第7話 ペテン師の家
スュルデの予想は半分当たって、半分外れていた。
あの来訪教徒の一団はセーラツィカ達を指名手配しなかったらしい。あれから2日経っても、手配書は見つからなかった。
スュルデはその理由を、若い女の寝込みを襲おうとして返り討ちにあったという事実を隠したいからだと考えた。
何はともあれ森人の女の気持ちは上向きになり、多少は警戒を緩めて宿にも泊まるようになった。
帝都へと続く道の両側に広がる畑はすっかり収穫を終え、新しく植えられたばかりの芽が小さく顔を出している。
段々と機嫌が良くなって鼻歌まで混じるスュルデとは対照的に、セーラツィカは黙って何かを考えている時間が多くなった。
時折、来訪教徒と思われる集団を見かける事があると、セーラツィカの顔にはあからさまに不満の色が浮かんだ。
(そんなに分かりやすいと、これからの人生苦労するわよ)スュルデは思った。
◇
馬車が一際大きな橋を渡るのを、セーラツィカは幕の隙間から見ていた。
スュルデは何も言わなかったが、少女は自分が今どこにいるのかすぐに理解した。それから間もなくして、遠く前面に巨大な街が姿を表した。
「あれが帝都…」ため息混じりにセーラツィカは呟いた。先ほど渡った川を跨ぐように、その街は左右に広がっていた。
馬車から見て左手には雑多な中小の建物が並び、対する右手には緩やかな小高い丘を中心にして、川を見下ろすように城壁や塔が建てられている。
「右がスレバ、皇宮を丘に抱く勇者の街。左がテーザ、夜も眠らぬ市民の街。2つ合わせて、スレバテーザ。偉大なる帝国の首府、都市の中の王…」
クヒーチャに教わった覚え歌の歌詞を呟くと、セーラツィカの心はなんとも言えない高揚感に包まれた。あの街こそ、自分が生まれた場所なのだ
「ギルネラ、見て見て!」
主人に促されてギルネラも荷台から顔を出す。2人の少女は肩を寄せ合い、段々と大きくなるスレバテーザの街を眺めた。
「ギルネラも本物は初めて?」
「はい」目を輝かせて獣人の少女は答える。「とても…、素晴らしいです。何度も何度も夢に見て来ましたが、これ程までとは…」
(すっかり感動しちゃって、可愛い田舎娘共め)スュルデはそう思いつつ、微笑ましげに少女達を見つめた。
テーザの街へと入る門では検問が行われていた。検問に当たる兵士はみな体躯が良く、見るからに上等な装備をしていた。
(皇帝親衛隊だわ!)幕の隙間から外の様子を伺って、セーラツィカは鼻息を荒くする。
(寝室から戦場まで常に皇帝に付き従い、竜を殺し、悪い魔術師を打ち負かす。『荒野の戦い』では皇帝を逃すために戦場に留まり、来訪教徒相手に全滅をした、あの皇帝親衛隊…)
「積荷は?」という将校の問いに、スュルデは「さる方に頼まれまして…」と笑みを交えながら答えた。
森人の女は諸々の身分証明書と許可証の間に数枚の銀貨を隠し、相手に渡した。将校はそれを受け取ると、他の兵士に荷台を検査するよう指図する。
荷台に座っていたセーラツィカとギルネラは、幕の中に顔を突っ込んできた若い兵士と目があった。兵士は少女達を関心なさげに見遣ると、すぐに顔を引っ込めた。
「食料品と雑貨だけです」という兵士の報告に将校は頷くと、スュルデに書類を返した。
(信じられない)セーラツィカは思う。(皇帝親衛隊が、賄賂を受け取るなんて…)
◇
人々の喧騒が聞こえる対岸のテーザとは違い、スレバの街は静かで、道を歩く人もまばらだった。
「それでだ」馬を走らせながら、スュルデは荷台に向かって言った。
