第8話 2つの街

「若様はお勤めに向かわれました」


 翌朝の食卓で、例の背の高い男は言った。この男はどうやら家令らしい。


「伝言を預かっています。『挨拶もなしに外出する無礼をお許し下さい。私は夕刻に戻りますが、父は明日まで帰らないので話し合いはその時に致しましょう。どうかそれまで、拙宅で長旅の疲労を癒して下さい』と」


「そう」と頬杖をつきながらセーラツィカ。


 窓の外は晴天だった。時折り心地の良い風が、対岸の賑やかな空気を室内まで運んでくる。


「あなた、名前は?」

「タソラルと申します」


「タソラル、私はずっと家の中にいなければならない?」

「安全上、それが最善だと思います」


「帝都とは即ち帝国の縮図、であれば、帝国を知る為には帝都を知る必要がある。こんな気持ちの良い日に家に籠っていて、帝都のことが分かるの?」

「はあ」


「ねえ、街に行った方が良いでしょ?」

「街に行きたいのですね」


「お願い、変装して大人しくするから! たった半日よ、お願いお願いお願い!」

「ううむ…」


 タソラルは少し考え込んでから「分かりました」と答えた。「それでは、案内役兼の護衛を付けましょう」


 少しして、場所はあの青い裏戸の家。やって来たのは見覚えのある森人だった。


「…なんてこった」と開口一番にスュルデ。(二度と会わないと思ってたのに…)


「スュルデ!」嬉しさの余り、セーラツィカは相手の腰元に抱きついた。「まさかアナタが来るなんて、すっごく嬉しい!」


 少女達の顔は煤けたように黒い。服も汚く、わざとらしい見すぼらしさがあった。


(ドブにでも突っ込んだの? この子達)スュルデは思う。


「お2人の護衛を頼む、諸々の費用はここにある」


 タソラルは硬貨の詰まった袋をスュルデに渡すと、セーラツィカとギルネラには「お気を付けて」と言って去って行った。


「ええと…、じゃあ帝都巡りに行きましょうか」


 少女達は目を輝かせて、スュルデの言葉に頷いた。


  ◇


「それで、何処に行くの?」と緩やかな坂道を下りながらセーラツィカ。


 昨日とは打って変わって、人の往来が多かった。催事があるのか道路は綺麗に掃除され、道の端々には皇帝親衛隊が立っている。


「遊ぶなら断然テーザだけど、大丈夫ですか? 騒々しいし、貴族趣味に合うかどうか」

「それでいい、どうせスレバの見所は皇宮くらいだもの」


「じゃあ決まり、坂を下りれば船着場です」

「ところで、今日は何かお祭りでもあるの?」


「まあ、そんなとこです」


 船着場はひどい人混みだった。一際大きな人だかりができている桟橋には、両端の尖った、屋根付きの船が泊まっている。


「ツイてない…」


 ボソっとスュルデが呟いたその時、船の中から、丈の長い白いローブを身に纏った一団が出てきた。


 桟橋には黒い外套を顔まで被った不気味な集団が待機していて、船から降りた白い列を守るように、四方に付き添って歩く。


「あれはなに?」というセーラツィカの問いに、「来訪教徒です、周りの連中もほとんど」とスュルデは声を顰めて答えた。


「ええっ!?」という叫びに数人が振り返り、セーラツィカは慌てて口を手で塞いだ。


「ら、来訪教徒達が、こんなに集まって何をしているの?」

「詳しくは知らないですが、今日は連中の祭日らしい」


「どうしてスレバの街に?」

「丘の上に、連中の神殿があるからですよ」


「来訪教徒の神殿? こ、皇帝が住む丘の上に…?」


 ふらつく主人を、ギルネラは後ろから支えた。「信じられない、どうして、なぜ…?」と呟くセーラツィカを、スュルデは困ったように見つめる。


(そんなにあからさまだと、後で絶対痛い目に合うんだって)


