最終話 あるべき場所へ(7)
「みどり、水飲む?」
「ウン、ちょうだい」
「水飲んだら、またする?」
「だめ。休みます」
「わかった。休んだらまたしよう」
「だめだってば……あなた、体力どうなってるのよ……」
彼から差し出された水を飲み、息を吐く。
(……それにしても、……すごかった……私、あんな体勢できるのね)
終わった今もふわふわと気持ちがよくて、幸せだ。体を倒して裸のまま彼と向き合い、汗ばむ彼の肌を指先で撫でる。
「くすぐったいよ、なあに」
「タトゥー、新しいのはいれてないのね」
「忙しかったからね。メンテナンスもしてないんだよな……色消えてるのあるかな?」
「無いと思うけど……背中見せて」
「ン」
彼がゴロンと転がって背中を見せてくれる。彼の背中の天使と悪魔の両翼は記憶の通りに綺麗だった。大好きなうなじに口づけると、彼はビクリと揺れた。
振り向いた彼はジトーとした目つきだ。
「休みは終わりでいいのかな?」
「だあめ。もう終わり。明日から仕事びっしり入ってるし、忙しいの。シャワー浴びたらホテル帰ります」
「ヤリ逃げにするのか、酷い女だな」
「ンフフ」
ふざけながら抱きしめ合う。明日からのことを考えると、もうホテルに戻らないといけない。だけどまだ動きたくなくて、彼の腕を枕に息をつく。
彼が私の髪をかきあげて、頬を撫でてくれた。気持ちよくて目を閉じると、コツンと彼が額を当ててきた。
「俺の家、来たら?」
「……その場合、私達の関係ってどうなるの」
「そうだな……みどりが俺の国にいるとき限定の彼氏かな……便利だよ? 衣食住提供するし、三大欲求きっちり満たしてあげるし、仕事も応援するし……」
彼が眉を下げて「どう?」と聞いてくる。大きなわんちゃんみたいだ。
「現地妻みたい」
「笑うなよ。本気だ。……せめて、この国にいるときは側にいて。他の国のことは、……諦めるから」
彼の頬を両手で包み、目を合わせる。
「嘘も隠し事もやめて。ちゃんと、全部、話して。欲しいもの全部、ちゃんと言って」
彼は私の手に手を重ねて、深く息を吸った。
「……親父の後を継いで、よくわかった。この仕事は……終わりがない。安全なんかない。マフィアという名でなくしても、法で裁ける罪でないものにしても……この仕事は恨まれて、憎まれる。……それでも、俺の国にはまだ必要な仕事だ。だから、俺はきっと死ぬまでこの仕事をする……そして最後は、ひどい死に方をする」
彼の声が震えていた。いつかの告白のように、彼は自分を痛めながら私に心を晒してくれる。
「なのに、……死ぬそのときまで、君と共に生きることを、許されたいんだ。君の人生、全部、無駄にして……後悔させる……それでもいいって……それでも俺の彼女になるって、君に言ってほしいんだ……」
彼の声は、そんな事は許されないとわかっている罪人のようだった。でも、彼は神に赦しを乞うているのではない。彼の灰色の瞳に私だけが映っている。
「……これが、俺の欲しいもの、全部、……ひどい話だろ……」
きっと彼が言う通り、ひどい話だ。きっと他の普通の男性が女性にする告白とは何もかもが違うだろう。でも、私は嬉しかった。
(やっと、彼の人生を任せてもらえた)
泣きたくなるぐらいだ。こんなに嬉しいことは他にない。
「ね、私をあなたの彼女にしてくれる?」
彼の目尻から涙が溢れた。
「……駄目だ……」
彼が首を横に振り、私の手から逃げようとする。だから彼の涙をキスで拭う。それでも、ボロボロと彼の涙がこぼれていく。何度も彼の頬にキスをしてから、彼の口にキスをする。
「逃げないで」
私の手首を握って泣く彼に、もう一度キスをした。
「……駄目だ、みどり。こんなの、許しちゃ駄目だ……」
「駄目よ、紫貴。もうあなたは私のもの。絶対手放してあげない。どんなにボロボロになっても、どんなに汚くなっても、……死んだって、私のものよ」
