ラグナロク・ハート
たーる・えーふ
序章 鬼火と共に来る
「っはぁ……はぁ……っ!」
息を切らし走りながら、ソフィは振り向く。後方に広がる夜闇の中に、光が浮かんでいる。青白い光を放つ、火の玉だ。
鬼火だ。ソフィは両親の話を思い出した。鬼火と共にやってくる人殺しの話。心臓狩人と呼ばれるそいつらは、特別な心臓をもつ人間の前に現れ、脈打つ心臓を奪っていく。生きている人間の心臓を奪う、そんな常軌を逸した人間がいるはずがない。きっと進学でひとり上京する娘の夜遊びを牽制する方便だと、ソフィは思っていた。
真実だった。心臓を狙う狩人は、鬼火と共にソフィの前に現れた。
追われる恐怖から声を出す余裕がないソフィは、走りながら助けとなる人影を探す。周囲には誰もいない。ソフィが普段、通学路として通っている広い公園。昼間は人の姿が必ずある場所だが、深夜の時間帯ではそうはいかない。ソフィは、友人との飲み会で遅くなり、近道と思い公園内を通ろうと考えた自身の判断を悔いた。
「はぁ……はぁ……」
ソフィは、自身の荒れる呼吸音と背後からの足音を聞いた。心臓狩人が迫る気配をソフィは感じた。恐怖は足をふらつかせる。公園を抜け、人のいる通りまで逃げ切れないことをソフィは悟った。
使うしかない。幼少の頃から両親に人前では絶対に使うなと厳命されてきた。使うこと自体、久しぶりであり不安もある。だが、命には代えられないとソフィは決断した。
大丈夫、大丈夫だ。自分はきっと上手くできると自身に言い聞かせ、ソフィは自身の胸元へ意識を集中させた。ドクン、と心臓が音を立てた。久しぶりに始動したエンジン音のようにソフィは感じた。
ボッと、ソフィの胸元に光が灯った。青白い輝き。背後から迫る鬼火と同じ光。
出来たッ! ソフィは笑みを浮かべた。助かるという希望と共に、「力」の名を叫んだ。
「消えろ!!」
ソフィの胸元の鬼火が、強く輝いた。
走るソフィは、前後に振るう自身の腕を見た。地面を蹴る靴を、足を見た。
消えていく。空間に溶け込むように、ソフィは自分の姿が消えていくことを実感した。
ソフィはこの力をヴァニッシュ・カラーと呼んでいる。ソフィの特別な心臓が生み出す力。ソフィの姿を完全に透明化させる能力。
ソフィは、安堵した。これで、逃げ切れ―。
「素晴らしい力だ」
真横から聞こえた声。え、と視線を向けたソフィを衝撃が襲った。宙を舞ったソフィは自身が蹴り飛ばされたこと、後方にいた筈の鬼火がいつの間にか、自分の真横にいたことを察した。
鈍い衝撃音とともに、ソフィは地面に叩きつけられた。地面に落下しただけでは、蹴り飛ばされた勢いは減じず、ソフィの体は公園脇の林の中へと転がっていく。
「い……たぁ……」
あまりの痛みに声を出したソフィは、透明化していた自身の姿が徐々に輪郭を取り戻していく様子を見た。同時に、胸の青い光も消えていった。
「監視カメラはもとより赤外線、反響定位でも感知することが出来ない完全透明化能力か」
声が聞こえた方向、ソフィは近づいてくる心臓狩人を見上げた。ローブのような長衣を纏っているため特徴も性別もわからないが、声音から相手が男だとソフィは思った。心臓狩人の顔はどこにのぞき穴があるのかわからない、無貌の仮面で隠されていた。
「貴方は……だ、れ……?」
倒れた自分の横に立った仮面の男にソフィは、声を振り絞って尋ねた。
「ほう! まだ、声が出せるか。なかなか肝の据わった女だ」
仮面の男は、心底驚いた様子で言った。
「俺が、誰か。俺は―」
仮面の男は、身にまとう長衣の内側に隠されているモノをソフィに見せた。
