第10話 月曜日の夜

「さあ、どうぞ」


 幹は瑞穂のために心尽くしの夕餉を用意した。

 椀物と煮物、焼き魚、小鉢、香の物。デザートには果肉のゼリーというシンプルな和食をテーブルに並べた。


「すごい。これ全部、幹が?」

「うん。瑞穂のことを想いながら作ったんだ」


 幹が此処を訪れる際の週末には、料理の腕を誇示するかのような見栄えの良い洋食メニューを姉が披露した。瑞穂の好みかとも思われたが、あながちそうでもなさそうだと幹は気づいていた。


「こういうの、食べたかったんだ。いただきます」


 瑞穂は嬉しそうに目を輝かせ、両手を合わせてから箸を取った。


「たくさん食べてね」

「今日はあまり食べてないから、おかわりするかも」

「ええっ、もしかして僕の電話で時間が押したの?」

「幹の所為じゃなくて。あの後、昼休みの時間を目いっぱい使って沙織が行きそうな所に片っ端から電話をかけたんだ。大学の共通の友だちやバイト先やら。もちろん、沙織が出て行ったことは伏せてだけど。でも、手掛かりはなかった。それから、俺の実家にも当たってみたけど、そこにも行ってなかったよ」

「実は僕も、実家と親戚と地元の姉さんの友だちに電話して、それとなく探りを入れてみたんだけど、やはり空振りだった。匿っているとか、僕や瑞穂から連絡があっても取り次がないように、って頼まれていそうな雰囲気はなかったし、誰も嘘をついているようには感じられなかった」


 奇しくも、義兄弟は同時刻に同じ行動を取っていたのだった。


「警察からも音沙汰無しだ。ずっと行方不明のままだなんて、沙織の身が心配だ。何処かで、無事でいてくれるといいんだが」

「姉さんなんか……」


 帰って来なくていい。

 喉まで出かかった言葉を、幹は呑み込んだ。




 その夜。


 幹は瑞穂とベッドに入り、枕を背にしてとりとめもない会話を愉しんでいた。


「まだ腹が苦しい。調子に乗って食べ過ぎた。幹の料理が旨かったから」

「瑞穂に歓んでもらえて嬉しい」

「筑前煮、旨かったー。デザートの桃のゼリーも。全部」

「また作るね。レパートリーは結構あるんだ」

「幹って、どうしてそんなに料理が上手なわけ?」

「身体作りのためにいろいろ考えて試行錯誤してたら食事管理に行き着いた、ってとこかな」

「あっ、そうか。アスリートだからな」

「高校の頃までね」

「高校の……学ラン、似合ってた」

「ふふっ、僕にまた学ラン着て欲しい?」

「俺は中学も高校もブレザーだったから、憧れるっていうか」

「まだ実家にあると思うよ。ボタンはもう付いてないけどね」

「えっ、あっ、卒業式の時、幹のボタンをめぐって争奪戦があったのか。……? でも、男子校じゃなかったっけ?」

「他校の女子が押し寄せた、なんてのはなかったんだけど。サッカー部や野球部は人気があるから、下級生からボタンを欲しいって言われるのはよくあることなんだ。

 ところで、瑞穂の高校時代って、どんなだったの? 部活は何を?」

「俺は何故か一年の時から、ずっと生徒会にいたんだ」

「瑞穂、生徒会長様だったの!?」

「まさか。ただの委員だよ。美化委員だった」

「瑞穂らしい感じだね」

「そうかな」


 はにかんだような笑顔で頷く瑞穂を見ながら、幹は高校時代の彼の姿を想像した。きっと、いっそう可愛らしかったに違いない。今もそうなのだが、容姿に無頓着で、自分の美しさを認識していない。地味で凡庸。それが己であると思い込み、しかし何の不足も抱かず、実直に生きている。

 そんな瑞穂を、沙織が見つけた。濡れて煌めく至宝、虎目石タイガーズアイを。


「僕が、高校生の頃のあなたと出逢っていれば……」


 姉より早く。

 もしも自分が、沙織よりも先に生まれていれば、何かが違ったのだろうか。


「あのさ、幹……君は、経験、あるの? 当然、女性とはあるだろうけど」


 唐突に、瑞穂から過去の経験の有無を訊かれた。


「男同士で、ってことなら」

 意外な問いかけに苦笑しながら本当のことを言うべきかと迷い、少し間を置いて幹は正直に答えた。

「……あるよ」


 幹が初めて同性と関係を持ったのは中学三年の時だった。

 男だからこそ、ぶつけてくる感情も直截的で激しく、身体を張って告白する者もいた。『久能先輩、俺を抱いてください』と。

 求められれば応じてきた。他校の女子からのアプローチもあり、性的発散の相手に不自由することはなかった。


「 ………… 」

「もう過去のことだから。怒らないでね、瑞穂」


 返事の代わりに、瑞穂の頭が幹の肩に寄りかかった。

 シャンプーの芳香が残る豊かな栗色の髪。そこに顔を埋め、キスをした。

 不意に、瑞穂の髪色が幹の琴線に触れた。意識の底に沈殿した澱が僅かに揺らぐような振動が、一瞬起こって、すぐに消えた。ただ、それだけのことだった。


 程なく、瑞穂の寝息が聞こえてきた。


 幹はそっと瑞穂を寝かせ、眼鏡を外した。姉が失踪した夜から義兄の眼鏡を外す役割を担い続けている。潤んで煌めく虎目石タイガーズアイに逢うのは、これから先も自分だけで良い。


「おやすみなさい。愛しい人」


 部屋の灯りを消して瑞穂の隣に身体を横たえると、睡魔は思いのほか早く訪れた。

 眠りのための夜が、静かに更けていく。

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