我想う、ゆえに君あり
suiho
第1話 prologue1-snow fairy
満月が綺麗な夜だった。
どんな人間にも美しさを感じさせるだけの魔性の力を持つモノはある。月がその一つなのだろうと思わせるほど、今日の月は美しく輝いていた。そう思えるのには理由があって、空に雲一つないことと、辺りの空気が冷え切っているからだ。
三月下旬。芯まで凍るような寒さは過ぎ去ったが、夜は防寒しないと確実に風邪を引いてしまう。俺は厚めの黒いコートと同色の手袋、ついでに青のマフラーも巻いてある。夜はあまり外に出ないのだが、家にあった牛乳が切れていたことに気付き、仕方なく万全の態勢で寒い夜の町を歩いていた。
「
面倒なことに、約束も取り付けずにやって来た知り合いに「外出するなら」と牛乳以外にいくつか注文も付けられている。すぐに突っぱねたが、明らかに注文してきた物品よりも多めの金額を掴まされた身としては、それ以上の悪態も吐けずせめて一刻も早く任務を遂行し家に帰るため、俺の歩みは自然と早足になる。
コンビニと自宅のちょうど中間地点にある公園。テニスコート三つ分くらいの広さで遊具は三つくらいしかないその公園を横切って行けばショートカットができるのだが俺はそこで見てしまった。
公園のベンチに誰かが座っていた。どこの中学かはわからなかったが、学生服を着た同い年くらいの女子だ。背中まで伸びた黒髪と暗闇でもはっきりわかるほどの端整な顔立ち。肌の色は白雪を思わせるかのような肌で、わかりやすい話が見入ってしまうほどの美少女だった。
ただその少女は学生服の上に何も羽織らずに体を震わせて寒そうにしている。放置すれば確実に風邪引く。
多分何かあったんだろう。でなければあんな格好で外になどいない。俺はそんな奴と関わりを持ちたくなかったので、公園内を横切ってそのまま走り去るつもりだった。
「君、名前は?」
だがベンチの方から男の野太い声が聞こえてきた。足を止め声の方に意識を向けると、さっきの女子は警官に補導されているようだった。無理もない。夜の公園に一人でいたら、周りの人間が不思議がる。誰かが通報したか、警官が自分で発見したんだろう。
しても仕方ない思考に耽っていると、両者に動きがあった。
「こんな夜に一人でいちゃいけないだろう」
「……だっていいじゃない」
「ん、なんだって?」
「なんだっていいじゃないですか。私がここにいちゃいけない理由なんてどこにもないでしょう」
「君のことを保護してくれる人がいないと私が困るんだ。君、どう見ても大人って感じじゃない」
普通なら注意して終わりそうなものだが、相手が悪かった。警官の見た目は五十代くらいでお説教が板につく強面だ。そんな警官の対応に女子の方はかなりお怒りだった。
「とりあえず、君の身柄はこっちで引き取るから。ご自宅にご両親はいるのかな」
「ほっといてって言ってるでしょう! 私に構わないで」
「あの」
言い合いになりかけた二人の間に割って入ったため、両者が一気に視線を向ける。何せこんな真夜中に女子と同じように一人で公園にいる中学生がいるんだから。
「君は?」
「すみません。その子、俺の妹なんです。俺は兄貴です」
「妹さん? とてもそうには見えないが」
「よく言われます」
「じゃあ妹さんはこんな時間になんで公園に一人でいたんだ?」
「喧嘩したんです。お互い気に入っているお菓子を俺が勝手に食べて妹が出て行って。まさかこんなところで拗ねてたとは思いませんでしたけど」
説明としてはかなり無理やりな上に穴だらけの理由だが、警官はそれを真実とも嘘とも決めつけられない。よって反論もできない。
「……そうなのか?」
かなり疑っている警官は女子に話を振るが、女子は女子で冷静に頷く。俺と警官の会話の間に落ち着きを取り戻したようだ。
「わかった。今回は注意で済ますが、今度見つけたらしっかり家に連絡するからな」
最後まで不本意な表情を絶やなかった警官は、公園の出入り口に止めてあった自転車に跨りそのまま夜の闇に消えてしまった。
よって残されたのは俺と問題の女子だけ。
「じゃあ、俺はこれで」
それだけ告げて俺はこの場を去ろうとした。
「暇なんですね。余計なことをするくらいには」
「ああ、俺もそう思うよ」
女子の小声に俺は大声で返す。
「なんで私に声をかけたんですか。余計なことだってわかってやってるならお節介です」
「……すみません。今のは失言でした」
「ともかくお前は帰れ。これ以上ここにいる理由もないだろ?」
「それができれば苦労しません……」
今にも泣き出しそうな顔をする女子に、俺は酷く面倒臭いことに首を突っ込んでしまったと自覚する。しかも女子の方から黙りこんでしまったために両者の間に沈黙が流れる。このまま振り切って帰っても良かったのだが、ここまで来て気分悪く家路に着くことに我慢ならなかった。
「そこで待ってろ。ステイだ」
「ちょ、ステイって私犬じゃ」
