野栗様、こんにちは。
超わかりみです、サッカーとかバレーボールとかの強制参加、本当に苦痛だったなあ…そんなに「お前、お荷物」みたいな目で見なくてもいいじゃん、無理なものは無理なんだからさぁ…そのくせ校内マラソンではクラスのために頑張れ!なんて期待してしてくれちゃって(足だけは速かったのです)、俺は自分の為だけに走るんだよ手のひら返しやがっててやんでい!ってなもんでした。
集団でやるスポーツは今でも無理、みんなと一緒に応援するというのも苦手です(バレーボールでのニッポン!みたいなやつ)。同調圧力受け続けるくらいならアウトサイダーのレッテル貼られた方がずっといいです。大変勇気を頂けるエッセイでした、ありがとうございました!
作者からの返信
力強いコメント、励まされます!
「全てのことに全力で臨む」ことは、例外的に超エネルギッシュな体質の人を除いて、物理的に不可能です。何かに注力し、何かをばっさり切り捨てる。それは当たり前の生活行動です。何を選び何を捨てるか、それは個々の自己決定権であり、他者がそこに容喙することは絶対に許されないことです。
ただでさえ同調圧力の強いこの社会の中で、もっと「球技大会」的なものに熱意を傾けるような連中をおちょくるような文芸が出る時が来ているのでは、と思うところがあります。
ありがとうございます!
体育(運動)で活躍できないから、と勉強をがんばって良い成績をとるとやっかみを受けるって、
おかしくないですか?
頑張りたいポイントは、人それぞれですし……。
逆バリだっていいじゃない!
(*^^*)
作者からの返信
教員からすれば、私のような生徒は非常に嫌な存在だというのは十分理解しています。しかし、仮に全ての生徒が一様に「球技大会」のようなものに最大の熱量で臨むとしたら、それはそれで非常に恐ろしくはないでしょうか、と素朴に思うのです。全員が一丸になって、という常套句がありますが、それは太平洋戦争の銃後の有名なスローガン「進め一億火の玉だ」の同義語です! こういう風潮に対して斜に構え、冷笑を投げかけ、「一生懸命に取り組む」連中を嘲弄する人間がいて、はじめて辛うじてこの社会が戦争の惨禍に突き進む一歩手前で踏みとどまっているのだと私は考えております。
温かいコメント、ありがとうございますm(__)m
そのとらえ方、全面的に賛成です。
体力のない子はどんなに辛い思いをさせられたか、思うだけで胸が痛みます。
現在もニュース番組のトップがスポーツで、全出演者が喜色満面は気色わるいです。
作者からの返信
この話は、一度も他人にしたことのないものです。私も、日本で生まれ育った日本人ですから、こういう感覚をもって生きることのリスクは十分に理解しているつもりです。
学校行事のようなものに対して盛り上がったり熱中したりするのと、斜に構えて冷ややかな視線を送るのも、私は等価だと考えています。後者が貶められる限り、この社会から差別も戦争もなくならないと確信しています。温かいコメント、ありがとうございますm(__)m
そんなトップ層のクラスメートたちが頑張る姿に感化され、ついつい全力応援してしまう流されやすいやつです←
でもそんな心持ちでいられたのは強制されなかったからなのかも知れません。
別世界の住人のようにキラキラしながらバレーボールで戦う女子たちにあこがれていました。
自分と距離がありすぎるから、逆に……。
情熱を強制されるのはいやですよね(´・ω・`)
野栗さん、ありがとうございました。