「ひ」
一つひとつパッケージされ、男の長衣の内側に縫い付けられたモノを見て、ソフィは悲鳴を上げた。
無数の、脈打つ心臓がそこにはあった。
仮面の男は言った。
「俺は、心臓狩人だ。聞いたことくらい、あるだろう」
鬼火と共に来る死神だ。
心臓狩人の胸に灯る鬼火が青く輝いた。もしくは、と男は続けて言った。
「俺やお前の体にある特別な心臓……ラグナロク・ハートを必要としている奴や組織に用立てる、個人事業者とも言えるなぁ」
心臓狩人は、右手を自身の頭上に掲げた。胸の光が掲げられた右手の周囲に伸びていき、一つの形を成形していく。
轟、という音ともにソフィは熱を感じた。心臓狩人の右手には、赤く燃え盛る炎で出来た巨大な鎌が握られていた。
「シャイニング・ハーヴェスター、これが俺の能力だ。お前の能力と比べて、ひどく単純な能力だ」
心臓狩人が炎鎌を振るった。肌を焼く熱風をソフィは感じた。近くの木の幹が斬撃面に沿って、音を立てて切り倒された。木の切断面は真っ黒に焦げ、煙を上げている。
「焼いて斬る、それだけだ。だが、単純なだけに利点も多い。焼いてしまうから出血も最低限、心臓の新鮮さが保てる」
心臓狩人はまるで日常の、便利な道具を自慢するように言った。
「では、早速で悪いが……死んでもらう」
鎌の刃が、ソフィに向けられた。
「安心しろ、痛みは一瞬だ」
振り上げられた鎌の炎が描く軌跡を見たソフィは、首と胴が切断される恐怖から目を閉じた。死んだ、そう思った。襲い来る鋭い痛み、または地獄のような熱を覚悟した。そして、田舎の両親に別れを告げた。
―え。
痛みと熱は、いつまでたっても来なかった。ソフィは、近くにいる心臓狩人の気配を感じた。燃え盛る鎌が上げる炎の音も聞いた。心臓狩人の気が変わって、ソフィの心臓をあきらめて帰ってくれたわけではなさそうであった。
何かの変化を感じ取ったソフィは、おそるおそる閉じていた目を開いた。
心臓狩人は変わらず、ソフィのすぐ傍に立っていた。だが、心臓狩人はソフィを見ていない。動きを停めた心臓狩人の視線は、林の外へと向けられている。
「馬鹿な」
心臓狩人の呟きをソフィは聞いた。
「馬鹿なっ! なぜ、なぜ貴様がここいる!!」
心臓狩人は、明らかに狼狽していた。その様子を見て、先ほどまで正体不明の化け物のように感じていた心臓狩人が、自分と同じ人間であることをソフィは再認識した。体を硬直させていた恐怖が薄らぎ、ソフィは心臓狩人の視線の先を見た。
林の入口に立つ、男の姿をソフィは見た。雲の切れ間から降り注ぐ月光が、その輪郭を明らかにしていく。羽根つき帽子、黒いコート、顔には笑みを浮かべている。
「なぜ、ここにいるか? ですか」
うーん、と男は考え込む素振りを見せて、言った。
「まあ、確かに。本来なら、ここには寄らないはずでした。クアドロシッドの臓器密売組織を壊滅させた後は、ユグドラシルへ直帰する予定でしたからね」
言いながら男は、林の中に歩を進めた。心臓狩人が炎鎌を構えたまま、一歩下がったのをソフィは見た。
「でもね、途中で聞いちゃったんですよ。ある心臓狩人の情報を、ね」
男は、にっこりした笑みを浮かべながら、心臓狩人を指さした。
「つまり貴方を捕まえに来たんですよ、心臓狩人、ギフト・クランクハイト」
瞬間、心臓狩人が動いた。炎鎌を振り上げ、男に向かって飛び掛かる。心臓狩人が声を上げた。それがソフィが聞いた、心臓狩人の最後の声であった。
「舐めるなよ! エルド・リゼンハイム!!!!」
エルド。
