来訪者殺しのセーラツィカ

二六イサカ

プロローグ

「セーラツィカ様。さあ、やるのです」


 少女の背後に控える栗毛の青年は言った。その手に持った剣は血と脂で赤黒く、肥溜めのように汚らしい。


 セーラツィカの隣に立っていた長身の女が、まだ刀身の汚れていない剣を少女へと手渡す。


 はあはあと荒い息を洩らしながら、セーラツィカは剣と長身の女とを見比べる。青年と同じように、その女の衣服と甲冑も血肉で汚れ、まだ乾いてはいなかった。


「やるの」


 長身の、先端の尖った長い耳を持つ女は言った。


「やるのよセーラツィカ。辛いだろうけど、あなたはやらなければならない」


 セーラツィカは震える手で剣を受け取る。得物は少女には重く、両手でしっかりと持たねばすぐに切先が地面についた。

 

 気付けば、大勢の兵士が少女を遠目に取り囲んでいる。


 皆どこかしらに傷を作り、血を流し、足腰は痺れ、喉は渇き、今すぐにでも横になりたい程の疲労ではあったが、これから起こる出来事を決して見逃しはしないと、血走った眼を瞬きもせずにセーラツィカへと向けていた。


 怖気付く心を必死に押し留め、セーラツィカは剣を引きずりながら対峙すべき相手へと振り返った。


 後ろ手に縛られ、地に両膝をつけた相手は、セーラツィカとそうは変わらない年齢の男子に見える。


 垂れた頭からは一定のリズムで血が滴り落ち、膝元に赤褐色の小さな池を作っている。背中と腕には矢が何本か刺さり、片方の肩の肉は抉られていた。


 少女は青ざめた顔で青年を振り返る。


「無理」唇を震わせながら、セーラツィカは言った。


「ごめんなさい。でも、やっぱり私には無理。こ、このまま放っておいてもあの者は死ぬ。でしょう? 私が手を下す必要など──」


「ダメです」青年が遮る。


「意見する不忠を、どうかお許し下さい。ですが、こればかりは他に道はありません。あなたの立場と役目を、改めて兵士達に見せつけるのです。そうして初めて、あなたは真の意味で皇帝になることが出来る。


 セーラツィカ様、どうかご安心ください。来訪者は、異世界からの転生者は人ではありません。奴らは人の皮を被った魔物です。奴らとその信奉者が今日まで成して来たことを、今一度思い出してください。ここに至るまであなたが目にした悪と腐敗は、全て来訪者に繋がるのです。


 どうか勇気を奮い起こし下さい。相手自身ではなく、その背後に広がる多くのものを見るのです。あなたは『皇帝』であり、『神々の子孫』であり、『どんな魔術にも倒されぬ大木』であり、『魔物を踏み潰す足』であり、『この世で最も明るい光』である。そして最後に──」


 青年は微笑みながら、力を込めて最後の一言を吐いた。


「あなたは『来訪者を打ち滅ぼす者』にならなければならない」


 誰かが自分に代わってこの重責を背負ってくれるよう、祈るようにセーラツィカはぎゅっと目を瞑った。


 だが誰もいない。神々の血を引く生き残りは、もう自分しかいないのだ。


 この戦場の勝者は他でもないセーラツィカだった。勝者は勝者の振る舞いをしなければならない。


 少女は唇を噛み締め、再び敗者に向き直る。


「た、助けて…」


 敗者は血と土に汚れた顔を上げて言った。舌がもつれているのか、言葉は不明瞭だった。


「俺、なにも知らなかったんです。死んだと思ったらいきなりこの世界にいて、それで女神みたいなのにこの世界を救えって言われて、それで…」


 セーラツィカの目が大きく見開かれた。拍動が速さを増すと共に、息がさらに荒くなる。


(この者は人じゃない、この者は人じゃない、この者は人じゃない…)


 少女は必死に、自分の心にそう言い聞かせた。


「お願いします。こ、殺さないでください。謝ります。あなたの仲間を殺したことは謝りますから。違うんです。俺が聞いていた話と全然違うんです。信じてください」


(来訪者は人じゃない。人の皮を被った魔物だ。魔物は殺さないといけない。大地と人々を守るために、殺さないと…)


 少女は剣を持つ手に力を込め、ゆらめきながら頭上へと振りかぶった。


「ごめんなさい、ごめんなさい! な、なんでこんなことになってんだ! 父さん、母さん、助けて! 俺死にたくない! こんなとこで死にたくないよ! 神様助けて、助けてくれ!」


(父さん、母さん…?)


 少女は動きを止めて、泣き崩れる相手を眺めた。家族と別れる苦しみと痛みを、セーラツィカは知り過ぎるほど知っている。


(そう、そうだった)


 少女の心の中から不意に迷いが消えた。それは殆ど諦めに近かったが、なにはともあれセーラツィカの身体の震えを止めた。


(私はお父様とお母様、そしてお兄ちゃんの為にこんな所までやって来て、こんなことをやっているんだった。二度と会えない人達と、日々の為に──)


 少女は覚悟を決めた。


(私は来訪者達に関わる全てを、地上より悉く滅ぼさなければならない…)


 熟れた果実を踏み潰すような音と共に、哀れな敗者の泣く声が止んだ。

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来訪者殺しのセーラツィカ 二六イサカ @Fresno1908

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