Bravo

#01

「……ルークをビショップの4」



 掠れた声がベッドから聞こえてきた。女は煙草を咥え、ホテルの窓から緩慢にエッフェル塔を眺めている。太陽の光でブロンドヘアがきらきらと輝いていた。

 昨晩の喧騒が嘘のようにすべてが落ち着き払っている午前11時。未だ噛まれた痛みの残る肩を触り、女は滞在するホテルにいる客人を一瞥した。上半身裸でロココ調のベッドに潜り込むギルはシャロンと同じように煙草を咥えている。



「ルークでルーク」

「ポーンでルーク」



 シャロンが指すと間髪入れずギルが言葉を発する。

 昨晩、シャロンはギルの傷口を止血するためにアイロンを腹部に押し当てた。アイロンによる火傷の痛みに悶えるギルだがそれ以上は元気なようで、暇を持て余していた。シャロンは滞在するホテルに男を招待したが「暇だ」と叫び続けるギルに、招待して2時間でほとほと呆れ返っていた。



「ビショップの7へ」



 シャロンは煙草を灰皿に置き、ホテルマンに届けてもらった紅茶を飲む。そして紅茶を堪能した後に優雅にチェスを指す。目隠しチェスであるこの戦いは、暇人ギルが仕掛けた。嫌々ながらも勝てる自信のあったシャロンは戦いに挑んだ。両者負けず嫌いなのだ。



「……クイーンでポーンを取る」



 シャロンの次の手が読めたギルは大きな溜め息を吐く。ぷかり、乳白色の紫煙がギルの口からこぼれ落ちた。自らの敗北を感じ始めたギルはもう勝負に興味が失せたのか煙草を灰皿にすり潰し、ベッドに潜り込んだ。


 シャロンはレオとの約束を覚えていた。そろそろ身支度を整えようかと思いソファから立ち上がる。

 そのときだ、ホテルの扉をノックする音が聞こえた。シャロンは煙草を咥えたまま、ノックされた扉に近付く。



「……チェックメイト」



 扉を開ける前に勝負を終えたシャロン。ギルの唸り声を背中で聞きながら扉を開ける。そこには専属のホテルマンが小さな箱を持って佇んでいた。



「失礼いたします。シャロン様にお荷物が届きました」

「ありがとう」



 差し出された白い箱には赤いリボンがつけられており、隙間に一輪のバラが差してある。その箱を受け取り扉を閉めようとしたが、ホテルマンが声をかけてきた。



「お連れ様の火傷の具合はいかがでしょうか? なにか必要な物があれば、なんなりとお申しつけくださいませ」

「昨日は夜分に申し訳なかったわ。いいえ、今は大丈夫。ありがとう」



 昨晩ホテルにギルを連れ込んだとき、ホテルマンに薬を頼んでいた。そのお礼を付け加え、笑みを携え扉を閉める。ギルのせいで昨晩はチップが嵩んだ。



「……相変わらず悪趣味ね」



 箱を開けたシャロンはふ、ッと笑みを浮かべる。中には昨晩の狙撃戦の最中、オペラ・ガルニエに棄ててきたNAA-22Sが入っていた。送り主は安易に想像がつく。


 まるでジュエリーが入っていそうな白色の箱から赤色のバラを抜き取る。ふわりとバラの香りがシャロンの鼻腔をくすぐった。シャロンはその媚薬のように甘い香りをさらに摂取しようとバラに鼻を近付ける。香りを残さない人間が意図的に置いていくものは耽美的であり、筆舌し難い魅力がある。シャロンは幾分か機嫌をよくした。

 箱からNAA-22Sを取り出し、シリンダーを開ける。中には弾が装填されていた。総弾数5発の薬室すべてに弾が入っており、シャロンの機嫌はさらに上昇した。



「なに、にやにやしてるんだ」

「獣が人間らしいことをしてきたのよ」



 シャロンは話しかけてきたギルに戻ってきたNAA-22Sを見せる。嬉しそうに笑うシャロンとは反対にギルは不機嫌そうに眉を顰めた。ギルの表情は厳しいものだが、その後に不満の言葉は続かなかった。上半身裸のギル。腹部にはガーゼを当てている。ギルは言葉無くして不満を体現していた。煙草を咥えたギルは大きく溜め息を吐いてから赤色のソファに腰掛ける。シャロンはギルの姿を見て、それ以上このことを話すのはやめようと鍵のかかるトランクに銃を仕舞う。戻ってきた銃はジョンの手によって綺麗に磨かれていた。



「私、この後出るけど貴方はどうするのかしら?」

「出て行けってか?」

「あら。話が早くて助かるわ」



 ギルは、はッと破裂音で笑いながらシャロンが嗜んでいた紅茶を一気に飲み干した。そしてソファに置いてあったワイシャツを羽織る。煙草を咥えたまま細いながら割れた筋肉を仕舞っていくギル。



「あ、帰るまえに頼みごといいかしら?」

「……相変わらず調子がいいな」



 まるでギルとシャロンは兄妹のようだ。バディではないと言い張りながらもシャロンはギルのことを慕っている。



「今日、美術館デートなの」

「美術館で殺しとは難儀だな」

「まだ殺しの命令は来てないわ。デートの服を選んでちょうだい」



 今度はシャロンが暇を潰す側に代わった。暇潰しに男とのデートの服をデート相手とは違う男に選ばせる。シャロンだからこそできる遊びだった。



「俺の選んだ服を着るなら俺の前で脱げよ」

「あら。それは今夜の気分次第だわ」

「……可愛くない奴だな」



 ギルは美麗に着込んだスーツ姿でウォークインクローゼットに入っていく。シャロンは高みの見物といったように長い脚を組んでソファに座った。数分してギルは洋服を手に帰ってくる。クリスチャン・ディオールの白色のAラインワンピースにイエローの靴というシャロンがいつも着ない組み合わせのコーディネートだった。



「貴方の願望が透けて見えるわね」

「悪いかよ」

「いいえ、レオも気に入ると思うわ。けれど、ルブタンのレモンよりマークジェイコブスのマスタードの方がそのワンピースには似合いそう」

「……俺にとっては両方同じだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アダムと99人のイヴ 利己 @rikoshugi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