犬男

折原 一

第1話

男には金がなかった。

親を失い、知り合いもいない。まともな身分も持たない男は、生きていくにはなんでもするしかなかった。

幸か不幸か、男は仕事にありつけた。それは犬だ。

犬のふりをして、笑いを取る。ただそれだけの仕事だ。やくざのような男に頼まれたのは、それだけであり、それができなければ死ぬことになる。

男は全力で犬になった。靴をなめ、床をなめ、自分の尻もなめた。男の奇行に、周囲のやくざたちは大いに笑った。もちろん同じことだけでは飽きられてしまう。男は全力で犬を研究した。

街を歩く犬を見て、歩き方、舌の出し方、糞尿の仕方、人間に媚びるための動きを調べ上げた。男は絶え間なく新ネタを出し続けた。そしてやくざたちも飽きることなく笑い続けた。そうしてやっと、男は毎日のご飯にありつけた。

ある日、男は飲食店でご飯を食べた。しかし、男はいつもの癖で犬のように皿に口を突っ込み、食べてしまった。

気が付けば、周りは冷たい目でこちらを見ていた。男は気づいた。自分の仕事がおかしいことに。

男はひどく恥じた。このまま人としての尊厳を捨ててまで、生きていくことに意味があるのだろうか。

男はナイフを手に取った。しかし手首に添えた瞬間、恐怖を感じた。

生きたいわけじゃない。ただ、死ぬのが怖かったのだ。

男には死ぬ恐怖を乗り越えるだけの羞恥心はなかった。男の正体は、人間として生まれながらも、死ぬほどの尊厳も持ち合わせていない、低俗な獣だった。

男は恥を売った。安っぽい羞恥心を金に換えながら、今日も地べたを這いつくばった。

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犬男 折原 一 @tnkkn

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