再会

「課長、午後1時からの会議は第6会議室に変更します。」



修一は資料に目を通している。



声の主は三上で、修一とは同じ大学の後輩で最も頼りにしている部下である。



新しい会議室。



最近、ビルの最上階の社長室の改築に伴って、新たに会議室を設けた。



ロビーはモダンな造りで、一番人気の会議室であるらしい。



その会議室には最新鋭の設備が整っていると言う噂は耳にしていたが、修一はあまり興味はなかった。



会議など何処でも良い。



今回はキャンセルが出たと言う事で、使用が可能になったみたいである。



エレベーターで修一の課員6名が最上階へ着いた。



右側の奥が社長室。左側の奥に第6会議室がある。



何セットあるのか……円机とソファーが、見事な間隔とバランスで配置されている。



そのフロアを、真っ白な帽子と、上下真っ白な制服を着た清掃員が何人か床を磨いたり、机を拭いたりしている。



そのおかげだろう気持ちが良い。



その時!何かが足元をかすめた。



どうやらモップらしい。



「済みません。」



清掃員が帽子をとって頭を下げて謝っている。



若い感じの女性の清掃員である。



「いえいえ、資料の部数を数えたいたものですから、こちらこそお仕事の邪魔をしてしまって済みません。」



彼女は、申し訳なさそうに頭をそっと持ち上げると修一をチラッと見た。



その瞬間!「あの時の!」



「レストランおやきの!」



驚きのあまり修一は喉を詰まらせてしまった。



「スキーの上手な!」



若い女性の清掃員はそう言うと微笑んだ。



ふたりは驚きのあまり次の言葉が出てこなかったが、しばらくして



「一昨日はありがとうございました。この会社にお勤めなんですね。」



修一は、自分の名刺を慌ててポケットから取り出して、そこに携帯番号を書き込んで渡した。



「良かったら電話下さい。」



名札には原田と書かれている。



若い女性の清掃員は戸惑いながら名刺を受け取ると、真っ白な胸ポケットへそっと仕舞い込んだ。



「皆さん会議室ですよ、大丈夫ですか。」



会議などはどうでも良かったが、勤務中である。



「電話、下さいね。」



修一はそう言うと会議室の中へ入って、そっとドアを閉めると不覚にも笑みが溢れた。



大胆な行動である。



名刺に携帯電話番号を書き込んで渡す。



これまでには考えられない自分・・・



「課長、これで私の報告は終わりですがどうでしょう?」



そう言うと三上がいつもとは違う修一の顔をのぞきこむように見た。



「あっ、良いと思うよご苦労様。」



進捗報告なんてどうでも良い。修一はずっと携帯電話を握りしめている。



それは着信を見逃さないためである。



会議が終わり部屋を出て直ぐ様辺りを見回したが、清掃員は誰も居なかった。



課に戻っても修一の気持ちは落ち着かなかった。



会社内をうろついて、彼女を探したい気分であるが探し当てたところで彼女も仕事中、ここは彼女からの電話を待つしかない。



焦る気持ちを抑えてパソコンに向かって仕事を始めた。



こんな気持ちで過ごす時の流れは、なんとも長く感じる。



仕事が終わると、午後7時の電車に乗った。



彼女から、いつ電話が掛かって来てもわかるように、ポケットに収まっている携帯電話に触れていた。



いつもなら、携帯のバイブレータに気付かなくてもさして気にはしない。



しかし、まだ名前も知らないが、一目惚れの彼女からの電話は、そう言うわけにはいかない。



30分で川越に着く。



今夜の夕飯は、駅近くのスーパーで買う事にした。



かき揚げ丼に焼き鳥3本。野菜サラダのパックを買った。



外食する事もあるが、自分の部屋で、誰にも気兼ねしないで食べる方が好きである。



お気に入りの部屋でひとり…そんな時間が大好きである。



自転車置き場でミニベロに乗って、蔵づくりの街並みを抜けると、修一のマンションがある。



部屋に入って灯りをつける。



誰も居ない孤独。寂しさ、そんな気持ちはほとんどないが、いつも一緒に居たい。



そんな気持ちにさせてくれる女性と知り合った事は今まで一度もない。



その気持ちにさせてくれる女性。



それはきっと結婚に結びつくものだろう。



今は、ひとりの空間が好きである。



でも・・・



今夜にも電話が掛かって来るかもしれない彼女。



一目惚れの経験すら今までに無かった修一にとって、まさに不思議な思いであった。



時計の針は午後9時を指している。



夕飯を済ませた修一は、さして見たいテレビもなかったので、シャワーを浴びる事にした。



携帯電話の着信音を最大にして、脱衣所の洗濯機の上に置き、浴室のドアを少しだけ開いてシャワーを浴びた。



あの清々しい可愛いらしい笑顔。



既に付き合っている彼氏が居ても不思議ではない。



もしかしたら結婚しているのかもしれない。



彼女は電話番号を書いた名刺を受け取ってくれた。



まったく子供みたいだな俺、しかし、子供の様に純粋でシャイな今の自分は嫌いではない。



今までに感じた事のない思い。



恋心・・・ウエィトレスと清掃員。



彼女の素性はもちろん、何処に住んでいるのかも分からない。



でも今は、そんな事はどうでも良かった。



浴室から出ると缶ビールを飲みながら、スキー雑誌のページをめくっては眺めて、携帯電話の着信を待った。



今夜は掛かって来ないかもしれない。いや、永遠に掛かって来ないかもな。



ひとり掛けのソファーに座って煙草に火をつけようとした時、



リーンリーン・・・



懐かしい黒電話の着信音が携帯電話から鳴り響いている。



相手は、電話を初めて鳴らす人物である。



彼女かも!



着信表示を確かめると、知らない番号が表示されていた。



深呼吸をすると、携帯電話を開いて平静を装った。



「はい、岸本です。」



「もしもし、岸本修一さんですね、夜分遅くに済みません。」



時計の針は午後10時を指していた。



「私、あなたの会社をいつも綺麗にしてあげてる原田直美と申します、分かりますよね。」



「はい、分かります。」



胸が弾んだが、何を話したら良いのか……言葉に詰まってしまった。



直美は笑っている。



「修一さんは、私に興味を持ってくれたんですよね。」



「えっ」



「私もあなたに興味があるんです、スキー場ではありがとうございました。」



修一は思わずガッツポーズをした。



「原田さんでしたよね、良かったら今度、僕と一緒にスキーに行きましょう!」



いきなりのアプローチに、直美はクスクス笑っている。



「こんな私で良いんですか?修一さん。」



「こんなって、とても可愛らしい女性です。」



「ありがとう修一さん、それから直美で構いませんよ。」



修一は、さらにガッツポーズを繰り返した。



「僕は川越のマンションで、ひとり暮らしをしています、直美さんは?」



しばらく沈黙が続いた。



「えっ、川越・・・ですか、私も川越です。」



これにはびっくりである。



「僕は蔵造り通りのすぐ近くです、直美さんは?」



「私は的場です。」



的場は、川越市の郊外にある閑静な住宅街である。



「仕事は派遣なんですけど、週末はスキー場。それ以外は掃除のおばちゃんしてます。」



直美は、さらに声を出して笑った。



清々しく可愛らしい。



それからの会話は、修一から直美へ電話を掛け直して、途切れる事なく続いた。



「アドレスありがとう直美さん、また連絡します、おやすみ。」



修一は携帯を閉じた。



原田直美。



彼女こそ、修一のこれからの人生のパートナーとなる女性である。

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