悪役令嬢に転生したけど聖女と猫友になれたので何の問題もありません

宵宮祀花

癒しの猫ちゃん

 歩きスマホの男にホームで体当たりされて、バランスを崩して線路に顛落。最後に見た光景は「やっべ」って顔をした男と、横から迫り来る眩しいライト。


「ハッ……!!」


 勢いよく跳ね起き、荒い呼吸を繰り返す。

 転生してからも、私は何度もあの日の夢を見ている。自分が死んだ感覚と、何処か深いところに引っ張られるような奇妙な感覚に襲われる。その夢を。

 最期の夢を見るときはだいたいストレスがかかったときで、今回は前日に婚約者が王都に招いた聖女に現を抜かしている現場を目撃したことだった。


 私は、元はただの女子高生だった。

 それがいまでは、どういうわけか銀髪縦ロールの貴族令嬢になっている。しかも、身に降りかかる展開と自分のビジュアル的に、悪役令嬢っぽい立ち位置の模様。私がなにをしたって言うんだろう。

 最初は庶民の中の庶民が貴族に生まれ変わったらボロが出まくって大変なんじゃと思ったけど、どうも体に貴族令嬢としての所作が染みついているらしかった。だから日常生活に支障はないんだけど……メンタルまではどうにもならなかった。

 シナリオ通りに世界を進めるなら聖女をいびったりしたほうがいいのかもだけど、残念ながら私にそんな根性はない。婚約者が彼女に声をかけているところを見ても、裏切られたって気持ちは湧いてこない。ただ、国のトップ候補があれでいいのかっていう妙な方向でのストレスが、主に胃の辺りにかかるのだ。

 他にも所謂攻略対象らしき異性がいて、彼らは総じて聖女に群がっていく。そして彼女が異性と絡むとき、私は踏み台として使われる。

 たとえば。偶然廊下で出会って立ち話をしていたら、騎士のフェルナンド様に突然割って入られた。中庭で彼女が落とし物をしたのに気付いて背後から声をかけたら、伯爵令息のエティエンヌ様がすっ飛んできた。カフェを案内していたら、子爵令息のリオネル様が通りかかって何故か庶民を馬鹿にしていると言ってきた。聖女の役目に慣れておらず疲れた顔をしていたのでベンチで休ませていたら、王子が私を彼女から引き剥がして悪辣な魔女と罵った。

 直近だけでこれだけのことが起きている。

 精神的に追い詰められた私の、数少ない息抜きが王都散策。そして、更なる癒しが此方。


『んなーぅ』

「猫ちゃん、今日も会いに来たわ」


 現世で言う地域猫が、王都にもいる。なんて素晴らしいんだろう。

 この国では猫ちゃんは神聖な生き物で、自由であるがゆえに自然に最も近く、魂が精霊王国と密接に繋がっているとか。素晴らしい。

 青々とした若草の上に座り込んで、猫ちゃんを撫でまくる。最早この瞬間のために生きていると言っても過言ではない。


「……っ!」


 とろけるふわふわを無心で撫でていたら、近くの茂みがガサリと揺れた。反射的に其方を振り向くと、音の源にいたのは一人の少女だった。

 栗色の髪と赤茶色の瞳の、素朴な風貌の子だ。服装も平民のそれで、腰に巻かれた革製のポシェットとブーツが活発そうな印象を与える。

 なにを隠そう、彼女こそがこの国の聖女、アデルだ。


「も、申し訳御座いません! エリアーヌ様がいらっしゃったとは思わず……」


 恐縮して頭を下げる聖女の姿と彼女を見上げる私の姿は、外から見たらガンつけて威嚇している意地悪令嬢といたいけな少女の図でしかない。鏡で自分の姿を見たとき思ったんだけど、私ってばノーメイクでも目力が半端なかったから。


「あなたも、この子たちに会いに来たのかしら?」

「は……はい……ですが、あの、今日のところはお暇して」

「どうして? 私は気にしないわ」


 アデルは目を泳がせながら「えっ」「あう」「でも」と短い音を繰り返している。


「……それとも、私がいると気が休まらないかしら」

「! い、いえ! とんでもないですっ!」


 見上げていると睨んでいるように見えそうなので目を伏せて言えば、アデルは膝をついて背筋を伸ばした。所謂正座の格好だ。


「その……エリアーヌ様がわたしとお話してくださるとき、いつも邪魔も……いえ、貴族の男性の方がいらっしゃって、エリアーヌ様を誤解なさるので……またご迷惑をおかけしてしまうのではと……」


 彼女、いま邪魔者って言いかけた?

