そうだ、人を殺そう

ぽぽ

第1話

 人を殺そう。と思い立ったのには別段何か理由があったわけではない。

 小さい子供がカエルや蝉を潰して遊ぶことがあるだろう。それの延長線上にあるものだと思う。あれに理由などない。

 ただ、強いて理由をつけるのならば、そうさせられたからだ。親にではない。いじめっ子にでもない。イカれた犯罪者でもない。それじゃあ誰に?わからない。いや、わからなかった、と過去形にするのが正しいか。今はもうわかっている。

 初めて人を殺した時のことは、今も鮮明に脳内に記憶されている。

 誘致し、人気のない山の中へ連れて行き、両足の親指を切断する。そいつが目を覚ますとまず困惑し、数秒後、自分の足を見て悲鳴を上げる。悲鳴に飽きたら誰かいないかと呼びかけ、あたりを見回す。そうして背後にいる私に気づくのだ。

 そいつは助けてくれと言う。だが何も言わない私を見て察しがついたようで、立って逃げようとする。走ろうとする。

 だが、それは到底叶わないことであった。人間は足の親指が無いと歩くことすらままならない。そいつは何度も倒れ、何度も立ち上がろうとし、そして全身を泥で汚していく。なぜ倒れるのかすらわからないまま、疑問符と恐怖を顔に浮かべて這いつくばるのだ。

 私は服からナイフを取り出す。気づかれるようにわざと音を出してだ。

 案の定そいつは私に振り向き、そして更なる恐怖を顔に張り付ける。這う這うの体で逃げようとする。

 私は歩いてそいつの元まで行き、右の脛に浅く突き刺した。そいつは叫び、必死に逃げようと親指の断面を地面に擦り付けながら這う。

 私は血のついたナイフを丁寧に拭い、再び歩く。そしてそいつまでたどり着いた時、薄く肉を喰む。足、腹、背中。急所や出血が多くなる場所を避けて刺しまくった。腕は無傷のままにさせておいた。逃げることを続けさせるためだ。

 二十八回目の時だった。残ったもう片方の目をくじろうと近づいた時、そいつは急に痙攣し、動かなくなった。

 脈が無いことを確認した時、私は人を殺したことを実感した。私が、この手で、人間を。得も言えぬ快感が全身を駆け巡った。トリップ?脳内麻薬?そういったものが頭の中で浮かんでは消えていった。視界がチカチカし、脳がパチパチいったのを今もなお克明に思い出せる。

 以降、私は人を殺しまくった。二人目は生きたまま臓器を取り出して、三人目は眼球に刺した針を一定時間ごとに少しずつ進ませて。思いつく限りの残虐な方法で殺していった。

 無論それは快感であった。人を殺したという達成感、爽快感、愉悦。殺した後には喪失感も残ったが、それを含めての快感だ。

 そうして私は殺しを愉しんでいった。全国を転々として殺してきたが、ある時、私が一連の事件の犯人であると気づかれてしまった。そいつは刑事で、六人目の遺族でもあった。六人目をかどわかす時に偶然見られてしまった。顔は見られていなかったが、その時に家の鍵を落としてしまった。もちろん家の中は漁られているだろう。ニュースになっていないのを見るに、その刑事は警察に頼らず、私への復讐を遂げるつもりらしい。ずっと私を個人で追い続けている。

 殺してしまおうか。そう思ったが、そいつはかなり慎重で、一点に留まらないため捕まえられず、私がそいつに作った罠も見破られてしまった。

 ついには殺せずに、私が次に拠点にしようとしていた場所が廃倉庫であると見破られてしまった。

 そして、今私はそいつと向かい合っている。

「ようやく、だな」

 そいつは言った。一見冷静を装っているが、わずかに声が震えている。怒りか、恐怖か、あるいは喜びか。感情に自分が揺れている。

「言い残すことはあるか」

 拳銃が握られ、銃口が私の眉間を向いている。私には指の動きを読んで銃弾を避けるなんていう芸当はできない。そして動こうものなら即座に撃たれるだろう。つまりこのままだと私は死ぬ。

 しかし、私は焦っていなかった。抵抗する気もない。なぜなら意味がないから。

「違和感を覚えたことはないかな」

 私はそう訊いた。そいつは怪訝な顔をする。

「あまりにも都合がよすぎる……いや、ちょっと違うかな。出来すぎている、というのが正しいか?」

「なにを言っている……?」

「私が人を殺している理由はなんだと思う?」

「……お前がイカれてるからだろう」

「そうだね、私はイカれてる。あれは全部快感のためにやっていた。それじゃあ、それに快感を感じたわけは?どうして殺人で快感を得られると気づいた?」

「何を言ってる。お前は……ただイカれてる。それだけだろう」

「私が人を殺そうと思ったのはある日突然だった。『そうだ、人を殺そう』。そんな風にだ。私には特別な家庭環境も壮絶ないじめも犯罪者に大切な人を殺された経験もない。生まれ持ったサイコパスと言ったらそれだけだが、どうもそうは感じない。殺そうと思い立つ前日までは、ごく普通の会社員だったのだ。少なくともそう思っていた」