エルド・リゼンハイム。
心臓狩人が読んだ男の名に、ソフィは覚えがあった。というよりも、知らない人の方が少ない名前だ。自分や、あの心臓狩人のように特別な心臓「神滅心臓」を持つ者、滅びた神々の力を行使できる能力者、ハートホルダーの中で最も有名な名前。
死線散歩者、鉄森の後継、要塞落とし、魔竜狩り、都市伝説のような多く逸話と多く異名を持つ者。そして、最も有名な異名と共に謳われる者。
世界樹の魔人、エルド・リゼンハイム。
鬼火と共に英雄はやってきた。
助かった、その安堵から、ソフィの意識は暗転した。
次にソフィが目覚めるのは全てが終わった十二時間後、病院のベットの上である。
舐めるな、か。襲い来る炎の斬撃を回避しながらエルド思った。
心臓狩人、ギフト・クランクハイト。またの名は、赤焔の死神。かつて存在した、世界樹政府軍のハートホルダー部隊「U013」の元隊員。決して、舐めてかかれる相手ではない。事実、エルドは真剣である。
だが。
「勝てない気は、しませんね」
斬撃、そして炎を搔い潜り、エルドはギフトの腹部へ掌底を打ち込んだ。
浅い。しかし、牽制にはなったようで、ギフトは後方へと飛び、距離を取った。
林中から始まった攻撃と回避の応酬により、場所は公園内の中央にある人工池の畔まで移動していた。
エルドは、数メートル先で炎鎌を構えるギフトを見た。轟轟と音を立てて燃え上がる鎌の炎が、ギフトの無貌の仮面を照らし出した。表情から次の行動を予測させない仮面の厄介さを感じながら、エルドは心臓狩人が奥の手を隠していることを直感した。
「エルド・リゼンハイム」
ギフトが言った。
「なぜ、能力を使わない」
「その口ぶりですと、私の能力をご存じのようですね」
「ああ、知っているさ。知らん奴の方が少ないだろうよ」
言いながらギフトは、炎鎌を振るった。一瞬で、周辺の芝生が焼失した。
「だが、それが真実だと確信している奴は何人いるだろうな? 噂は一人歩きするものだ。人から人へ伝わる間に、真実は輪郭を失っていき、別の形になる」
エルドは苦笑して、頷いた。
「ええ、全く……迷惑な話ですよ、本当に。聞くところによれば、私は人の形を真似た化け物だとか、実は複数人いるとか、政府が作り出した架空の人物だとか」
「要塞都市ロスモルグの話だ」
ギフトの言葉を聞き、エルドは肩を竦めた。
「貴様は、たった一人で乗り込み……五十名のハートホルダーを制圧し、都市を支配していた雷候サエッタを討ち取った」
さらに、とギフトは言った。
「どこかの馬鹿な学者が蘇らせた竜の首を斬り落とした話、封印区画である鉄の森に侵入して生還した話……そして、懐かし我が故郷、戦闘部隊U013を解散に追い込んだ話」
ギフトは炎鎌をエルドに向けて、言った。
「全て、本当の話だ。真実だ。俺は、知っている。お前の能力がなんであるかも、正確に認識している。発動したら、俺が決して勝てないということも」
おや、とエルドは希望を込めて言った。
「これは、もしや降参宣言ですか、ね?」
「……言っただろう、発動したら決して勝てないって、な」
エルドは、ギフトの殺気が一気に膨れ上がるのを感じ、眉を顰めた。
「何を」
「すぐに能力を使わなかった、貴様の負けだっ!!!!」
エルドは、ギフトの炎鎌の刃が形を崩したのを見た。刃は渦巻く炎そのものと化し、エルドの向かう奔流と化した。
火炎放射。ギフトの奥の手であることを確信し、エルドは炎の飲まれた。