「そろそろお別れの時間ですが、身分を隠す為にお2人は奴隷という体で雇い主に会います。その際に私が失礼な言動をすると思いますが、どうかご勘弁ください」
「わかった」とセーラツィカは頷く。少女は突如として、自分の髪を掻き乱した。
「な、何をなさっているのです?」というギルネラの震えた声に、「この方が奴隷らしいでしょ?」とセーラツィカ。主人を見習い、ギルネラも自身の白銀色の髪をメチャクチャにした。
それから少しして、馬車は細い路地裏で止まった。
「着きました」スュルデは小声でそう言いながら降りると、青色の裏戸に近づき、ドンドンと扉を叩いた。
扉が少しだけ開き、微かな隙間から背の高い男が顔を出す。
「遅れて大変申し訳ない!」スュルデはワザとらしくそう言うと、馬車の幕を上げて荷台の少女達に降りるよう言った。
「ご注文通りの健康な若い女です。片方は獣人で、荷物運びと料理と調合が出来ます。もう片方は非力ですが、字が読めて弁も立ちます。両方とも生意気ですが、器量は大したものですよ!」
男は何も言わず、硬貨の詰まった袋を相手に手渡した。スュルデは中身を速やかに確認すると、「どうも!」と微笑んだ。
「じゃあね、アンタ達。粗相のないようにすんのよ!」
そう言って馬車に戻ろうとした矢先、スュルデは背後から誰かに抱き付かれた。(…は?)驚いた森人の女は後ろを振り返る。
「ありがとう、親切な奴隷商人様」微笑みながら、相手の顔を見上げてセーラツィカは言った。
「道中の、私達の素行の悪さをどうか許して下さい。大変だったけど、とても楽しい旅でした。親切な商人様に、どうか神々の恩寵がありますように」
「あっ、ど、どういたしまして…」
スュルデはハッとし、慌てて相手を引き剥がした。
「き、気持ち悪いのよ! ど、奴隷の汚い手で触らないで!」
吐き捨てるように言うと、スュルデは足早に御者台へと戻る。(さあ、終わった終わった。酒だ酒だ酒だ!)森人の女はそう思いつつ、馬に鞭を打った。
◇
男の背中に2人の少女は黙々と従った。最初の家は目的地ではなく、廊下を抜け、中庭を抜け、別の裏口から新たな裏路地へと出た。
「あの…、私たちはどこへ向かっているの?」早足で歩く男に、セーラツィカは小声で尋ねた。
「今はお静かに願います」男は答える。
裏路地を抜けると、男はまた別の家に入った。台所らしき部屋を抜け、また裏庭へ出る。奇妙な事に、誰1人として途中で出会う者はいなかった。
セーラツィカは徐々に、これも身の安全の為だという事が分かってきた。何度か同じことを繰り返して、ようやく男は「着きました」と言って立ち止まった。
手入れの行き届いた、柱廊に囲まれた中庭には捧げ物がこんもりと積まれた美しい女神の像が立っていた。
少女達が案内された部屋にはバルコニーがあり、そこから対岸の街を見おろすことが出来た。どうやらこの屋敷は、丘の中腹にあるらしい。
「長旅、お疲れ様でした。あいにく旦那様と若旦那様は不在ですので、しばらくこの部屋でお待ちください。荷物はすぐ来ます。何かありましたら、卓のベルを鳴らして下さい」
男が去った後で、セーラツィカはバルコニーへと出た。遠く、微かにテーザの騒がしい音が聞こえてくる。少女は欄干に身を乗り出すと、屋根を見上げた。
恐らくこの上には皇宮が建っている。相応しき住人のいない宮殿は、さぞや侘しいだろう…。
それから数時間後の陽が没する時刻。バタバタという足音が、屋敷の中を駆け抜けた。
足音は少女達の部屋を通り過ぎた後で、「若様、そちらではありません」という声にまた戻ってきた。
「よくぞご無事で!」
