最終話 あるべき場所へ(3)

「シチリアの方までチェックしてるんだ。いや、世界中か、すごいな……」

「気になった店はどの国だろうとチェックするようにしてるの。でも、今はこの辺の店だけ見て回ろうかなって……」

「じゃあ、歩こう。車止めるところ探す方が手間になる」


 彼は広間の横に止まっていた車に何か合図を送る。するとその高そうな黒い車が発進し、去っていった。車を見送ってから隣の彼を見上げる。


「みどり、アイス食べたい?」

「真冬に何を言っているのよ」

「ここでは旅行者はアイスを食べるんだよ」

「私はオードリーじゃないし……、ねえ、改めて見ると本当にマフィアみたいな格好ね」

「似合うでしょう? ハットでも被ろうか?」


 彼はふざけてみせるが、そんなことをしたところで彼がどう見てもマフィアなのは避けられなかった。そして私はそんなマフィアの横に立つと、お気に入りのコートにデニムではあるけども、拉致される直前のツーリストにしかならない。


(こんな男連れてたらお店の人が萎縮しちゃう……仕事にならない……)


 どの店から行こうか、と話している彼の手をぎゅうと握る。彼は『どうかした?』と目で尋ねてきた。だからその目を見つめながら、顔を寄せる。彼は長いまつげをまたたかせ、「ウン? 何、悪い顔して……」と疑う様子なく、私に顔を寄せる。


「付き合ってもらうときにお願いしたこと、そういえば、してもらってなかったわ」

「……何の話?」

「一度でいいから、私の好みの格好してくれる? って聞いたの。あなたはそれで頷いたでしょう? あれ、まだ有効?」

「……アァ、……言った……」


 彼の顔が明らかに嫌そうなので、つい笑ってしまう。


「私の好みを疑い過ぎじゃない?」

「俺はこのあたりじゃそこそこ有名なんだよ。威厳がなくなる……ニュージャージーでやっておけばよかったな……」

「あら、そ。なら完膚なきまでに威厳消してあげる。このあたりの古着屋さん、知ってる?」

「はい……マァ、はい……」

「少しは愛想よくしてよ!」


 エイ、と彼の腕をたたくと、彼は「イテ」とわざとらしく痛がった。でも私の手を握ったまま歩き出す。だから私も彼の腕に身を寄せて歩いた。

 それから彼に連れて行かれた古着屋で、私は思う存分楽しんだ。

 一着目のストリート系カジュアル、ニ着目のアメリカンカジュアル、三着目のミリタリー、四着目のトラッドスタイル、もちろんどれも似合っている。が、五着目のモードスタイルになると、彼は試着室の椅子から立ち上がるのも億劫になったようだ。目が死んでいる。


「モデルさん! ちゃんと立って!」

「もう、……どれでもいい、……終わって……」

「全身ハート柄にするわよ?」

「みどりが隣にいてくれるならいいよ……」

「おいてくわ、そんな人」


 紫貴は顔をしかめるが、無視して次の服を差し出す。彼は私の差し出したものを見て、苦笑した。


「何これ。バック・トゥ・ザ・フューチャー?」

「そう。マーティしか似合わない赤ベスト」

「着ろって言うなら着るけどさ……」


 彼は立ち上がり、私の頭に顔を寄せて、「フフ」と笑った。


「なあに?」

「俺があげた香水、まだ使ってくれてるからさ。香水店に勤めたんだから意味もわかってるのに、浮気しないでくれたんだ」

「……そんなことも知ってるの?」

「メールくれたでしょ。フランスのお店、うまくいってよかった。俺も行ったけどレイアウトが斬新だったよ、オペラ劇場みたいな配列、みどりの提案だったんでしょう? あのブランドのイメージに合ってて効果的だった、……何?」


 びっくりして目を丸くしていると、何故か彼も驚いた顔をした。


「……私のメッセージ、読んでたの?」

「そりゃ送ってくれたんだから読むよ」

「じゃあ、なんで返信しないのよ! いや、ちょっと待って……」


 最後に送ったメッセージを思い出す。


「……見た?」


 彼は私を見たまま、目を細め、うさんくさい愛想笑いを浮かべた。


「紫貴! 見たの!?」

「……そりゃ送られてきたなら見るでしょ。俺が悪いのか?」

「わ、わわ、わるく、わるくはないけど……」


 急に声を低くしてきた紫貴に、声が裏返ってしまう。彼が真顔のまま顔を寄せてくる。私が顔を背けると、彼は私の耳に口を寄せた。


「じゃあ、『見た』俺の感想が聞きたいって?」

「そ、そういうことじゃ、その、だって、み、見てないと思ったから、その、いや、あの、……」


 彼は、あろうことか、私の耳にキスをした。


「あんなの見せられたら、俺はもうどうしようもない。君のしもべだ。早く抱かせてくれないか?」

「黙ってイタリア人!」

「イッ!?」


 咄嗟に彼の足を踏むと、本当に痛かったのか、彼はしゃがみこんで俯いてしまった。


「ア、ごめんなさい!」


 慌てて隣にしゃがんで、……気がついた。


「……何、笑ってるのよ」

「だって、……ククク………なんだよ、イタリア人って……クククッ……」


 彼は必死に笑いをおさえていたが、耐えきれずに体が震えていた。むかついて横腹をつつくと、弾けたように笑い出してしまった。


「わ、……、笑い事じゃない! 見てたならスルーしないでよ、馬鹿!」

「フフフ、ごめんね? クククッ、自分で送っておいて、クッ、照れてるのか、……ヒヒッ」

「笑わないの! 返信しない紫貴が悪いんじゃないの!」

「分かった、分かった、そうだ、俺が全部悪い、………フフフフッ、クッ……ごめ、……だめだ、笑える、あははっ、はっはっはっ」 

「紫貴! 高笑いしない! バック・トゥ・ザ・フューチャーのドグの格好させるわよ!」


 ゲラゲラ笑う彼の腕を叩くと、彼の手が私の肩にまわり抱きしめられた。


「ちょっと……!」


 そのまま抱き起こされ、まるでバレエみたいにクルリと回され、そうしてまた抱きしめられる。いきなり何をするのかと咎めようと彼を見上げて、……私はもう声が出せなくなった。


「いいよ、全部みどりの好きにして」


 彼が、心底幸せそうに笑っている。


「俺はみどりの子犬なんだから」


 両手で彼の頬を包むと、彼は嬉しそうに私の手に頬を擦り寄せる。私は彼のこういうところが大好きだった。


(全然、だめ、こんなの……)


 今でも言葉をなくしてしまうぐらい、大好きだ。

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