第11話 Bad communication

 土の香りで意識が覚醒する。 左頬に、細かい草の突き刺さる擽ったい感触がある。また変な場所で目が覚めてしまったようだ。現在自分が置かれている状況を理解するために、唖杭は体をゆっくりと起こす。


「起きたか」


 頭上から低い声が聞こえてきた。


 顔を上げると、唖杭を担ぎ上げ車に詰め込んだ男が、仁王立ちでこちらを睨みつけていた。


 …確か彼は、軌場と呼ばれていたはずだ。


「…ええと、どうも」


「どうもじゃねえよ全く。すやすや眠りやがって」


 唖杭が夕方アパートを出てから随分時間が経ってしまったしい。夜を一周したであろう空は明るく白み始めており、雀の鳴き声が響き渡っている。まさかこの男、唖杭が自然に目覚めるまでずっと待っていたのか?それよりも、ここはどこだろうか。周囲は山々に囲まれており、風が木々を揺らし、葉の擦れる音がかすかに聞こえる。自身の住んでいるアパートの周辺でないことは確信できた。


 唖杭は、自身の体が特に拘束されていない事に気が付いた。拉致された割には、手も足も縛られておらず自由に動かせる。地面に手を付き立ち上がろうとすると、目の前の男は眉を顰めながらも、黙ってその様子を見守った。


 唖杭は立ち上がり、手で体に付いていた土を掃う。多少頭痛がするし、決して気分が良いとは言えないものの、特に大きな問題は無さそうか。


「体に異常は無いか」


 男…軌場がぶっきらぼうに尋ねる。体の心配をされるのは少々意外だ。


「ああ、はい。問題なさそうですが」


「そうかよ、この化物め」


「ええ…」


 敵意を隠そうとしない物言いに少々困惑するも、化物と言われてあまり否定はできない。唖杭は指で、軽く首を撫でる。相変わらず蛇は、自身にしっかりと巻き付いていた。


「ここは何処ですか」


「…お前には、覚えがあるんじゃないのか」


 まるで唖杭を試すかのようにそう返事をされる。とは言っても、こんな山中に用事があったことなど無い。唖杭はなんとなく後ろを振り向いてみた。


「…!」


 背後には、崩れ落ちた壁とひび割れたコンクリートの塊となり、屋根は崩れ、瓦礫が散乱した建物が背後に広がっていた。床には泥や瓦礫が積もり、蔦が壁を這い、床には苔が生えている。


「廃墟?」


「……おい、知らないふりをしても無駄だぞ」


 そんなことを言われても、やっぱりこんな場所は見たことも聞いたことも無い。黙って突っ立っていると、「はぁ、時間の無駄だな」とため息が聞こえる。


 背後に立っていた軌場は、ゆっくりと唖杭を追い抜いていき、廃墟の方へと歩を進める。


「付いてこい」


「…分かりました」


 ここが何処だか分からない以上、従う外無さそうだ。最悪彼に殺されそうになっても、きっと蛇が餌にしてくれるはず。不安と慢心が入り混じる中、唖杭は素直に軌場の後へと続くことにした。


 瓦礫を踏み越えるたびに、次第に朽ち果てた建物の構造が見えてくる。壁の一部はまだ立っており、その表面には古いポスターや注意書きが貼られている。床には壊れたガラス片と何らかの器具、金属の破片が散らばっており、朽ちた机が倒れ、壁には何かの計器が取り付けられていた。


「研究所…?」


 唖杭が何気なくそう呟くと、「そうだ」と軌場から返事があった。


「二年前の冬の夕方、突如周辺で竜巻が発生し、この生体科学研究センターを襲った。当時、センター内に居た二十五名の内、二十二名が死亡、三名が負傷した」


「!、その話は知っています。国内で発生した竜巻被害の中でも過去最悪のレベルだと、暫くニュースで話題になっていましたね。…ここがそうだったんですか」


 忌々しき冬のあの日、その竜巻被害に関するネット記事を読んでいた覚えがある。そうなると現在地は、自宅から車で三時間以上の場所であることが推測できた。



「大量の死者を出し、センターの機能が完全に停止したことにより、運営していた財団は解散。生き残った三名は退院すると、少量の見舞金を渡されたのち、厄介払いをするように追い出された」


「……」


 竜巻の発生は予測が難しい上に、短期間で甚大な被害を及ぼす。気づけば皆逃げる間もなく、何もかも荒らされ、破壊されたのだろう。唖杭は自然の驚異にゾッとする。


「だがこれは、表向きの理由、現場に居なかったものの判断でしかない。惨劇の真実は、俺達生き残りしか知らないんだよ」


「え?」


 軌場は開けた場所で立ち止まり、朽ちたコンクリートの壁を指差す。


「見ろ」


 その壁と周辺の床は、謎の黒い染みが、縦横二メートルほどの範囲に広がっていた。…何となく、唖杭はその染みの正体を察してしまう。


「血、ですか」


「ほう、完全に無知のフリするわけでもないみたいだな」


 軌場はそう言いながら腕を組む。


「その通り、血だ。しかも、俺の同僚のものだ。あいつはな、その壁に体を押し付けられ、大根おろしみたいにずりずりと体をすり下ろされて死んだんだよ。俺は折れた骨の痛みに耐えながら、その光景を見ていることしかできなかった」


 そんな芸当は、竜巻にはできない。嫌な汗が頬を伝う。


「全身が捻じられて骨が粉々になっていたり、四肢がもがれたり、瓦礫に押しつぶされたり、…皆、惨たらしく殺された。建物がこれだけ破壊されたことも相まって、まさしく、災害に遭ったとしか表現しようがない状況だったよ。…誰も、化物に襲われたなんて信じないだろうしな。俺が病院で目が覚めた頃には、何もかも全て終わっていたんだ」


 その化物とやらに、唖杭は一つだけ心当たりがある。


 軌場が唖杭の方へと振り向いた。


「ここを破壊し尽くしたのは竜巻なんかじゃない。巨大な黒い蛇の化物を従えた謎の女だ。そしてその女の顔は、テメエにそっくりだったんだよ…!」


 どうしようもない事実を突きつけられると、何も面白くないのに口角が上がってしまう。本当に、何をしているんだ姉貴。何故そんなことを。


「仲間を襲ったクソ女を捕まえてぶっ殺してやるため、生き残りの俺達は集まって協力することにした。…地道にあの女の手掛りを探し続ける中、お前を見つけたのは偶然だったんだ。一週間前、十篠が『施設を襲った女とソックリの男を見つけた』って騒ぎだしてな。なので暫く男を見たという近辺を張っていたら、あのボロアパートからノコノコ出てきたのがお前だったって訳だ」


 軌場のかけている眼鏡の奥からは、怒りに満ちた目が覗いている。隣人を訪ねていた借金取りとは比べ物にならない程、その眼光は鋭い。


「俺達だって常識は持ち合わせてるぜ?例えあのクソ女と顔面がソックリだろうとも、目の下にクソ女と同じ痣があろうとも、普通に質問して、何も知らなそうなら穏便に退く手はずだったんだよ…だが」


 唖杭は胸倉を掴まれる。


「テメエのその首に巻き付いている化物が、十篠の指を食いちぎった!お前があの女の仲間であることは間違い無いんだよ!お前らは何者だ!!?何故こんなことをした!その蛇の化物はいったい何なんだ!!?」


 それは、俺が知りたい。


 唖杭は胸倉を掴まれながら、どうすれば目の前の怒れる男に自分の話を聞いてもらえるのか模索した。

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