プリンの回

第17話



 日曜日。


 俺は各駅停車の電車に揺られていた。


 窓の向こうでは住宅やビルがすごい速度で後方へ流れて行っている。


「先輩先輩、私おやつ作って来たんですよ。食べますか?」


 俺の右隣に座っている光葉が膝の上のタッパーを開けると、中にはクッキーが入っていた。


「……いや、いいよ。さっき朝飯食ったばかりだし」


 時刻は九時過ぎ。


 午前中にもかかわらず猛暑で、太陽に一週間ばかり有給休暇を与えたいくらいだ。電車の中をキンキンに冷やしてくれるエアコンには感謝の言葉もない。


「ねえねえ【メッシー】もとい召野くん、今度のアップデートで武器の性能が変わるらしいよ、知ってた?」


 左側の座席には糖場が座っていて、スマホを見ながら難しい顔をしている。


「……ああ、リーク情報が流れてたのを見たよ」

「困ったなー、私が愛用しているライフル、ナーフされちゃうんだって」

「そうか。援護が難しくなるな」

「先輩、お腹が空いていないなら何か飲みますか? ミントのシロップでソーダ水を作って来たんです」


 光葉が俺と糖場の会話に割り込むように、大きめのバッグから水筒を取り出す。


「……分かった、じゃあもらおうかな」

「はい!」


 そう言って光葉は水筒から透明な液体をコップに注ぐと、俺に手渡した。


 ほのかにミントの香りがする。


 飲んでみると爽やかな風味で、この暑い時期にはぴったりな甘さだった。


「美味いな」

「でしょう? お代わりもありますよ」

「へー、ソーダ水? どうやって作るの?」


 糖場がスマホから顔を上げてこちらを見る。


「簡単です。私はおばあちゃんに教わったんですけど、ネットで調べれば記事が載ってますよ」


 そう答える光葉は笑ってはいたものの、顔には『私はあなたと話したくありません』と書いてあった。


 ……はあ、全く。


 どうしてこんなことになってしまったのだろうか。


 いや、元はと言えば俺のせいでもあるかもしれないのだけれど。


 あれは今から36万……いや、1万4000年前だったか――なんてもちろんそんなわけがない。つい昨晩の出来事だった。





「よし安地確保した! 勝てる勝てる!」


 土曜日の夜は徹夜でオンラインゲームと相場が決まっている。


 俺はいつものように『ギガント・ドロップ』をプレイしていた。


『右から1パーティ来てるよ、対応できる?』


 ヘッドホンからボイスチャットで繋がっている糖場の声が聞こえた。


 ゲーム画面の中では、糖場が操作しているキャラは別の敵を相手取っている。このまま右から攻撃を受けると、せっかく確保した有利な地点を奪われる可能性があった。


「余裕だ。任せろ!」


 俺は自キャラを操作し敵を迎撃しようとした――そのとき。


 突如として俺のスマホが振動し始めた。


 くそ、今めちゃくちゃ大事な時なのに!