 来訪教徒の一団はセーラツィカ達の前を横切り、坂を登って行く。何百という人の波がそれに付き従い、来訪者を讃える歌を歌いながら歩いた。


 列を守る黒いローブの男とセーラツィカは目が合った。少女は臆さず、相手を睨み付ける。


 相手の煤けた顔がおかしかったのか、男は微かに口角を上げると視線を前に戻した。ローブが風に揺らぎ、男の腰元に差した剣が微かに見えた。


「あの黒い連中は?」というセーラツィカの問いに、「ああ、あれは…」とスュルデ。


「王国軍とは別に、来訪教団が持ってる私兵です。『荒野の花騎士団』とかなんとか」


 森人の女は船着場へと振り返る。続々と、来訪教徒が乗っていると思われる船がこちらへ向かって来ていた。


「何はともあれ、人が減ってテーザは歩きやすくなりますよ」


 スュルデの言葉に少女達は歩き出したが、「でも、どうして…」とセーラツィカはまだ納得がいっていなかった。


「アイツらは、皇帝親衛隊よりも強いの?」


「強いですよ」船の管理人に金を払いながら、森人の女は答える。


「騎士団っていうのは、魔力と筋力両方が優れていないと入れないらしい。特に総長と管区長は、来訪者自身かその血を引いた者じゃないと無理だとか。今の皇帝親衛隊では勝負にならないでしょう」


 ショックの余り、セーラツィカは動けなくなった。足が石のようになった少女を、ギルネラとスュルデは何とか小舟に運び入れる。


「どうして…」船上でも、まだセーラツィカは不機嫌な顔をしていた。


「どうして来訪教徒は我が物顔で帝国を闊歩しているの? どうして帝国人は何も言わないの? 悔しくないの? 恥ずかしくないの?」


「悔しいもなにも」船のもやいを外しながら、スュルデは苦笑する。


「負けたんだからしょうがない。100年前、私達は連中に完膚なきまでに叩き潰されたんですよ。知りませんでした?」


  ◇


(言い過ぎたか…)櫂を漕ぎながらスュルデは反省していた。


 セーラツィカは膝を抱え、黙って水面を見つめていた。「ねえ、スュルデ…」と少女が口を開いた時、森人の女は慌てて「は、はい!」と答えた。


「お願いがあるの」

「なんです?」


「敬語をやめてほしい。人の目を引かないようにって目的もあるけど、せっかくこれだけ一緒の時間を過ごしたんだし、アナタと対等な友達になりたい。いいわよね、ギルネラも」


「もちろん」と獣人の少女は頷く。


(一緒にいるのは仕事だからなんだけど…)


