【完結】美麗さんは美しい。

郡楽

Scene1『ねこぜ』

 ダン、ダン、ダン――体育館に響くバスケットボールの音が好きだ。


 ドリブル、ドリブル、ドリブル。走って、疲れて、ゴールを見据える。腕を伸ばす。腕を柔軟に、手に集中して、全身のリズムを合わせて――


 バシュッ。ダン、ダン、ダッダッダ……。


 ボールの弾む音が小さくなって、私の呼吸音が鮮明に響く。誰もいない場所で一人、こうして遊ぶのが好きだった。シャツで顔の汗を拭う。バスケはやっぱりいい、夢中になれる。


 ふと人の気配がして体育館の入り口を見ると、夕日を背負った誰かがこちらを見ていた。男の子のシルエットだったが、その人は目が合うと逃げて行った。懸命だと思う。私は彼に文句を言おうと思っていたから。


「なんだよ……あいつ」


 わざと言葉にしてみる。彼にはきっと届かないだろうが、それでも言いたかった。


 ボールを片付けて、壁際に置いていた荷物に手を伸ばす。


 口を開けっ放しだった鞄の中に、二つ折りにされた紙が入っているのを見つけてギョッとした。誰が……と考えて、さっきの男の子が浮かぶ。でも、いつ? 彼が荷物に近づいたのにすら気づかないほど熱中してたなんて、自分でもちょっと引く。


 手紙を開けてみる。そこには丸っこい字で、「好きです」と書いてあった。線の震えから緊張が伝わってくる。下にはSNSのIDが書いてあった。


 連絡する気はない。大体、話したこともない相手のどこが好きだって言うんだ。


 一目惚れなんて言葉はなァ、私がこの世で一番嫌いな言葉なんだよォ! と心の中で叫びながら、それでも意を決して書いたのであろうこのメモを捨てることまではできず、やり場に困った末に鞄の奥底へ突っ込んで体育館を出る。


 家に帰って、眠りにつくまでは少しもやもやしていたが、単純な私は翌朝にはメモのことなどすっかり忘れていた。


 いつも通り朝食を食べ、いつも通り通学する。教室に入ると、後ろの方に座っている男の子から、明らかに気まずそうに顔を背けられた。


 その男の子は、いつも俯いてばかりの変わった人だった。背は高いのだろうが、猫背が凄くてそう思えない。一人で本ばかり読んでいる。前髪が陰になって、誰も彼の目を見たことがないと噂になっている。


 何、なんかしちゃった? と考えながら自分の席に着く。私がメモの存在を思い出したのは――昨日の、夕日を背負った男の子のシルエットを思い出したのは、その日のお昼のことだった。


「ぶーっ! あの猫背……!」

「……はぁ?」


 本気で怪訝そうに首を傾げたのは、唯一の友達のカオリである。


 カオリはさりげなく自分の弁当を私から遠ざけながら、シルエットって何? と尋ねる。


「いや、昨日さ……体育館でちょっとバスケしてたんだけど」

「うん」

「なんか気づいたら鞄に手紙入ってて」

「は?」

「入口から男の子がこっち見てて」

「ちょっと、それ怖すぎない?」

「その人、目が合ったらすぐ逃げちゃって」

「顔は見たわけ?」

「それが逆光でさ……」

「あちゃー、そこだけでも見れたら特定できたのにね。んで、さっきシルエットって言ってたけど心当たりあるの?」

「あー……うーん……」


 今日、不憫なことに猫背くんが黒板前に立たされていたシーンを思い出す。背丈がどうかは覚えていないが、体型はそっくり……な気がした。


 というよりは寧ろ、今朝あからさまに「傷つきました」みたいな泣きそうな顔を逸らされたのがもの凄く気になった。彼がメモの差出人かどうかまでは分からないが、何か失礼なことをしてしまったなら確認するのはありかもしれない。


 ……というのをカオリに言ってみると、彼女は面白そうだからという理由で私を応援してくれた。そういう正直なところがとても好きだ。


 ということで、菓子パンをお茶で流し込む。『いざ出陣!』と立ち上がった私は、意気消沈してふにゃふにゃと腰を下ろした。


「どこにいるか知らんし……」

「あー……。教室とか?」

「うーん……なら猶更、目立ちたくないから一人の時を狙うことにする」

「放課後にってこと?」

「とかね」


 タイミングは別に、猫背くんがトイレに立った時でも何でもいいんだけども。


 それから、私たちの話題はコロコロ変わってあっという間に昼休みは過ぎた。授業はいつも通りつまらなかった。やっと放課後がきて、私はちらちらと猫背くんの方を見ながら、ゆっくりと帰り支度を進めたのだ、が。


「あ、あの……」


 気づけば誰もいなくなった教室で、私が声をかけるまでもなく、彼の方が恐る恐る近づいてきた。


「ごっごめんなさい……!」

「……え?」


 何が? と聞くと彼は、鞄にメモを入れたのは自分だと自白した。


 本当は直接渡そうと思ったが、どうしても勇気が出なかったこと。いつ気づくか気になって少しだけ様子を見ていたら、私に見つかって怖くなって逃げてしまったことなどを、彼はたどたどしく喋った。


「……いいよ、怒ってないよ」

「ほ、ほんと?」

「本当。というか、えっと。連絡しなくて、ごめん?」


 別に謝るようなことでもない気がしたが、今朝の彼の様子を思い出して、何となく謝った。彼は首を横に振った。今日知れたのは、あのメモの犯人と、猫背くんの名前が高村セイヤであるということだった。

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