第8話 朝露に消ゆ(2)

 私を迎えに来た百々目さんの部下たちに百々目さんの病室に連れて行かれた。

 彼らは百々目さんの警護にあたるから、私もここに居たほうが安全らしい。彼らの会話を盗み聞いたところ、紫貴への嫌がらせをしたい連中の仕業で、それが百々目さんに当たったから報復をするらしい。


(疲れた……)


 私が大丈夫だといえば彼らは席を外した。どうも彼らは私と百々目さんの仲をあれこれ勘違いしているようだが、そんなのどうでもよかった。

 ぼんやりと、百々目さんの腕に刺さっている痛み止めの点滴が落ちていくのを見る。彼は目を閉じて、こちらの心労など気にもせず寝ている。術後の麻酔の残りもあるのだろう。


(時計の針がさっきから進まない……)


 いつまで経っても真夜中で、いつまで経っても明日にならない。いつまで経っても紫貴は帰ってこないし、いつまで経っても体の震えは止まらない。スマホの電源を入れても紫貴からメールも電話もないままだ。私が何を送っても何の答えもない。まるで深い深淵に話しかけているみたいだ。


(……こんなのが、『普通』?)


 紫貴は怖いマフィアで、だから彼と付き合うには力がいる。


(みんなが言ってたのは、こういう意味だったんだ……やっと、わかった……)


 血のシミのついたコートを脱いで、椅子の上に置く。持っていたバッグの中を見て、スマホとクレジットカードとパスポートがあることを確認した。


(来たときもそうだったじゃない。勢いだよ、市村みどり)


 バッグだけ持って、病室を抜け出す。

 廊下を歩き、百々目さんの部下たちに軽く挨拶して、なんてことないように病院を抜け出す。すぐにタクシーを呼んで空港に向かうように頼んだ。

 後部座席で目を閉じて息を吐く。


(……こんなのは、嫌だ)


 私の手には血がこびりついていて、私の瞼の裏には弧を描く血の線がはっきりと残っていた。


(撃たれるなんて、嫌。こんなの、嫌。……嫌に決まってる。でも……、そうだとしても……隠される方がずっと嫌)


 私はここまで来てようやく気が付いた。


(紫貴が私に隠していたこと、紫貴が私を囲い込んでいたこと、……ちゃんと説明してくれていたら許せるのに……)


 私は、ずっと、怒っていたのだ。


(私が怒っているのは、……私の可能性を、考えもしなかったことだ。……私が何者でもないから、隠して、飼うしかないと判断したこと。……たしかに今の私は何者でもない。だけど、私がこの先どうするか……どうなるかは、私が決めること。紫貴が勝手に諦めて、私を飼っていいわけじゃない。……私は紫貴と生きるためなら、マフィアの女にだってなれるのに……きっと、なれるのに……)


 真っ暗な夜だけど、私はもう泣いていなかった。血の味がするほど奥歯を噛み締めて、鼻の奥の痛みに耐えながら、ただ遠くニューヨークの景色を睨み続ける。


(私のことを少しも信じないで、こんな時にどこにいるかどころか、帰りのフライトの時間さえ教えてくれないなんて……信じられない。そっちがそうなら私だってもう知らないわ!)


 彼の穏やかな笑顔さえ思い出せない、真っ暗な夜だった。

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