 そう思いつつ、セーラツィカが元気になるなら何でも良いと思っていたスュルデは、「分かりました」と答えた。


「敬語はやめるけど、後で怒ったりしないでよね?」

「当然。ありがとう、スュルデ」


 スレバの船着場で降りて少し歩けば、すぐに巨大な広場に出くわす。中央には円形の柱があり、屋根の乗った列柱によって広場は丸く区切られていた。


 列柱の隙間には様々な姿形の精緻な石像が並び立ち、また中央の柱の上には一際大きな武者像が乗っていた。


「これが『勇者の広場』…」溜め息混じりに、セーラツィカは言った。


 勇者の広場。それは帝国の繁栄に寄与した者達の石像が立ち並ぶ、帝都随一の名所である。少女は人だかりの中をするすると抜けつつ、石像の1つ1つを指差していく。


「あれが『星墜しのホッルド』で、隣は『千里眼のガカシュ』かしら。あっちはきっと『善香帝アヤクレナ』で、こっちは『大魔術師シャザル・カロイ』ね」


 少女の足はやがて、長く空へと向かって聳え立つ円柱の前で止まった。


「そしてこの人が『始祖アラリシュ』…私達の国を作った者…」


 石像をよく見るために、円柱の真下でセーラツィカは精一杯首を伸ばす。


 甲冑姿の像は右手に小さな町のようなものを持ち、左手には剣を携えていた。股の下には左右の翼を大きく広げた龍がおり、それを太い両足で押さえ付けるようにしている。


「『悪しき魔物を殲滅し、夜を朝に変え、龍の背に乗り、大陸を1つ跨ぎし、永遠の繁栄と勝利を授ける者よ。全ての始まりアラリシュ、我らを守りたまえ』…」


 帝国人なら誰でも知っている祈りの文句を諳んじると、少女の胸は激しい感動と興奮に満たされた。


 セーラツィカは周りの列柱に視線を戻す。よく見みると歯が欠けた櫛のように、立像のない台座がちらほらとあった。


「像が足りないみたい。どうして?」とセーラツィカはスュルデに尋ねる。


「外されたのよ」

「ああ、修理中なの?」


「そうじゃなくて、相応しくないからよ。そうね、例えばあの台座。あそこは確か『鉄腕のルナルカバル』だったと思うけど…」

「知ってるわ、鉄製の義手で相手の頭蓋骨を叩き割るのよ! 来訪者に勝ったことのある、数少ない人間よね?」


「理由はそれ。ルナルカバルは来訪者を殺した。だから相応しくない」

「来訪者殺しなんて、沢山あるルナルカバルの武勇伝の内のたった1つじゃない。それぐらいで…」


「十分よ。『帝国と王国の友好のために、そのような殺人者の石像は不適切である』 これは大摂政殿下様の言い分ね」

「そんなのおかしい! 王国人が崇めている異世界転移者達だって、何万という帝国人を殺したのに。帝国人だけじゃないわ。獣人だって、森人だって…」


「声が大きい! そんなこと言っても仕方ないじゃないの。ここにある石像を全部来訪教徒に壊されたって文句は言えない。だって、私達はあいつらに勝てないんだから」


(そんな…)


 セーラツィカは唇の端を噛つつ、再び円柱を見上げた。


 石像が北の方角を向いているのは、遥か北方の大山脈の彼方へと追いやられた魔物達に睨みをきかせるためである。


(偉大なる皇帝にして私が先祖のアラリシュよ…)少女は縋るように像の顔を見つめた。


(帝国の敵は今や、あなたの膝下にいるのです)


 ◇


「ああ…うぐぐ…」


 湯船に浸かり、スュルデは恍惚に満ちた表情で吐息を漏らした。


 ここは大陸一の広さを誇る大浴場。列柱によって支えられた穹窿天井の下では、女性達が肢体を露わにして思い思いの時間を過ごしている。


「前々から気になってたんだけど…」スュルデは隣に座るセーラツィカに話しかけた。


「あなた達って何者? ただのお貴族様じゃないわよね?」


 濡れた赤毛を掻き上げたセーラツィカは、隣のギルネラと目を合わせた。2人とも若い柔肌が水気を浴び、まるで陶器のように光り輝いていた。


「ご明察。わたし達って訳アリなの」得意げに赤毛の少女は答える。


「帝国貴族が獣人の妾との間に作った子供なの。素性を隠してこれまで隠れてたんだけど、父親に復讐するために戻ってきたって訳」

「なら2人は姉妹なの? 全然似ていないけど」


「母親が違うから」

「あなたなんかまるっきり帝国人に見えるけど?」


「父親の血が濃かったの。残念だわ」


「…なるほど」聞くべきではなかったと、森人はそこで会話を切った。


「ねえ、スュルデ。今度はこっちの番よ」


 セーラツィカはそう言って、水面から出ている森人の半身を見遣る。肌は噂通りの雪のような白さだったが、所々に様々な形状で大小の傷跡があった。


「言ってたわよね、捕まったことがあるって」

「やだ、覚えてたの…?」


「教えて、何があったの? ギルネラも気になるわよね?」


「はい」気持ち良さそうに目を瞑りながらギルネラは答える。


「大した話じゃないけど…」渋々、スュルデは話始めた。


「王国の商人を護衛する仕事があったのよ。途中寄った村に物売りの子がいてね。小さな子だったんだけど、それを商人が邪険にしたの。私はキレて、次の日そのバカをほったらかしにして帝都に帰ったの。もちろん給金は全部残してね。物売りの子にも幾らかあげたわ。そしたら捕まったちゃった。つまんないでしょ?」


