第5話 エメラルド


かつて私利私欲で栄華を極めた美しき王女の姿など、もうどこにもない。

目の前にいるのは、この期に及んで己の罪すら顧みずに欲しいものを欲する強欲なエメラルド。


「その髪も、目も、私に寄越しなさいよおおぉっ!その健康な身体もドレスも髪飾りも私のものだわ!この身体はもういらないものなの!何故なら新しい私の身体が来たからよ!神が私にプレゼントしてくれたのおおおぉっ!」

よくもまぁそんな思考に走るものである。あなたの言う神と言うのは、あそこで朽ちているのだから、もうあなたを特別扱いしてはくれないのよ……?


そう、もう誰も。

しかも今まで見てきたところには、人骨はあれど魔物しかいない。ひとっこひとりいない。


「生き残っているひとはいないの?」

「いないんじゃないかな?魔物に食い荒らされたか、飢え死にして食い荒らされたか」

その2択しかないっての……?


「国外に逃れたひとはいないの?」

国境は酷いありさまだったけど。


「逃がさないよ。誰も、どの国も」

国……?


「周辺国ってこと……?」

そのひとつが隣国のシュテアランドだ。しかしシュテアランドは貧しく、今までの富で肥えたこの国の国民を受け入れる助力などないはずだ。

そして貧しいが故にそれに抗う力もない。生き残った国民がどのくらいあれ、武器を持って押入られれば抵抗できるかどうか。そう言う面ではシュテアランドの平穏のためにも逃がさない方がいいと思う。

私もこの国の国民に対して恩情も慈悲もない。

私にとって大事だったのは今はもう亡き家族だけだ。


「そうだね。周辺の国から利益や恵み、全てを奪ってきたこの国の民を招き入れる国はいない。この国はこの国の中で民ごと滅びた」


「……じゃぁ、私は」

私も、この国の民……平民になったけれど、それには代わりない。


「……イェディカは俺のお気に入りだから、イェディカだけは助けてあげただけだよ」

不意に身体を包む温もりは、暖かいはずなのに、どこか狂気をはらんだ悪寒をもたらしてくる。


「イェディカは、ツリーランド王国が好きだった?」

「……どう、かしら」

この国は……私から家族を奪って、それから、私を生贄にしようとした。


「分からない」

前世から愛国心は薄い国民性だったと思う。でもさすがにあの王女が聖女であり、その我が儘で生贄にされた以上……大好きだなんて、とてもじゃないけど言えない。


「それじゃぁ、新しい国に行こうか。そして、そこで俺と生きよう」

「……新しい、国?」

「そうだよ」

そしてエメラルドを無視して彼がエスコートしようとしてくる。

その時。


「どこ行くのおぉっ!私の、私の身体!寄越しなさいよぉっ!!」

エメラルドだ。もうあなたが得られるものなど何もないと言うのに。己の罪すら省みない。


「……最期までうるさい女だ」

彼の言葉には彼女に対する情も何もない。むしろそうであってくれてよかったと思ってしまう私も……彼の性根のことは言えないかしらね。


「イェディカ、ちょっと待っていて」

彼はそう告げると、ゆっくりとエメラルドの檻に向けて足を向ける。

冷たい地べたにひれ伏しながらも、エメラルドが強引にギリギリと首を向けてくる。


「あ……あなた……よく見ればなかなか、いい顔立ちね」

こ……この期に及んでまた!?思えばエメラルドは見た目のいい殿方にぞっこんであった。エメラルドの視界に入ったが最後、婚約者がいようと、妻がいようと強引にエメラルドの側付きに組み込まれる。抵抗すればその婚約者や妻を殺し家ごと罰を受けた。相手が平民ならばかなうはずもない。時には領主ごと……なんてこともある。


そして殿方が素直にしたがっても、伴侶や恋人が逆らえば見せしめに遭う。


誰もが絶望して咽び鳴く。エメラルドが飽きたり、加齢と共に老ければ身一つで野に放り棄てられる。

そんな悲壮渦巻く地獄ながら、この国のひとびとは国の豊かさを誇り、幸せそうに笑っていた。その中で虐げられる側は生き延びるために、耐えるために必死で異常さを嘆く暇もない。でも今はちゃんと分かる。前世の記憶のこともあるけれど、その元凶が全てを失い朽ち果てようとしている。その大きな権力が崩れたことで、恐怖から真実が見えてきた。


「その……呪われた目……くり貫くなら、私のモノにしてあげる……!だから、だから私の身体……寄越しなさいよぉ」

まだ諦めていないのはさすがの執念ね。長らく恐怖政治の礎になってきただけのことはある。


それに彼のオッドアイをくり貫く……?あんなにきれいで神秘的なのに。そしてそれが彼なのに。エメラルドはそうやってひとの生まれ持ったアイデンティティーを自分の都合よく否定し変えさせようとする。


「イェディカが気に入ってくれるのなら、何を言われたって構わない」

もしかしてまた私の心の声を……?


「……みちかが言った通りだ」

え……?今、誰かの名前を呼んだような……。それもやけに日本的な名前だったような。


「さぁて……俺も早くイェディカとの時間を過ごしたいから、手短に済まそうか。そうだな、まずお前のその不快な目をくり貫こうか」

「え……?」

その瞬間エメラルドが悲鳴を上げる。しかし私の方からは彼の身体に遮られて何も見えない。


「イェディカはこんな汚いものは見なくていい」

「……えと……」

彼が恐ろしいくらいに淡々と告げる。


「見……見えない……見えないいいぃっ!私の目ぇっ!私の新しい目はどこぉっ!?」

「お前になどやるものか。イェディカの何ものも、もうお前になどやらない。それと……お前のイェディカの髪を羨み引きちぎったんだったな。なら、お前も」

ブチブチっと嫌な音がした。


「あ゛ぁ――――――――っ!!私の美しい髪があぁぁっ」

地べたに落ちた髪を見たからだろうか。しかしそもそもボロボロで美しくも何ともない。


「は……早く……早く美しい髪をちょうだい!?戻して、私の髪いいぃっ」

自分よりも美しい髪があれば根こそぎ切り落としておいてむしのいい話だ。


「いつまでも学ばないと言うのは救いようがないな。……あとその声も不快だな。舌でも抜くか」

そして鈍い音が響きエメラルドが言葉にならない声を上げる。


「あぁ、声を潰すなら喉だったな」

鈍い音がして、エメラルドの不快な声が止んだ。


「安心しろ。喉を潰されようと、地獄でもお前の悪行は知れ渡っている」

この国の地獄を作った一翼は彼女自身だと思うが、この世界にも本当の地獄……いわゆる根の国と言うものがあるの?


「その身体のまま、たっぷりと搾取してもらえるぞ」

彼がそう告げれば、かろうじて見えていた彼女の身体がずぶんと地面に引き込まれる。


「さすがにいちから肉体を造るなんてできないからな」

彼がクスクスと笑う。いちから肉体を造るなんてできない……?エメラルドはその身体のまま地の底に引きずり込まれていく。そしてその時気が付いた。あの神の成れの果ての身体は……。


「エメラルドの肉体……?」

「正解。エメラルドは既に肉体を失い、あとは地獄に回収されるだけ」

それでまだ生きていた。いや、死んでいたけど動いていた。それでもなお、生前の業からは逃れられずあのような姿で地上に囚われたのだろうか。


「そしてあの元神もひとの肉体を持ってしまったがゆえに、身体が朽ちれば魂は人間の魂として裁かれる」

そのために彼は……いや、私怨もありそうだが。


すっくと立ち上がり踵を返しこちらにむかつて来るかれの背後には、もう既になにもなかった。



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