最期の晩餐

ジャック(JTW)

01.ハンバーガーと珈琲

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 私はこの世界で最も恐ろしい場所にいる。


 死刑囚として、最期の晩餐を迎えるために、私は太陽の光すら届かない地下の冷たい独房に閉じ込められている。

 罪状は、デモのプラカードを持って歩いたこと。

 たったそれだけの行為で、は国家反逆罪に問われ、控訴する間もなく死刑が言い渡された。何故、がこの国の法律に触れるような行いをしたのかを目の前の看守に微笑みながら語る。たった一人にでも、私のことを覚えていてもらえるように。


は、死刑に値する罪を犯したらしい。脱獄など考えたこともない。どうせ、この国の外で生きることなど出来はしないのだ。だから私は、自分の望むもののために命を懸けても惜しくはない……」


 芝居がかった口調で朗々と語りかける。看守は私の言葉に興味を持って聞いているようだ。看守にも何か思うところがあるのだろう。この国に。この社会に。


「……私は、確かにこの国で生を受けた。の両親は、この国の法律に従順な一等市民ハイランクだったそうだ。私は、この国の法律が不公平であることを聞いた。は、そんな社会に異議を唱えるために抗議活動デモという罪を犯したという。心底馬鹿げている……」


 看守は、私を見下ろして哀れみの目を向けている。彼に敵意は感じない。だが看守が私を助けることはない。死刑囚の逃走に手を貸せば、同じ罪に問われるからだ。

 私の朗読劇を聞き終わった看守は短く頷く。

 そして、手順通りに私の目の前の机に豪勢なメニュー表を開いて見せた。私は、それを受け取って、目当てのものを探し始めた。


 局地的な自然災害の果てに理知的なAIに支配されることを選んだ人間の祖は、尊厳と自由ある生を子孫たる人間ひとから奪った。

 しかし、残っているものもある。

 私が知る限り、たったひとつだけ。


 この国で用意出来るありとあらゆる美食が並べられたその表は、すべてが合理性で管理されるこの時代に、何故かひとつだけ残された人間性ヒューマニティの名残だ。


 

 それが、死刑囚に与えられる唯一の特権。


 メニュー表には、最高級のステーキや見たこともない形のフルーツの写真が記載されている。その一覧を目にした看守が一瞬唾を飲み込むのがわかった。私がその様子を見ていると、看守は咳払いして告げる。


「……さあ、何でも好きなものを選べ。同じものを複数頼んでも構わない」


 希少レア食材には、何の興味もなかった。

 私は、メニュー表の隅にあるものを迷いなく指で示す。


「この二つ。温かい状態で提供して欲しい」


 看守が驚いて目を見開くのがわかった。

 私が選んだのは、ハンバーガーと缶珈琲。娯楽の少ないこの国でも一般流通している安価な代物だ。

 これが、これこそが、この世界で最も身近でありながら、最も贅沢なものなのだ。


「本当に、そんなものでいいのか……?」


 看守は言い淀んでいた。しかし私は迷いなく頷く。私の意思が変わらないことを受けて、彼は黙ってメニュー表を取り下げる。

 そして、晩餐の準備のために独房から退室していった。


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 簡素な椅子の上に座ったまま、時間が経つのを待った。

 しばらくして、独房の扉が開く。

 看守が簡素なトレイの上にそれらを持ってきたとき、私は心からの喜びを込めて微笑んだ。


「ああ……これが……!」


 黄色い包み紙に入ったハンバーガー。

 小さな缶珈琲。

 それらが私の望んだすべてだった。


「ちょうだい!」


 私は慌ただしく手を伸ばすと力いっぱい包装紙を破る。そしてためらいなくハンバーガーにかぶりつき、熱い缶珈琲を開けて飲んだ。温かく、柔らかい。味蕾が刺激される感覚を味わいながら、私はあまりの心地よさに思わず笑ってしまった。


 バンズの中には肉とトマト、そしてチーズが入っていた。新鮮なトマトの触感と、チーズの風味が鼻を抜ける。私はたまらず勢いよく咀嚼して、不意にピクルスの酸味を感じて咳き込みそうになる。


 それでも必死にかじりついて頬張った。噎せそうになるたびに、熱い珈琲で喉を潤した。涙が出そうになるほど至福の時間だった。

 

「……ああ……」


 簡素なトレイの上に載せられていた食事は、あっという間に食べ終わってしまった。慌てて食べたせいか、包み紙の端で指先が切れて私の指から血が滲んでいた。


 くしゃくしゃの包み紙が机の上から落ちて、ゆっくりと独房の床に転がっていく。私はそれを見て微笑んだ。

 ハンバーガーを食べる合間に喉を潤した缶珈琲も、最早一滴たりとも残っていない。

 食事に有した時間はとても短かった。それでもこの刹那が決して無駄ではなかったと、私は知っている。


「……ふふ……あははっ」


 一雫、頬を伝って涙が流れる。歓喜の涙だった。

 そんな私を、看守は怪訝そうな眼差しで見つめていた。


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 最期の晩餐が終わり、やがて処刑場に連行される時間が訪れる。

 私の足取りは軽かった。抵抗に最早意味はない。

 私の手錠を引く看守の方が、重々しい表情で歩を進めていた。


 やがて、金属質で重厚な電気椅子が視界に入る。看守の視線と動きで座るように促された。従順に座り、私は自らの運命を受け入れる。

 間近に迫る死の気配を感じながら、それでも心からの笑顔を浮かべていた。


「ああ、良かった……」


 体のあちこちに電極が刺され、スイッチが押される。

 電流が流され、脳髄が弾ける感覚。激しい痛みとともに意識が霧散する。そんな死の間際に至っても、私は自分の選択に心から満足していた。


 これが、短い人生で最後の言葉になった。


「──ああ、美味しかった……」

 

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 そして元死刑囚になった少女の首元には、黒子ほくろはなかった。


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