 しゅんと俯いて言う姿はとても愛らしく、男でなくとも庇いたくなってしまう。

 これがヒロインと悪役令嬢の差だろうか。


「いいのよ。少なくともあなたは、私を誤解していないでしょう?」

「それは勿論です! エリアーヌ様がひどい人だなんて、誰が言い出したのか……」


 正座状態のアデルの膝に、グレーの毛並みをした猫ちゃんが乗った。

 アデルの口から「はわ……」という感嘆の音が漏れたかと思えば、恐る恐る背中をなで始めた。気持ちはわかる。


「最近、嫌なことがあると此処に来るんです」

「あら。私もよ。奇遇ね」

「エリアーヌ様も、ですか……?」


 アデルは目を瞬かせてから、膝の猫ちゃんに目線を落とした。


「もしかしなくても、わたしのせい、ですよね……」

「いいえ。邪魔者のせいよ」

「んげふっ!」


 奇怪な音を漏らして、アデルが噎せた。

 そんなに変なことを言ったかしらと思いつつ、ハンカチで口を押さえて噎せているアデルの背中をよしよしと撫でる。膝の上にいる猫ちゃんも、何事かといった様子でまん丸な瞳をアデルに向けていた。


「すみません……聞こえてたんですね……」

「ふふ、何のことかしら」


 顔を上げたアデルと、至近距離で目が合う。

 噎せ散らかしていたせいで涙目になっていて、頬も赤い。こうしてみると、愛嬌があって可愛らしい顔立ちをしている。子リスのような愛らしさだ。


「はわ……!」


 間近でじっと見ていたら、アデルが更に顔を赤くした。


「ごめんなさい、ジロジロ見たりして。……嫌だったわよね」

「ひょえっ! ちちち、ちがいますっ!」


 ぶんぶんと首を振り、アデルは私の腕に縋って見上げてきた。そんな必死になって弁解しなくても、別に家の権力でどうこうしたりはしないのに。


「エリアーヌ様があまりにお美しくて……それに、今更ですが、公爵令嬢とこうしてお話ししているのが何だか夢みたいで……」

「まあ、そんなこと。いまの私はただの猫好きのエリアーヌよ。あなたも、聖女ではなくただの猫好きのアデルでしょう?」

「……! はいっ!」


 私の言葉に、アデルは目を丸くしてから花が咲くように笑った。

 可愛い子はやはり笑っているほうが断然可愛い。


 暫く猫ちゃんたちと戯れて、そろそろいい時間となったとき。

 私は立ち上がってアデルに言った。


「嫌なことがあったときは此処で気を休めるのが一番ね」

「そうですね。わたしもそう思います」


 それ以上の言葉は交わさず、それぞれ別れて猫広場を去った。

 次の約束はしない。でも、会わないとも言わない。私たちには、この場所がきっと必要だから。


 * * *


 あれから私たちは、幾度となくあの場所で語り合った。

 つまりはそれだけの回数、私たちが理不尽な目に遭っているとも言えるのだけど。それでもアデルが私をわかってくれているから、猫ちゃんたちが迎えてくれるから、どんなにつらくても公爵令嬢として立っていられた。


