第7話 ペテン師の家

 スュルデの予想は半分当たって半分外れていた。


 あの来訪者の一団は自分達を指名手配しなかった。あれから2日間、街や村を探しても一向に手配書は見つからない。


 それは恐らく若い女の寝込みを襲おうとして返り討ちにあったという、どうしようもない事実を人に知られたくないためであろう。


 それを見越してスュルデは商人を半殺しで済ませ、何も盗らなかった。上手くいかないこと続きの中で、この事実は森人の女の気持ちを上向きにした。


 多少は警戒を緩め、宿にも泊まれるようになった。帝都に近づくにつれて道もよくなって来た。


 道の両側に広がる畑はすっかり収穫を終え、新しく植えられたばかりの芽が小さく顔を出している。


 あれから来訪者にも野盗にも遭っていない。後2日。2日我慢すればこの仕事も終わり、帝都の下町にある賑やかで汚らしい居酒屋で腹一杯酒が呑める。


 段々と機嫌がよくなって鼻歌まで混じるスュルデとは対照的に、セーラツィカは無口になった。


 一日中馬車に揺られながら、少女はずっとどこか一点を見つめることが多くなった。


 考えることはいくらでもあった。帝国のこと、来訪者のこと、自分の能力のこと、そして未来のこと。


 帝都に近い街や村ほど豊かそうに見える。だがそういう場所こそ、来訪教徒の数も多かった。


 そんな来訪教徒を見かける度、セーラツィカの顔にはあからさまに不満の色が浮かぶ。


(そんなに分かりやすいと、これから生きるのに後悔するぞ)


 スュルデは思った。


  ◇


 馬車は大きな橋を渡った。堅牢な石造りの橋の下を流れる河では何艘もの船が行き来している。


 その橋を生で見るのは初めてだったが、セーラツィカは直ぐに自分達が今どの辺りにいるのかを理解した。


 次に馬車は左へと曲がる。しばらくすると遠く前面に、巨大な街が姿を表した。


「帝都…」荷台から顔を出したセーラツィカはため息混じりに呟く。


 先ほど渡った川を跨ぐように、その街は東西に広がっていた。


 馬車から見た左手には雑多な中小の建物が並び、対する右手には緩やかな小高い丘を中心にして、川を見下ろすように城壁や砦が建てられていた。


「右側がスレバ、皇宮を丘に抱く勇者の街。左側がテーザ、大神殿に浴場に宿屋に居酒屋、夜も眠らぬ市民の街。2つ合わせて、スレバテーザ。偉大なる帝国の首都。都市の中の王…」


 くどいほどクヒーチャから教えられていた街を目の当たりにして、セーラツィカの心はなんとも言えない高揚感に包まれた。


 その街こそが、自分が生まれた場所なのだ


「ギルネラ、見て見て!」


 主人に促されてギルネラも狭い荷台から顔を出す。2人の少女は肩を寄せ合い、段々と大きくなるスレバテーザの街を眺めた。


「ギルネラも本物は初めて?」


「はい」目を輝かせて獣人の少女は答える。


「とても…素晴らしいです。何度も何度も夢に見て来ましたが、これ程までとは…」


(ふふん)スュルデは心の中で鼻を鳴らす。


(すっかり感動しちゃって、まあ。可愛い田舎娘共め)


 街へと入る門でしばらく検問の待機列に並んだ後、馬車は兵士達から問答を受けた。幌の隙間から、セーラツィカは恐る恐る外を眺める。


 立派な体躯と見るからに上等な甲冑と剣、そして鷲の紋章が入った盾。検問に当たっているのは間違いなく、あの噂に名高い皇帝親衛隊だった。


(寝室から戦場まで常に皇帝に付き従い、竜を殺し、悪い魔術師を退ける。『荒野の戦い』では皇帝を逃すために最後まで戦場に留まって来訪教徒相手に全滅をした、あの皇帝親衛隊…)


 本で読んだままの兵士達に思わず少女の鼻息が荒くなる。だが皇帝がいない今となっては、彼らは一体何を守っているのだろう?


「積荷は?」という兵士の問いに、スュルデは「奴隷です。さる方に頼まれまして」と笑みを交えながら答える。


 そして通行許可証の裏側に数枚の銀貨を隠し、兵士に渡した。


 兵士はそれを受け取ると、片方の眉だけを器用に上げて他の兵士に荷台を見遣るよう指図する。


 荷台に座っていたセーラツィカとギルネラは、幌の中に顔を突っ込んできた若い兵士と目があった。


 兵士はキョロキョロと簡単に中を見遣るとすぐに顔を引っ込める。


 その兵士が「若い女が2人です。片方は獣人。後は木箱が5つ」と報告をすると、最初の兵士は頷き、スュルデに通行許可証だけを返した。


(信じられない)セーラツィカは思う。(皇帝親衛隊が、賄賂を受け取るなんて…)