 そいつの顔はだんだん困惑へと変わっていく。

「私のこの人格は造られたものなのではないか?そう思うきっかけだった」

 そいつは黙って銃を突き付けている。撃つ素振りは見せない。そうか、まだ私の話を聞きたいのか。君は、いや君たちは。

「それが確信に変わったのはつい最近だ。失敗しない私の犯罪。君以外には警察にすらバレない私の犯罪の数々。偶然落ちた私の家の、いや私を追うための鍵。ゴミ処理場に落ちた鉄片から、もうすぐそこが毒ガスで満たされると見破った君。

 そして何より出来すぎているのが、そのストーリーだ。大切な人を殺したやつに復讐を誓う被害者遺族。これだけなら別段おかしくはない。だが、このストーリーはそれに魅力的な設定がいくつもある。殺人鬼役はイカれてる。だが頭が切れ、常に合理を選択できる。探偵役は聡明で熱っぽい、それでいて頭脳明晰。どうだ、いかにも大衆受けしそうじゃないか」

 『探偵』は銃を構えたまま固まっている。フィナーレを飾る前に、例外をどうするのか悩んでいるのだろう。もちろん、悩んでいるのは探偵ではない。

「つまり、私と君は、いやこのストーリーは、造られたものだ。誰に?それは今筆を握っているやつかもしれないし、キーボードを叩いているやつかもしれないし、プログラムを組んでいるやつかもしれない」

「……どういうことだ」

「この世界は何次元だ?」

「三次元だろう」

「そう。縦と横と高さにしか広がりがない三次元。だが、今筆を持っているやつは三次元にはいない。一次元が縦方向のみ。二次元が縦と、縦に垂直な横のみ。三次元が縦と横、それに垂直な高さという概念がある。そして、それらに垂直な方向がある次元にいるやつが、今筆を執っているやつだ。少なくとも、私はそう結論付けた」

「……ここは、漫画か小説の世界だと?」

「そうだ。あるいはゲームかもしれないし、映画かもしれない。ともかくこれは造られた物語なんだ。私が殺人鬼になったことも、君が家族を殺されたことも、すべて造られたことだ」

 私がそう言った直後、探偵の顔が崩れた。悲しそうな、怒っているような、そんな表情だった。とうとう筆を執っているやつもしびれを切らしたらしい。

 探偵がトリガーに指をかけた。だが私は焦っていなかった。なぜなら私は生き残るであろうから。

 さっき話している最中に、さりげなく場所を移動していた。させられたの方が正しいか。

 私は全国にいくつもの拠点を持っている。ただの会社員だったやつが……とも思うだろうが、これもストーリー上の都合なのだろう。ともかく、私はいくつも拠点を持っている。そして、それらの拠点には、万が一のために至る所に仕掛けを作っている。それを作動させられるところまで、私は移動してきたのだ。

 探偵はしばらく歯を食いしばっていたが、やがて顔を上げ、私を見据えた。私は足元にあるスイッチを踏んだ。

 直後、探偵の頭上にあるいくらかの合板が支えを失って落ちて来た。それがちょうど探偵がいる場所へ。数十キロはある物体だ。なんとか頭は避けたようだが、下半身はボロボロだろう。

 探偵はその拍子に銃を手放し、手の届かない場所まで離れた。動こうにも下半身は潰れ、数十キロがのしかかっている。

 私は探偵に近寄った。もはや私の意思は関係なかった。ここからも決められたセリフを喋る人形となるだろう。

「惜しかったね。もし君が一人ではなく警察を大量に引き連れていたら、きっと私を捕まえられただろう。だが君はそうしなかった。復讐に囚われ、自身の手で殺すことにこだわった」

 探偵は私がそう言う間にも唾をまき散らしている。

「自分に不相応なことはするなって、ママに教えられなかったか?ああ、それはもう私が殺したから、君はもうママに教わることはできないね」

 探偵は腕を必死に私へ伸ばそうとする。その腕を私は踏みつけた。骨が折れる音が響き渡る。

「君はずっと、ずうっと子供部屋にいればよかった。そしたらママは死ななかっただろうし、君も死ななかった」

 私は探偵の銃を拾い、トリガーに指をかけた。

「最後くらいかっこつけさせてもらおうかな」

 そして、銃口を探偵の頭へ向ける。

「ゲームオーバーだ」

 トリガーを引いた。

 後には静寂と硝煙の臭いが残った。わずかに血の臭いも漂ってきた部屋の中で、私は一人呟いた。

「君の物語は終わった。だが、私の物語はまだ終わらない」

 そう言って、天窓から空を見上げた。

 巨大な眼が、私を見つめている。そんな想像が頭をよぎった。

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