女子の言い分を振り切って俺は急いで公園を出る。数分の時間をかけて公園に戻るとベンチにはまだ女子がおとなしく座っている。
「よしよし。上手にステイできたな」
「だから私は犬じゃ」
「ほい」
俺は買ってきた肉まんを少女に渡す。
「へ、これ」
「肉まん。知らないとか言うなよ」
俺が向かったのは公園の四軒先にあるコンビニ。そしてこの寒い公園で体が冷え切らせた女子に早く暖を取ってもらおうと判断した結果、肉まんの提供という結論が出た。物で釣っているようにしか見えないが、半泣き少女を正常に戻す手がこれくらいしか思いつかなかった。
「知ってますが、これをどうしろと」
「どうって、食うしかないだろ。それとも肉まんはお気に召しませんか?」
「私、今何かを食べる元気がないんですけど」
「じゃあ無理に食べなくてもいい」
「冷めるじゃないですか」
「俺が勝手にしたことだ。気にするな。家に帰って温め直せば問題ない。本当に要らないなら俺のいないところで捨ててくれて構わない」
「それじゃあいくらなんでも」
言いかけた後で女子の腹から元気よく腹の虫が鳴り響く。
「……じゃあせっかくのご厚意ですし、今いただきましょうか」
「ああ、そうしてくれ」
少女は急いでかぶりついた。しかし、急に口に何かを入れたことと、熱さがしっかり残っていたためにむせかえる。
「お、おい何もそこまで急いで食えって言ってないだろ」
落ち着きを取り戻し、少女は改めて肉まんを咀嚼する。俺もベンチに座り自分用に買った肉まんを食べ始める。吐く息と肉まんの熱気が群青色の夜に白の演出を加える。
ひとしきり食べ終えてある程度元気が出たのか、少女は俺に質問してきた。
「あの、聞かないんですか。私がなんでこんなところにいるのか、とか」
「聞いたら素直に話してくれるのか?」
そう言うと少女は黙り出す。そうなることが予想できたから訊かなかったというのに。
「ま、それぞれ事情はある。じゃなきゃこんな寒いところに一人でいようなんて思わないし、俺は自分のされて嫌なことはしない主義だ。聞かれたくないなら聞かない。聞いてほしいなら、面倒だが聞いてやらんでもない。どうせ何聞いても俺には関係ないし」
「酷い人ですね」
「事実を言ったまでだ」
ぶっきらぼうな言い方に、少女は苦笑いを浮かべる。そうやって二人で話していたら、強烈な寒風が俺たちを襲った。俺の防寒は万全だったが、隣で座っている少女の防寒は心もとないなどという言葉で片付けられない。今も体を震わせて寒そうにしている。
俺は着ていたコートを脱いで、隣の少女に羽織らせた。
「あの、これ」
「ここで風邪でも引かれたら寝覚めが悪い。後で『あなたのせいで風邪を引きました』なんて言われたらたまったもんじゃない」
「あなたはそんな風にしか答えられないんですか。その口調は早急に改善することをお勧めします。でないと、あなた自身が損をすることになりますよ」
「損ならもうしてる」
「……もしかして私と出会ったことですか?」
「よくわかってるじゃないか」
「本当に容赦のない人ですね」
少女は立ち上がり振り向き様にこう言った。
「でも、ありがとうございます。おかげですごく温かいです」
街灯のせいだ。俺は心の中で言い訳をした。だって、俺は一瞬この見ず知らずの少女の笑顔を、光り輝く妖精のそれだと思ってしまったのだから。
「大切な人が、亡くなったんです」
少女は静かに語り出す。
「私、それに耐えられなくなって、それで」
「……そうか。それは悲しいな」
「でも、あなたに会って少し元気が出ました」
「俺は何もしてない」
「肉まんとコート、それに警察の方から私を守っていただきました」
「後半は守ったというより、嘘吐いて警官を騙したって感じだが」
「もう、良いじゃないですか。私は嬉しかったんです」
あまりに素っ気ない返しにご不満だったのか、少女は顔を赤くして俺に抗議する。
「それと、これはお願いなのですが、このコート、お借りして良いですか?」
「馬鹿言うな。それ高かったんだぞ。しかも俺が寒い」
「私が風邪を引くことを、寝覚めが悪いと答えたのはどなたでしたっけ?」
この女、人の言葉を利用しやがって。
「わかった。やるよ」
「いえ、お借りするだけです。今度またお返しします」
「いつ会えるかわからんのにそんな曖昧な約束するんじゃない。良いよ。お前にやる」
何を根拠に「返す」なんてことが言えるのか、少女の言っている意味が全く理解できなかった。
「それではまたその日まで」
少女は深々と一礼して、俺のコートを着たまま何処かへ走り去った。まるで嘘のような出来事だった。見ず知らずの女子と一緒に肉まんを食べ、話をして、手を振って帰る。何処の誰かはわからず仕舞いだったし、面倒なことには変わりなかったが、最後に見せた笑顔だけで安心できたから良しとした。
俺はコンビニ袋を持って、公園を出る。
その時あることに気付いた。
「あ、牛乳忘れた」
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