 片手でゲームのコントローラーを操作しながら、空けた方の手でスマホを取る。


 振動の原因は着信で、その相手は光葉だった。


 つい先日連絡先を交換したのを思い出し、よりによってこのタイミングで電話かけて来るなよ、と心の中で文句を言いながら応答のアイコンを押した。


「……もしもし」

『あ、先輩ですか? 今大丈夫ですか?』

「大丈夫じゃねえよ。手短に頼む」


 通話をスピーカーに切り替え、再びコントローラーを両手で握る。右方向から迫っていた敵は既にかなり接近してきていた。


『先輩、明日私、おばあちゃんの家に行くんです』

「おばあちゃんの家?」


 敵のパーティにエイムを合わせ一気にトリガーを引く。ラッキーなことに全弾命中し、前方の一人をダウンさせた。


『そうです。私、おばあちゃん子ですから』

「ああそうか、気を付けてな」

『以前、お味噌が欲しいって先輩言ってましたよね? ですから、貰いに行こうと思うんです』

「へえ、味噌ね。良いんじゃないか」


 別の敵を片付けた糖場が俺の援護に入る。画面端に表示される残りの敵チーム数を見ると、「1」になっていた。つまり今戦闘している相手が最後の敵ということだ。


『なんだか微妙な反応ですね……。先輩、本当にお味噌が欲しいんですか?』


 少し不機嫌そうな声がスピーカーから聞こえた。


 俺、味噌が欲しいなんて言ったっけと思いつつ、そう言えば糖場に味噌を分けてやってくれと光葉にお願いしていたことを思い出した。


「味噌は、俺じゃなくて糖場に渡すって話だっただろ?」

『一緒ですよ。私、先輩にお願いされたからおばあちゃんの家にお味噌を取りに行ってあげるんです』

「ああ、そう。手間取らせて悪いな」


 俺と糖場の攻撃が敵に集中する。


 敵の反撃が徐々に弱まっていく。


『なんか返事が適当じゃないですか? もぉ先輩! ちゃんと私とお話してくださいよ!』

「ああ、だからちゃんと聞いてるって」

『本当ですかぁ?』

「本当本当」 


 もう少しで敵の体力が削り切れる。


『行けるよ、【メッシー】!』


 糖場の声が聞こえた瞬間、敵チームの最後の一人が倒れた。


 画面いっぱいに俺らのチームの勝利を称えるメッセージが表示される。


 よし、やり切った。


 俺らは勝利したのだ。


 全身の緊張感が達成感へと変わっていく。


 脳内をドーパミン的な快楽物質が大量に駆け巡っていくのが分かる。


 これだからバトロワ系のFPSはやめられねえぜ!


『本当に本当なんですか!?』


 スピーカーからはまだ光葉の声が聞こえている。


「本当だって言ってるじゃん」

『じゃあ先輩も一緒に来てくださいよ、おばあちゃんの家』

「うんうん分かった分かった―――え?」


 あれ?


 何かがおかしい。


 とんでもないミスをしてしまったような気がする。


 例えば、定期考査の終了間際で解答欄が一つずつずれていたことに気が付いたあのときみたいな―――。


『やったーっ! じゃあ先輩、明日の8時に出発しましょう! あ、余計な心配はいりません。いつも通り朝は私が起こしに行きますしご飯も作りますから!』

「あ、いや、ちょっと待――」


 俺が止める間もなく、ぷつっと通話が切られた。


 どうしよう。


 光葉のおばあちゃんの家へ行くことになってしまった。


 しかも明日。


『どうしたのー? 勝ったのに元気ないじゃん』


 ヘッドフォンから糖場の声がする。


「あ、ああ……。さっき光葉から電話があってさ」

『うん、スピーカーにしてたでしょ? 実はバッチリ聞こえちゃってたんだ』

「え、そうなのか?」


 なんか恥ずかしいな、それ。


 別にやましいことは何も喋ってはいないが……。


『光葉さんのおばあちゃんに会いに行くんだって?』

「ああ、そうなんだ。味噌を貰いに行くからって」

『それって私がお願いしていた味噌でしょ? なんか巻き込んじゃってごめんね』

「いや、気にするな。すぐ光葉に連絡して、あいつ一人で行ってもらうようにするから」


 俺がスマホを手に取った瞬間、待って、という糖場の声が聞こえた。


「なんだ?」

『それさ、私も一緒に行くよ』

「……はあ?」

『だって私がお願いしたことじゃん。ちゃんと私もついていくのが筋ってモノじゃない?』

「筋とか言い始めたら、確かにそうかもしれないけど……」

『電車で行くでしょ? 明日、駅で待っとくから。改札前に集合ね』

「いやちょっと待て、電車かどうかは」

『もし違ったら連絡してよ。じゃ、また明日ね』


 通話が切れた。


 糖場や光葉と一緒に、光葉のおばあちゃんの家に?


 ややこしいことになってしまった。


 光葉、糖場のことあんまり好きじゃなさそうだし――面倒だなあ。



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