「つまらなくない!」目を輝かせてセーラツィカは叫ぶ。


「最高よ、故郷に帰って来て初めてスカッとする話を聞いた。この国にも、まだあなたのような善人が残ってたのね」

「いや、私は森人なんだけど…」


「でも牢獄に入って大丈夫だった? その間、ご家族はどうしてたの?」

「は? 家族?」


「打ち捨てられた神殿でご飯を作る時、『チビ達にも評判がいい』って」

「え…? あっ…あっー! よく覚えてたわね! それはその、言葉は同じでも意味が違うというか、チビって言うのは私が産んだんじゃなくて、孤児のことで…」


「孤児? あなた、孤児院をやってるの?」

「そんな大層なもんじゃないけど、まあね。私も似たような境遇だったんで、自分がやらなきゃと思って」


「スュルデ…」セーラツィカはスュルデの手を取ると、相手の目をジッと見つめる。


「あなたは讃えられるべきだわ。英雄よ」

「ほ、褒めすぎよ。大したことやってないでしょうに」


「そんなことない、そんなことないわ。私、あなたのことが本当に気に入った。私が今よりもずっと偉くなったら、雇われてくれる? いいわよね、ギルネラ?」


「はい」少しのぼせたような顔をして、ギルネラは答える。


「そりゃあ、給金さえよければ喜んでお仕えするけど…」

「きっとね? きっとよ!」


 セーラツィカはそう言って、白い歯を見せながら目を細めた。


 スュルデはその顔をなんとなく見つめる。どこかで見たような顔だと、その時初めて森人の女は思った。


  ◇


 それから数時間程、3人はスレバへ戻る船の中にいた。


 地平線へと沈みつつある太陽が放つ最後の光彩によって、川面はキラキラと輝いている。


 セーラツィカとギルネラは2人並んで、市場で見た森人が作った木彫の家具や、獣人が作った金細工の装身具の感想を言い合っていた。


(ほんとうに、この子達って何者?)


 櫂を漕ぎつつ、2人の少女を前にスュルデは思う。


 こうしていればただの年頃の少女なのに、片方は時折激しく思い詰めた顔をしたと思えば、片方はもう片方をまるで母親のように気にかけるような顔をする。


 セーラツィカとギルネラの髪は大浴場でつけた香油のお陰で美しく輝き、良き花の香りを放った。


 風が吹く度に芳香がスュルデの鼻先を漂い、大浴場で感じた違和感を呼び起こした。確かに、セーラツィカに似た誰かを見たような気がする。


「スレバとテーザは…」ふとセーラツィカは言った。「間に橋を掛けた方がいいと思う」


「本当にそう、不便でしょうがないもの」苦笑しながらスュルデは答える。


「不便なだけでなく、2つの街は絶対に結ばれなければならない。なんだかそんな気がする。街も国も一緒。誰かが橋となって、国を分断から救わないといけない。帝国人も森人も獣人もまとめ上げて、1つになって困難に立ち向かわないと」


 その言葉にスュルデはハッとした。どうして今まで忘れていたのかと驚くほどに鮮明な記憶を、森人の女は思い出した。


 容貌だけではない。今の口ぶりはまるで、あの人達そのものじゃないか。


(ヤーコシュ殿下と、ミュレオーニナ様…)


 だがそんな訳はない。あの人達はみんな16年前に死んだのだ。摂政の手によって…。


 

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