intermission1

「明。こっちこっち」


 大きな声で俺の名を呼ぶ鈴子のもとへ急ごうとするが、俺はというと大勢の人波のせいで身動きが取れないでいた。


「何してるの。早くしないと席がなくなっちゃう!」


 歩くのも嫌になってくるほどの人混みに俺は若干酔いそうになる。清臨高校の体育館は全校生徒を入れてもスペースが確保できるくらい広い空間を有していたはずだが、それを超えるほどの人の数が今この体育館に集中している。

 広い体育館が人いっぱいになる本日のイベント。それは清臨高校演劇部による舞台演劇だ。他校の演劇部や、その関連の大人から絶大な期待と尊敬を勝ち取っているようだが、一度もその演技を見たことがない俺からすれば、どうしても期待が持てない。


「無理、言うな……」

「無理じゃない! 人を押しのけてでもこっちに来なさい!」


 鈴子に叱咤されつつ、やっとの思いで辿り着いたのは、通っている高校の体育館舞台正面の中央席だ。今体育館には無数のパイプ椅子が敷き詰められ、来場者は席取りに夢中になっている。


「明ってそんなに体力なかった?」

「こんなアホみたいに人が込み合った状態が苦手なだけだ……」

「だらしないわね、本番はこれからだっていうのに」

「俺が劇に出るわけじゃないんだからいいだろ別に……」


 席についた時点で額からは汗が流れていた。人口密度が高ければそれだけ暑くなるし、走って来たのだから汗をかくのは至極当然の話なのだが、我が友人は俺の情けない姿を許しはしなかった。


「そもそも、今日学校に来たのは図書室に用があったからで、こんなところに来たくて登校したわけじゃ」

「明が本好きなのは知ってるけど、今日がどういう日なのか分かってそんなこと言ってるの?」

「体育の日だろ?」

「文化祭最終日よ!」


 鈴子が盛大な溜め息を吐いたのは、俺にわざと聞かせるためで間違いなかった。その証拠に溜め息を吐いた後は見て分かるくらいの呆れ顔を浮かべている。

 俺たちの通う清臨高校の文化祭、清臨祭は毎年10月第二週の土曜から月曜までとなっている。三連休を使って学校イベントを相殺させているのだが、クラブ活動に参加していない、もしくは清臨祭に参加していない生徒からすればただの三連休だ。そして俺もその三連休を謳歌できる生徒の一人だったが、最終日にして多くの人と声がひしめく体育館の中に強制連行させられた。


「にしても、お客の入りがすごいな」


 正直、文化祭という理由だけで体育館内が人で埋め尽くされるとは思っていなかった。半分はうちの在校生だがもう半分は在校生の家族か他所の学校の生徒、果ては何の関係者なのかわからない大人までいる。きっと学外の演劇関係者というのは彼らのことなのだろう。


「席取りの重要性がこれでわかったでしょ? 去年は立ち見も続出して生徒会がてんやわんやだったわ。明は今まで見たことないから知らなかったと思うけど、うちの演劇部は何処に出しても恥ずかしくない最高の演技するんだから」

「でもどんなに言っても高校の、しかも素人がする劇だろ?」

「ま、演技を見れば明もわかるし、前言撤回させてくれって言うわ」


 鈴子の話が終わって二人で席に着いた瞬間、館内の照明が消え始める。

 館内が暗闇に包まれ、辺りのお客も声を潜める。


「……始まるわよ」


 短い声の中でも、鈴子の期待と興奮が伝わってくる。これまで運動一筋だった幼馴染の意外な一面に俺は少しだけ驚いていた。


「そういえば、今回の演目って」

「ジャンヌ・ダルク。それからもう始まるから話しかけないで」


 随分な言われようだが、こういうやりとりは慣れている。その後は何も語ることなく、閉ざされた緞帳を眺めた。


『本日はお忙しい中、清臨高校演劇部主催、ジャンヌ・ダルクにお越しいただき誠にありがとうございます』


 館内アナウンスが聞こえてきた。演目の前説明と館内使用の注意が聞こえるや否や、他のお客たちの動きは俊敏になり、自分の席に急ぎ早に戻っていく。


『それではこれから一時間、ごゆっくりご観劇下さい』


 緞帳が上がり隙間から漏れ出す光が徐々に多くなって、舞台全体を照らし出す。

そこにいたのは一人の少女。髪は金髪で解けば美しく煌びやかに見えるだろうに、強引に一本に纏めている。銀色の甲冑を装備し、大きな旗を掲げて正面を向く姿は、少女としてのあどけなさや戦いに不慣れな弱々しい印象を与えた。


「綺麗……」


 そして圧倒的なまでの美貌。同性の友人でさえ口にさせてしまうほど彼女は輝いていた。

 目の前にいるのは間違いなくオルレアンの乙女。ジャンヌ・ダルクその人だった。


「あんたもそう思うでしょ」


 隣にいた友人に「話しかけるな」と言われて当の本人が数秒しか我慢出来なかったことに、いつもなら文句の一つでも言っていただろう。


「明?」


 けど俺はこの時、友人の声が一切聞こえていなかった。


「……綺麗だ」


 五感が支配されるほど、彼女に魅せられていたから。

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