勝った、そして、まだだとギフトは思った。奴を、エルド・リゼンハイムを同じ人間と考えることは誤りだ。こいつは、噂通りの化け物だ。 心臓狩人としてエルドの心臓にどれほどの値がつくか気にはなったが、確実にこの世から葬り去らなければと思いなおし、ギフトはさらに火炎放射を続ける。
シャイニング・ハーヴェスター、火炎放射形態。心臓狩人になってからは一度も使っていない力だが、戦闘部隊にいた頃は、これでよく人型の炭を作っていた。威力は折り紙付きだ。
奴は炭にすらしない、完全に焼失させようとギフトは、人の形で燃え上がるエルドを見た。
動いていた。
「は」
ギフトは、瞠目した。人型の火と化したエルドが動いていた。右手をゆっくりした動きで胸の前に動かしていく。
「顕現」
ギフトは燃え上がる炎の中から響く、エルドの声を聴いた。
赤い紅蓮の炎の中に、青い鬼火が灯った。
「馬鹿な」
鬼火の光は強く、炎の赤を青色に染め上げていく。
「馬鹿な」
赤い炎を染める、鬼火の青い光の向こうに無傷のエルドの姿をギフトは見た。
「馬鹿なあああああ!!」
恐怖の叫びをあげ、ギフトは最大出力の火炎放射を放つ。渦巻く炎がエルドに襲い掛かった。
だが、炎がエルドに届くことはなかった。エルドの右手に握られた、黄金色をした槍から放たれる光が障壁となり、炎を防いでいた。
槍。エルドの持つ、光の槍を見てギフトはその名を呟く。
「グン……グニル!!」
「さっすが! よくご存じで!」
ギフトは、エルドが右手を引く動作を見た。予測される攻撃は、単純な突き。刃を前方へ向かって突き出す、単純な攻撃。もちろん、距離的に刃がギフトへ届くことはない。不発、無駄な攻撃。
だが、それは得物がただの槍であった場合だ。
ギフトは知っている。ハートホルダー、エルド・リゼンハイムの能力「グングニル」が尋常の能力ではないということを。
エルドの能力で現出したグングニルは、最高神オーディンの武装。槍の形をした超エネルギーの塊。
そこから放たれる、突きは。
「そうそう、最後に質問に答えておきましょう」
エルドが言った。
「なぜ、能力を使わないのか? もちろん、舐めてたわけじゃありませんよ」
そして、答えと共に突きは放たれた。
「追い詰められてから使ったほうが、カッコいいからです!!」
ギフトは、見た。放たれたのは、単純な突き。ただの一突き。その一突きから発生した衝撃波が、シャイニング・ハーヴェスターの火炎放射を易々と真っ二つに切り裂き、自身へと迫りくる光景を見た。
四肢がおかしな方向へ曲がることを感じながら、ギフトは吹き飛び、仮面が割れると同時に意識を失った。
人工池近くの林の中、向こう岸で戦闘が終了する様子を女は見ていた。
「エルド・リゼンハイム、世界樹の魔人の名は伊達ではないか」
理想とは程遠い結果だった。少しでもエルドがダメージを受ければと思い、クアドロシッドの臓器密売組織や心臓狩人の情報を流して場を整えたが、結果は無傷。
しかし、得るものもあったと女は思う。エルドが実際に戦う様子を確認できたことは大きい。なんの拘りか、エルドは能力を最後まで使わないことも分かった。
能力を使う前に、勝負を決める。
エルドは強敵だ。間違いなく、世界最強のハートホルダーの一角だろう。
だが、女には負けられない理由があった。必ずエルドを倒し、教授と呼ばれる男のもとへ連れていく必要があった。
姉さんを私は取り戻す。
女はきびすを返し、林の闇の中へと消えた。
ラグナロク・ハート たーる・えーふ @taruefu-retro
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