第8話 月曜日の朝

「幹、じゃあ、俺は先に出かけるから」


 月曜日の朝が来た。

 瑞穂は出勤の支度を終えて、ベッドの中の幹に声をかけた。


「えっ……もう、朝? 瑞穂さん、会社行くの?」


 眼を擦りながら幹が気怠そうに身体を起こした。


「これでも一応、社会人だからな」

「ごめん。朝食の用意してあげられなくて」


 あの金曜日の深夜から、ふたりは殆どの時間をベッドの上で費やした。時間を忘れて、愛し合うことと眠ることを交互に繰り返すうちに、ついに月曜日の朝を迎えたのだった。


「大丈夫。朝はコーヒーだけだから。幹の分もあるから飲んで行けよ」

「ありがとう。瑞穂さん、優しいんだ」


 幹が裸のままベッドから出て来た。


 改めて目にするその均整の取れた美しい肢体に、瑞穂の拍動がトクンと大きく跳ねた。夜の間じゅう、悦楽を貪り合ったその身体からは、今も官能の色香が匂い立ち、瑞穂を落ち着かなくさせた。


「あ……あのさ、幹、いてくれるのか? 今日も」


 瑞穂は慌てて手近にあったブランケットを幹の肩に掛けた。ともすれば、その肌に触れたくなる。暫しの別れの朝には目の毒どころか、酷でさえあった。


「僕はそのつもりだけど。いてもいいの?」

「ああ。沙織がいつ帰って来ても君がいてくれたら安心だ。なんだかんだ言っても、君たちは姉弟だから」

「それは、どういう意味に取ったらいいのかな」


 急に真顔になって幹が首を傾げた。


「沙織が帰って来て、落ち着いたら、俺は君とのことを正直に話して謝罪しようと思っている。もちろん、簡単には許してもらえないだろうけど」


 沙織を欺いたまま今まで通りの生活を続けることは瑞穂にはできそうになかった。誠意を以って許しを請うと決めていた。その際、幹がいてくれたら心強い。一人っ子の瑞穂からすれば、姉弟愛は無条件のものに思えた。どんなことがあっても、血を分けた者同士。必ず解り合えるはずだ、と。


「危険だよ。姉さんが許すはずがない」

「危険、って?」

「姉さんが怒ったら、どうなるかわからない。……姉さんと僕は、瑞穂さんが考えているほど仲がいわけじゃないよ」

「そんなことないだろう。沙織は弟の君のことをいつも気にかけている。週末に呼んでご馳走したり、何かと面倒を看たりして大事にしてるじゃないか」

「それはたぶん……僕の、あなたへの接し方や、あなたの反応を観察するためだと思う。そして姉さんは確信したんだ。弟が自分の夫に特別な感情を持っているって」

「もしかして、沙織の家出はそのことと関係があるのか?」

「それは何とも言えないけど」

「君が沙織に責められることのないように、俺が努力する」

「僕ならどんなに責められたってかまわないよ。それより瑞穂さん、あなたのことが心配なんだ」

「大丈夫だ。沙織は優しい女性だ。俺はその優しさの上に胡坐をかいていたんだ。責められるべきは俺の方だ。どんな謗りも甘んじて受けるよ」

「あなたは知らないから。姉さんの本当の恐ろしさを」

「大袈裟だな、幹。……俺、もう行かないと」


 出勤時間のタイムリミットが迫っていた。


「待って。瑞穂、せめてキスだけ……」


 しなやかな腕が瑞穂を捕らえた。


 幹の肩に掛けられていたブランケットが、ふたりの足元にはらりと落ちた。

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