わざと怖い声を出して脅してみる。彼は泣きながら、息をつく。その吐息に笑いが滲んでいた
「……最高だな」
彼は涙を落としながらも幸せそうで、私の胸もじんわりと温かくなる。そっと引き寄せると、彼は私の胸に飛び込んで、ぎゅうぎゅうと私を抱きしめた。
「ありがとう、みどり。めちゃくちゃ長生きする……」
「……あなた……図太いわね……」
悲痛に泣いたのがもう嘘みたいに、彼は笑った。
「当たり前だろ、俺はゴットファーザーだよ?」
「ふうん。じゃあゴットファーザーの彼女になった私にご要望はないのかしら?」
ふざける彼にふざけてそう聞けば、意外にも彼はハっとした様子で顔を上げた。
「俺の彼女なんだから他の男に触られないでね? デートに誘われても断ってね。二人きりの食事なんて絶対にやめて。都合をつけるからみどりの誕生日は俺に祝わせて。あと、……いきなりいなくなったりしないで。先に言って。ちゃんと見送るから。それから……」
「ンフフ、はいはい」
急に始まった長い要望に笑うと、彼はへにゃりと力の抜けた笑顔を浮かべる。
「クリスマスは一緒にいて」
「クリスマスは無理よ、稼ぎ時だもん」
「ハァ!? 彼女なのに!?」
「我慢して。その代わり、夏休みは必ず一緒にいましょう」
「……夏か」
彼が私の髪をかきあげて、頬に触れた。
「夏に一緒に過ごすの楽しみだ」
「……そうだね、夏も黒い服なの?」
「クク、どうかな。みどりの好みにして」
「今の格好が一番好きよ」
裸の彼は目を丸くしてから、歯を見せて笑った。
「えっち」
「素敵な彼女でしょ?」
「……ウン、大事にする。今度こそ、……大事にするよ」
彼が私を抱きしめてくれる。素足を絡めて、視線を合わせて、ぴったりと寄り添う。彼の温度、匂い、肌のふれあい、全てが愛おしかった。
「……一つだけ、お願い。親に挨拶してくれる? 一応ね、『日本文化』なの」
「挨拶すればいいの? こんにちはってこと?」
「ウウン、私の両親に『娘さんをください』って言って。『日本文化』だから」
「わかった。すぐに予定をつける」
彼は日本語は話せても『日本文化』はよくわかっていないから、素直に頷いた。なので嘘を続ける。
「そしたら『日本文化』として、お父さんにちゃぶ台をひっくり返されるのよ」
「ウン? ちゃぶ台って?」
「エ、んんと、ダイニングテーブルのことかな。小さめの……こう、背の低い感じの。とにかくそれを『お前に娘をやれるかー!』って叫ばれながら投げつけられるのね?」
「へ? 日本文化、すごいな……避けたらいい? キャッチした方がいい? どっちが文化的に気に入ってもらえる?」
「思い切り当たって。程々に怪我して」
「……わかった。顔面で受け止めて脳震盪起こすね」
彼は本気の顔をしていたから、私は笑いを噛み殺す。
「……で、起きたらもう一回挨拶するの」
「娘さんをくださいって?」
「そう。そしたらまた、ちゃぶ台投げられるの。そしたら?」
「俺は顔面で受け止めるんだね?」
「ウン……それで、お父さんが許してくれるまで挨拶するの。できる?」
「ウン、やる」
彼は悲痛な覚悟を決めた上で、頷いてくれた。
……実は、母にだけは『好きな人がいるんだけど、ちょっと見た目が怖い人』とだけは伝えているから、そんなことにはならないだろう。でも、このぐらいの嘘を許してもらえる自信があった。
彼はどんな意地悪をされても、もう私を寝かしたりはしない自信があった。
「他に、……みどりは彼氏にしてほしいことある?」
彼の胸に額をつけて、息をする。
「……おかえりって言って、キスして」
彼は目に涙をためて、幸せそうに笑った。
「おかえり、みどり」
彼のキスは天使のように優しい。
「ただいま、紫貴」
これでいいと確信できるキスだった。
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