  ◇


 よく舗装のされた道を馬車は走る。


 人々の喧騒が聞こえてきくる対岸のテーザとは違い、スレバの街は比較的静かで、道を歩く人もまばらだった。


「それでだ」馬を走らせながらスュルデは荷台を振り返る。


「そろそろお別れの時間ですが、最後に少しお願いがあります。訳あってお2人は奴隷という体で雇い主に渡します。その時に私が失礼な言動をすると思いますが、どうかご勘弁ください」


「わかった」セーラツィカは頷く。


 少女は即座に自分達の到着が周囲にバレてはならないことを悟った。


 セーラツィカはおもむろに自分の髪の間に手を突っ込むと、鷲掴んでメチャクチャにした。


「な、何をなさっているのです?」というギルネラの震えた声に、少女は「この方が奴隷らしいでしょ?」と答える。主人を見習い、ギルネラも白銀色の髪をかき乱した。 


 馬車は緩やかな坂道を登ると、何度か曲がって細い路地裏で止まった。


「着きました」スュルデは小声でそう言いながら、馬車を降りる。


 森人の女は青色をした裏戸の前に立つと、ドンドンと扉を叩いた。すぐに扉が少しだけ開き、微かな隙間から背の高い男が顔を出す。


「遅れて申し訳ありません。ご注文の品をお届けに参りました!」


 スュルデはワザとらしく大声で言うと、馬車の幌を上げて荷台の2人に降りるように言った。


「ご注文通り健康な若い女です。片方は獣人で、荷物運びと料理と調合が出来ます。もう片方は非力ですが字が読めて弁が立ちます。両方とも生意気ですけど、まあ器量が良いいのでどこに出しても恥ずかしくはありません」


 2人の少女を男に預ける傍らで、スュルデはセーラツィカ達の荷物を急いで降ろす。


「これはほんのオマケです。雇い主様によろしくお伝え下さい。是非ともまたわたくしめに依頼をいただけますよう…」


 男は黙って重量のある袋を相手に手渡す。スュルデは中身を速やかに確認すると、「どうも!」と微笑んだ。


「それじゃあね、あんた達。粗相のないようにすんのよ!」


 馬車に戻ろうとした矢先、スュルデはセーラツィカに抱きつかれた。


(はっ?)驚いた森人の女は慌てて周囲を見遣る。


「ありがとう、親切な奴隷商人様。道中の、私達の素行の悪さをどうか許して下さい。大変だったけど、とても楽しい旅でした。親切な商人様に、どうか神々の慈悲がありますように」


「あっ…えっ…!」


 どうしたものかと考える余りスュルデは動きを止めた。一瞬、相手の頭を撫でそうになるのを堪え、無理やりに引き剥がす。


「き、気持ち悪いんでい! 奴隷の分際で、や、やめやがれい!」


 吐き捨てるように言うと、スュルデはぎこちない足取りで御者台に戻り、馬を走らせた。


(さあ、終わった終わった。酒だ酒だ酒だ!)


 森人の女は心にそう言い聞かせて気分を変えようとする。だが一方で、先程別れたばかりの少女達のことが頭から離れなかった。


(こんな時代で、あの子達は無事に暮らしていけるんだろうか…)


   ◇


 背の高い痩せた男に従って2人の少女は歩いた。倉庫らしき部屋を抜け、また別の小さな出口から外に出る。


「あの…」早足で歩く男に、セーラツィカは尋ねる。「私たちはどこへ向かっているの?」


「静かに」男は答える。「どうか口は聞きませぬようお願い致します」


 人影のない裏路地を歩き、男はまた別の家に入った。倉庫らしき部屋を抜け、また外に出る。


 また別の家。今度は調理室らしき部屋を抜ける。そしてまた別の家…。時々使用人らしき人の姿があっても、誰も少女達を気にはしない。


 セーラツィカは何となく、これも人目を警戒してだと理解をした。2、3度同じことを繰り返して、ようやく男は言った。


「着きました」


 その家には裏口から入って中庭へと出た。


 掃除の行き届いた広々としたその庭には小さな池があり、捧げ物がこんもりと積まれた女神の像もあった。


 列柱のある廊下を抜けて、男は2人の少女を部屋へと招き入れた。


 上等な敷物のある部屋で、奥のバルコニーからは対岸の街を見おろすことが出来た。どうやら屋敷は丘の中腹にあるらしい。


「長旅、お疲れ様でした。生憎旦那様と若旦那様はお勤めでございますので、しばらくこの部屋でお待ちください。荷物はすぐ来ます。何かありましたら卓のベルを鳴らして下さい」


