第22話 二人きり
「では、REONAの言葉に甘えて、私たちは少し、ここから離れることにしよう」
私とあの男は学校から離れることにした。柚子の通っている高校は、田んぼの真ん中にある高校で、徒歩でどこかに移動するのは困難だ。自転車でもあれば移動は簡単だが、駅からは徒歩で高校まで来た。
「ああ、もしもし。そう、高校の前に来てくれると助かります。わかりました。高校近くの公園で待っています」
どうやってここから離れた場所で話すのかと思いきや、男はタクシー会社に連絡を取ったようだ。
「あと十五分ほどで、タクシーが到着するそうです。ここにタクシーを呼ぶわけにはいかないので、近くの公園に来てもらうことにしました」
「ワカリマシタ」
私たちは、高校から歩いて五分ほどの公園まで歩くことになった。男の隣を歩くのは嫌だったので、少し後ろをついていく。男はこの辺の地理に詳しくないのか、スマホの地図アプリを見ながら歩いている。
今日は体育祭だが、平日ということもあり、道路はトラックや営業車が絶え間なく走っている。しかし、道路わきの歩道を歩いている人は少なかった。私たち二人は、周囲の人にどのように見られているだろうか。夫婦で散歩していると思われているかもしれないと思うと、どうにも複雑な気分になるので考えないことにした。
徒歩五分などあっという間だ。歩いている間、私たちは無言だった。すぐに目的地の公園についてしまったが、タクシーが来るのにあと十分ほどかかる。
「そこのベンチに座って待ちましょう。喉が渇きませんか?あそこに自販機があるので、先生の分も買ってきますね」
「いえ、お気遣い結構です。カバンの中にお茶が入っていますから」
公園も平日の昼間とあって誰もいなかった。公園内のベンチに腰掛けると、男の方が気を利かせているつもりなのか、声をかけてきた。男に借りを作るのもしゃくなので丁重にお断りする。そんなことで気を悪くすることなく、男はただ、ワカリマシタと言って、自分の分の飲み物を買いに自販機まで向かっていく。
一人ベンチに取り残された私は、ようやく一人になれたとほっと溜息をつく。あの男と二人きりなれたのは、良い機会である。翔琉君やREONAさんたちのためにも、話さなければならないことが多い。しかし、同時に二度と会いたくなかった男と二人きりになってしまって、とても平静ではいられない自分もいた。
「はは。手が震えているし。なんだか鳥肌も立ってるわ」
ふと自分の手を見ると、かすかに震えている。体育祭日和の雲一つない快晴で、残暑という言葉がぴったりの暑さにも関わらず、長袖のUVカットカーディガンの中の腕には鳥肌が立っている。
こんな状態で、あの男と二人きりで、彼らの依頼を遂行できるのだろうか。こんな年になってしまっては、さすがにあの時みたいに襲われることはないと思うが、何を言ってくるのか、何をしてくるのかわかったものではない。
「とりあえず、まずはREONAさんと翔琉君のことを聞いて、それから……」
「おまたせしました。彼らのことが気になりますか?」
「ああ、すいません。独り言が口に出ていましたか。はたから見たら、怪しい人ですね。それにしても、タクシー、遅いですね。道はすいているのに、どうしたんでしょう」
これからあの男と何を話していこうかと整理しているところに、その当人が戻ってきた。慌ててベンチから立ち上がるが、なぜか両手に缶コーヒーを持っている。一人で二缶も飲むつもりだろうか。さすがに一度に二缶はカフェインの取りすぎだと思う。
「飲み物はいらないと言っていましたけど、どうぞ」
「いえ、だから飲み物はカバンの中に」
「いいから」
無理やり、冷えた缶コーヒーを手に押し付けられた。返そうとしても押し返してくる。何度か押し問答を繰り返すが、結局、男の方が上手で、仕方なくもらうことにした。
「アリガトウゴザイマス」
「それで、彼らの何を聞きたいですか?」
「別に何をというわけではないのですが、ただ……」
渡されたコーヒーの缶を開けて飲んでいると、先ほどの話を蒸し返された。男の方も私と同じようにコーヒーを飲んでいる。自分の手元を見下ろすと、缶コーヒーの微糖の文字が目に入る。隣の男の缶にも同じ文字が見えた。同じものを飲むことに意味などないが、急に嫌な思考が頭を駆け巡る。
「いやいや、これにそんな深い意味なんて。そもそも、たかが飲み物が同じというだけのことにいちいち動揺していては」
「ここは日陰だけど、この残暑で体調が悪くなりましたか?もしかして熱中症では……」
男の心配そうな声にようやく我に返る。どうにも、この男と二人きりでいると、やはり平静でいられない。さっさと彼ら夫婦の内情を聞いて、体育祭の応援に戻った方がよさそうだ。
「だ、大丈夫です。たまに小説のネタがいきなり頭に浮かんでくることがあって。今まさにその状況でして。ああ、ほら、あれ、神永さんが呼んだタクシーですよね。行きましょう!」
ぼうっと考え事をしていたことを熱中症だと思っている男に、慌てて弁明する。あたりを見渡して、必死でごまかしていると、視界にタクシーの姿を見つけた。ここに居る必要もないので、急いでタクシーのもとに向かい走り出す。
「ああ、ちょっと、沙頼!」
「なっ!」
思わず本名を呼ばれて振り向いてしまったのが間違いだった。真剣なまなざしで私を見つめる男の瞳に困惑してしまう。とはいえ、タクシーが来ているのは事実であり、こんな公園で待たせるのは運転手に申し訳ない。いや、タクシーは放っておいて、いっそこのまま柚子たちがいる高校に戻ってしまおうか。
考えたのは一瞬で、私の身体は勝手に動いていた。振り向いた身体を元に戻し、タクシーに向かって再度走り出す。そして、そのままタクシーを無視して公園の外に出る。そのままふり向かず、高校まで全力疾走した。
「ま、待ってくれ。沙頼!僕は君に、つた、えな、くては、いけない、こと、が」
後ろから男の必死な声が聞こえていたが、無視して私は高校に向かって走り続けた。
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