部屋の中に入ると、バルナレクは白い歯を存分に見せて叫んだ。セーラツィカは最初、それが森の屋敷で出会った青年だと気付かなかった。
バルナレクは丈の長い服の上に、半身が隠れるほどの緩やかなオレンジ色の上衣を纏い、前髪を微かに上げて額を出していた。
それはまるで、見事な彫刻のようであった。相手の正体に気が付いたセーラツィカは眼を見開き、頬を熱くした。
「遅くなって申し訳ない、仕事が長引きました。急いで食事に致しましょう。それとも、もうお済みですか?」
少女は小さく口を開けたまま、頭を左右に振る事しか出来なかった。
◇
「道中はいかがでしたか?」というバルナレクの問いに、「来訪教徒の一団に襲われたわ」とセーラツィカはそっけなく答えた。
「ええっ!?」青年はナイフとフォークを卓の上に落とす。「来訪教徒の一団に? そ、それでお怪我は? お身体は大丈夫なのですか?」
「全然平気よ、返り討ちにしてやったわ」
「か、返り討ちに? 何はともあれ、ご無事でよかった…」
「野盗にも襲われた」
「野盗にも!?」
「そっちも楽勝、私達3人の力で全員倒したの。ちっとも怖くなかったから」
「神々よ、我らの皇帝を守り給え…」
バルナレクが一喜一憂する度に、セーラツィカの顔はほころんだ。そんな主人の姿を目にして、隣に座るギルネラも微笑む。
「色々あったけれど、本当に実りのある旅だった。あなたが言っていた帝国の現状というのも、少しだけど理解できた気がする。問題は山積みね」
「私が述べた事を理解していただき、嬉しく思います。セーラツィカ様の身を危険に晒しましたこと、どうかお許し下さい。2度とこのようなことのないように致します」
「今の私の名前は、セルラルシェナ」
「せ、セルラルシェナ…? ああ、なるほど! 『我らが皇帝史』か!」
「別に謝らなくてもいい、お蔭で得られたものがあったから。自分には素晴らしい力があるって事を、ようやく知れたの。来訪者の1人や10人、簡単に倒せるぐらいの」
「素晴らしい力…」バルナレクは目を輝かせながら身を乗り出す。「異能に目覚めたのですね! 大地を割るのですか? 一瞬で森を消し炭にしますか? 龍の背に乗りますか?」
「それは…」
「そ、それは…?」
「今度話すわ。今日はもう疲れたから、ベッドに入らせてちょうだい」
バルナレクは「は、はあ…」と言って、困ったように笑った。
(コイツと一緒にいると、意外と娯楽になるわね)そんな青年を見て、セーラツィカは思った。
◇
寝室に戻ろうと立ち上がったセーラツィカは、ハッとしてバルナレクを振り返った。
「あの…、やっぱり寝る前に絵を見てもいいかしら? お父様とお母様の絵…」
青年は2人の少女を倉庫へと案内した。部屋の奥隅に置かれた木箱の中から、バルナレクは布で覆われた板状のものを丁寧に取り出す。
バルナレクは布を外すと、板を近くの棚に立てかけた。2人の少女は恐る恐る、板へと近づいた。
それは若い男女と赤ん坊が描かれた絵だった。蝋燭の明かりは男の緑の目と、女の赤毛とを宝石のように照らし出している。赤ん坊の目の色は、父親によく似ていた。
「お父様、お母様、お兄様…」セーラツィカは震える手で絵を掴んだ。
16年前に無惨にも殺された家族の顔を、少女は生まれて初めて目にした。嗚咽するセーラツィカの肩を、ギルネラは優しく抱いた。
「お気の済むまで存分にご覧ください。それでは、おやすみなさい」とバルナレクは倉庫から出て行く。
夜がふけるまで、セーラツィカは亡き家族のことを思って頬を濡らした。
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