 男が去った後、セーラツィカはバルコニーへと出た。遠く、微かにテーザの賑やかな人や物の音が聞こえてくる。


 欄干に身を乗り出し、少女は屋根を見遣った。


 恐らくこの上には皇宮が建っている。相応しき住人のいない宮殿は、さぞや侘しいだろう…。


 ◇


 それから数時間。陽が沈みつつある頃に、屋敷の中をバタバタと早足で駆ける音が聞こえてきた。


 足音は少女達のいる部屋を通り過ぎた後、「若様、そちらではありません」という声に従ってまた戻ってきた。


 勢いよく扉が開かれ、見た顔が姿を表す。


「よくぞご無事で!」


 栗色の髪の青年、バルナレクは白い歯を存分に見せて嬉しそうに叫んだ。セーラツィカは最初、それがバルナレクだとは気付けずに呆けたような顔をした。


 無理もない。青年は丈の長い服の上に、半身が隠れるほどの緩やかなオレンジ色の上衣を纏い、前髪を微かに上げて額を出していた。


 それがあのうすらバカと気付いた時、セーラツィカは驚き、頬が熱くなるのを感じだ。


 少女は一瞬、青年がまるで見事な彫刻作品かなにかのように思えてしまった。仕事着になるだけで、間抜けな嘘つきのペテン師がここまで映えるとは。


「遅くなってしまい申し訳ありません。仕事が長引きまして。急いで食事に致しましょう。それとも、もうお食べになりましたか?」


 セーラツィカは小さく口を開けたまま、頭を左右に振るので精一杯だった。


   ◇


「道中はいかがでしたか?」という夕食の席でのバルナレクの問いに、セーラツィカはそっけなく答える。


「来訪者の一団に襲われたわ」


「ええっ!?」青年は食事用の道具を卓の上に落とす。


「来訪者の一団に? そ、それでお怪我は? お身体は大丈夫なのですか?」

「全然平気よ。来訪者といっても大したことはなかった。私とスュルデとで返り討ちにしたから」


「か、返り討ちに? 何はともあれ、それはよかった…」

「野盗にも襲われたけど、それもやっつけたわ」


「や、野盗にも!?」

「それも楽勝よ。私とスュルデとギルネラとで全員倒した。ちっとも怖くなかった。別になんでもない話よ」


「そ、そんな簡単に済まされる話ではないのでは」

「問題は結果ではなく、それが起こった原因よ。それについては後で色々話すこともあるでしょう。今はもういいわ」


「ああ神々よ、我らの皇帝をお守り下さい…」


 バルナレクが一喜一憂する度に、セーラツィカの顔はほころんだ。先ほどは驚いたが、やはり青年はお人よしのうすらバカだった。


 ギルネラは嬉しそうに、そんな主人の姿を見つめる。


「色々あったけれど、とても実りのある旅だったと思う。あなたが言っていた帝国の現状というのも少し理解できた気がする。問題は山積みね」

「私がお伝えしたことを理解して頂き、嬉しく思います。セーラツィカ様の身を危険に晒しましたこと、どうかお許し下さい。2度とこのようなことがないように致します」


「今の私の名前はセルラルシェナ」

「せ、セルラルシェナ…? ああ、なるほど、『我らが皇帝史』か!」


「さっきも言った通り気にしてないから。それに、お蔭で得たものもあった。素晴らしい力よ。来訪者の1人や10人、簡単に倒せるぐらいの」


「素晴らしい力」バルナレクは目を輝かせながら、身を乗り出す。


「異能に目覚めたのですね! どんな力です? 大地を割れますか? 一瞬で森を消し炭に出来ますか? 龍の背に乗れますか?」

「それは…」


「そ、それは…?」

「また今度話すわ。今日はもう疲れたから、早めに床に入らせてちょうだい」


 バルナレクは「は、はあ…」と言って、困ったように笑った。そんな青年を見て、セーラツィカは思う。


(コイツと一緒にいると、意外と娯楽になるじゃない)


  ◇


 食事が終わった後、自分の部屋に戻る前にセーラツィカはバルナレクに尋ねた。


「あの、寝る前に絵を見せて欲しいの。その、お父様とお母様の絵…」


 青年は2人の少女を倉庫へと案内する。


 棚が並べられた部屋の隅に意匠を凝らした木箱があった。青年はそれを開けると、丁寧に布の袋で覆われた木の板を取り出す。


 板を近くの棚に立てかけ、蝋燭を近づける。そして2人の少女が板に近づくと、青年は布を取った。


 若い男女と生まれたばかりの赤ん坊が描かれた絵だった。蝋燭の炎に照らされて、男の緑の目と女の赤毛とが光る。


 赤ん坊の髪の色は分からないが、目は父親によく似た緑だった。


「お父様、お母様、お兄ちゃん…」


 セーラツィカは震える両手でその絵を掴んだ。


 絵の中から、見たこともない少女の両親と兄とが柔和な視線を返してくる。16年前に無惨にも殺された家族が、平たい絵の中から自分を見つめている。


 少女の両目から涙が溢れた。嗚咽するセーラツィカの肩を、優しくギルネラが抱く。


「お気の済むまで存分にご覧ください。私は所用があるので、これで失礼します」


 そう言ってバルナレクは倉庫から出て行った。


 夜がふけるまで、セーラツィカは亡き家族のことを思ってその頬を濡らした。




 


 

 


 




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