第42話

「⋯⋯っ!」

 怒り任せに机を殴る。腹立たしい。上申は認めない、その事実を突き返されたこと。

「何故わからない!」

 頭を抱える。歯がゆい。もっと人の死が発生しない限り聞く耳を持つ気など向こうは更々ない、そういうことか。自身の髪の毛をわしづかみながら考える。人の命は、命の価値は、不平等だ。

 額を拳の手のひら側で叩く、机に突っ伏す。鬱々とした空気は事務所内に垂れ込んでいる。あれから2日経った今も人は少ない。事務員の詩織さんには適当な理由で休暇をとってもらっている。どうせ当分機能しない事務所に居てもらっても仕方ない。怪我をした三人、辻本さんも胡内さんも田口も復帰させるのはもう少し先になる。別に怪我が酷かったからじゃない。安全面を考えるなら所属員の仕事環境面という問題の配慮が必要だから。大半が一般人と大差ない、何かあった時に対処する術は持ち合わせちゃいない。所属部署の転属に上が首を縦に振れば、事務員扱いなりなんなりに変更できる。そしたらいざというとき人数合わせで召集されることは回避できる。だのに。

 

「落ち着け、まだ手はあんだろ」

 窘められて落ち着ける程の心の余裕は無かった。怒りが私を加速させている。身体が脱力して怒りから、力が入らなくなって机からずり落ちかけて体勢を立て直す。 

「天秤が傾けばいいのかなぁ⋯⋯」

 微妙なバランスで保たれているのなら、それさえ傾けば。彼らも否が応でも聞き入れる他ない、はず。問題はそのバランスを、天秤を、傾け崩す方法。端からそんなの方法が思いついていたらとうに実行している。



 どうしてこんな時に思い出しているのだろう。

 水辺と幾人かの人のいる光景、冷たくて静かで騒がしい、世界がモノクロの記憶。


 

 今はそんなものに用はない、意味なんて無いことは自分自身が一番わかっているはずだ。

 

 ああ、寒い、どうして寒いのか。わからない。この寒さはどこからやって来るのだろう。 





「とりあえず、再度上申するしかねぇな」

 と言ったのは先輩その人だ。

「そんなものに意味なんて無いのに、よくやるよねぇ」

 無意味だ、答えが変わるわけない。

「しゃあねぇだろ。お前しでかすなよ」

 忠告。睨む目がこちらを見ている。そこまで信用が無いのかと思うと笑いがこみ上げてきそうだ。

 やれることをやるしかない、か。何かあるだろうか。私のすべきこと、なすべきこと。

「しない、しない」

 邪魔はしない、今さら。随分信用はおちたものだな。それはそれで傷つくだなんて言えないけど。疑う目がそこにはある。

 殺したことを後悔しなかったなどとは言えない。言ってしまえば、修復不能になる決定打になることは明白。

 私が人より頑丈なのだとは明白な嘘でしかないこともどうせわかっている、先輩も福呂も。だって真実は私達にとって隠しておくことを私達が選んだ。今はもういない誰かの尊厳のための嘘。

 自然の摂理を無視するということはそういうことだ。

「端から信用なんて無いしね、でも本当に何もしないです。これは本当、そこまで人の命をないがしろにするつもり無いもの」

 それだけは誓える。私はそこまで落ちぶれたつもりはない。信用が得られないのは当然だ、でもこれだけは本当。例え信じてもらえなくても。

 背もたれに体重をかける。




 結論から言うと再び上申は却下され、元通りやらざるを得なかった。わかりきっていたこと。いっそ本人が辞めると言ってくれたら良かった。人には人の事情があるんだろうか。ともかく再開された、されてしまった。


 福呂・田口・胡内さん。私・志野くん・辻本さん。が外回りや依頼対応。先輩・空蝉・詩織さんが事務所待機と言う形。安全面バランスを考慮するとこの形が最善。依頼対応の優先順位も私・志野くん・辻本さんの三人を組に。やむを得ない場合は福呂・田口・胡内さんの三人の組とする。ことが一番被害を抑えるにはいいと判断した。

 本当は事務所内に残ってもらう方が良かったが空蝉は許可のない限り要するに必要と判断されない限りは外に連れ出せない、かといって詩織さんは一般人で事務員だから動かせない。続いて先輩は管理する立場であり、尚且つ上から会議などがあれば行かなければいけない関係上ここも動かせない。よってこうなった。

 

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