づかれる。
慌ててシリは身体を縦にした。
起き上がると身体からゼンシの名残りのものが出てきた。
足と足の間に何か挟まっているような気がする。
シーツはグシャグシャな上に汚れている。
慌ててパジャマを羽織った。
(何事もないように振る舞うしかない。
もうすぐ嫁ぐのに、こんな事誰にも言えない)
慌ただしい足音が近づいてきた。エマだ。
今日、着る予定の淡い水色のドレスを手に持っている。
「シリ様 おはようございます。式の準備をしましょう」
ニコニコと近づいてきた。
いつものようにドレスの着付けをエマに手伝ってもらう。
シリの背中を見た瞬間、忙しく動いていたエマの手が止まりハッと息を飲んだ。
シリの背中から腰にかけて鬱血痕が複数あった。
鏡に映るシリの顔は青ざめ疲れ果てている。
昨夜、ゼンシはシリの部屋に人払いを命じた。
この鬱血痕はドレスで隠れる所にしかしていない。
ドレスの形状を細かく指示したゼンシがつけたとしか思えない。
唇をギュッと噛み締めながらエマは背中のボタンをとめた。
シリは何も言わず前だけを見つめている。
本来であれば今日はお世話になった城の皆に挨拶をする日だ。
それなのにシリは葬式に参列するような顔をしていた。
おいとまの式はモザ家の家族、親類、家臣たちのみで行う。
水色のドレスを着たシリはたおやかな妖精のような雰囲気だった。
疲れ、沈みがちな表情は誰も気にしてなかった。
週に1〜2度、顔を合わす母にも気づかれなかった。
そもそも、シリは笑顔を振りまくタイプではない。
美しい顔をしているけれど、無表情でいることが多く、瞳には不満と激しい気性が宿っていた。
結婚を前にすると不安な気持ちが募るもの。
周囲の反応はそんなものだろう。
おいとまの式は、領主であるゼンシと嫁ぐ娘 シリが杯を交わすことが儀式だ。
ゼンシは何事もなかったように上座に座っていた。
(昨夜、あんな事をしたのに。どうして、普通の顔ができるのだろう)
逃げ出したくなる気持ちを抑えてゼンシの前に座る。
ゼンシは薄く笑い、血のような色をした赤ワインを金色の杯に注ぐ。
この杯は大事な儀式の時しか使用されない。
多くの姉妹達がこの杯を手にして、結婚への決意を誓っていた。
「シリ、頼むぞ」その表情は領主としての強い眼差しだった。
政略結婚、それは家と家を結びつけるためが第一の目的。
その他、相手の領のスパイになってほしいのが本音だ。
ワスト領がミンスタ領に刃向かうことになるのなら、即、ゼンシに伝える。
それはシリの仕事だ。
シリは、あやふやな気持ちを虫ケラのように押しつぶした。
「行ってまいります。兄上」そう呟き杯を交わした。
ゼンシの配下にあたる領主達が続々と挨拶に来る。
皆がゼンシにお祝いの挨拶をし、シリの美しさを褒める。儀式とはいえ、シリは幸せそうな笑顔を作るのに疲れてしまった。
ただ1人、西の領主 ジュン・アオイだけが
「身体に気をつけて」と労りの言葉をかけてくれた。
ジュンは幼い時から人質に出され苦労人としても有名だった。見た目は顎がガッチリしておりタヌキのような風貌。ジュンの一言で緊張していたシリは少しだけ力が抜けた。
こうして、おいとまの式は滞りがなく終わった。
今夜は、この城で過ごす最後の夜。
昼間は上手く立ちまわることができたけれど、夕暮れになると取り繕うことができない。
今夜も月が明るい。シリは月を隠すように厚いカーテンを閉めた。
「エマ、昔のように一緒に寝てくれる・・・?」遠慮がちにシリはつぶやいた。
明日は旅立ちの式だ。乳母のエマにとって忙しい日になるはず。
それでも、1人で寝るのは怖い。
(ゼンシが来たら・・・)と想像するだけで恐怖が蘇る。
エマは優しく「ええ。シリ様。昔のように一緒に寝ましょうか」と微笑んでくれた。
(知らない土地、顔も見たことがない結婚相手、不安はたくさんあるけれど、
そこには良い未来があると信じたい。エマが一緒にいるだけで心強い)
シリはエマにピッタリと寄り添い、眠ることができた。
明日は旅立ちの日。
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