 そして、初めて猫の広場で出会ってから、一ヶ月後。

 聖女のお役目である聖堂での祈祷を終えたアデルと、王都で行き会った。今回私は公務で来ており、いかにもな気品溢れるドレス姿だった。だからだろうか。


「ぁ……」


 アデルはか細い声を漏らして立ち尽くしたかと思うと、深々とお辞儀をした。

 まるで、いつも会うときとは違う態度に、当たり前だとわかっていても立場の差を自覚してしまう。


「本日も滞りなくお役目を果たされたようですね」

「お陰様で日々大切に務めさせて頂いております」

「その調子で、今後とも尽力してくださいましね」

「心得ております。お言葉ありがとうございます」


 頭を下げたまま答える彼女が、なにを思っているのかはわからない。けれど何故か彼女に付き添っていた王子が、私を忌々しげに睨んでいることはわかる。


「ふん、世継ぎを産むだけの道具の分際で偉そうに」


 すれ違い様、信じられない言葉を吐かれ、私は振り返ることすら出来なかった。

 アデルの肩を抱きながら言っていたから、あの愚劣極まりない言葉は彼女の耳にも触れてしまっただろう。

 私はアデルたちが見えなくなってから屋敷に帰り、楽な格好に着替えた。

 公務用にバッチリ決めていたメイクも落として、大人しめの顔を作る。といっても元の顔面が強めだから、本当に気休めでしかない程度だけど。


「ごめんなさいね、猫ちゃんたち……元気のないときばかり来てしまって」


 やわらかな下草に力なく座り込み、いつも寄ってきてくれる白い猫ちゃんをそっと抱きしめた。猫ちゃんは私に抱かれたまま喉を鳴らして、時折『うぅーん』と可愛い声を漏らしている。

 猫ちゃんのふわふわに癒されていたら、先日と同じ方向から人の気配がした。


「アデル」

「エリアーヌ様ぁ……」


 今回は登場と同時に涙目になって、アデルはがくりと膝をついて泣き出した。白い膝が草に擦れて、青い匂いが辺りに広がる。近くにいた猫ちゃんが鼻をひくつかせてアデルを見上げ、ふわふわクリームパンのおててでそっと触れた。


「何なんですか、あの人……なんであんなことが言えるんですか……」


 ぼろぼろと泣きながら、アデルが恨み言を零す。

 やはりあの言葉が聞こえてしまっていたみたいで、泣きながら許せないだとか頭がどうかしているだとか、言いたい放題罵詈雑言のオンパレードだ。


「私、この国の民は好きよ。でも、だからこそ私の代で腐った王冠を掲げるわけにはいかないと思っているの」

「……? なにか、お考えがあるんですか?」


 不思議そうな顔で見上げてくるアデルに、私は微笑んで見せた。


「今度婚約発表パーティがあるでしょう? 確か貴方も呼ばれていたわね」

「え、ええ……はい……将来を決める大事な発表があるからと」


 アデルの言葉で確信した。

 ただの婚約発表なら改めて言うことでもない言葉を、彼はアデルに吐いていた。


「そのとき、彼はうれしそうではなかったかしら」

「そうですね……やっと真実を暴けるとか俺たちの未来がどうとか……正直あの人の言葉は意味がわからないので、殆ど聞き流していたんですけど。もしかしてちゃんと聞いたほうが良かったでしょうか……」

「いいのよ、それだけわかれば充分だわ」


 生前チラッと読んだ物語の知識が、こんなところで役立つとは思わなかった。私が悪役令嬢なら、このあと必ず起きるイベントがある。

 それが起きてしまえば、あとは転がり落ちるだけ。


「ねえアデル。婚約発表パーティの前夜だけは、私のために祈ってくださらない? 個人的なお願いだから聖堂に行く必要はないし、ほんの少しでいいの」

「えっ、それはもう、願ってもないことですけど……」

「ありがとう。こんなに心強いことはないわ」


 私はこの国を愛している。民を愛している。

 だからこそ私は、私のために戦うと決めた。

 公衆の面前で行ってもいないことを理不尽に責めたてられたとき、民は私を慰めてくれた。公務と無関係の散策で来たときは、ただのエリアーヌとして接してくれた。

 地方から突然呼び出されて王都に拘束されているアデルにも理解を示してくれて、彼女のことも普段から支えていると聞く。

 そんな温かい民で溢れたこの国を、あんな愚昧に踏み躙られてなるものですか。


「ねえ、アデル」

「はい」

「次はうれしいことがあったときに、此処を訪れたいわね」

「はいっ」


 涙目のまま弾ける笑顔で頷いたアデルを、私はそっと抱きしめた。

 怖ず怖ずと背中に回された手の感触に、決意を新たにする。


 大丈夫。私は、戦える。

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