第5話 鬼来たりて(5)
彼の告白に『気にしないわ』と言えばいいのか、『大丈夫』と受け止めていいものなのか、『ひどい!』と怒鳴ってみせたらいいのか。この告白にどう答えたらいいのか全く分からない。けれど、彼の眉間には皺が寄っていて、彼が泣くのをこらえていることはすぐに分かった。
(どうしたらいいの……?)
今までの比ではない、頭痛を伴うような音量で、頭の中に警報が鳴り響く。
(そんな人なんて知らなかった。そんな人と一緒にいる覚悟なんてしていない。そうでしょ、市村みどり?)
だけど目の前の彼の顔を見ると、そんな警報を無視して恋心が叫ぶ。
(可哀想。泣きそうな顔してる……私の大好きな人が、苦しんでる……)
私を膝に抱いているのに、私が何処かへいってしまうことに酷く怯えている、そんな彼を目の前にして、どうして警報なんて聞けるだろう。
彼の頬に手を当て、そっと彼の唇にキスをする。彼は小さく息を吐いて目を開けた。
「紫貴」
彼の名前を呼ぶ。いつものように、大切なんだという気持ちを込めて呼ぶ。彼は蛇のようにじっとしたまま、私を見ていた。
「イタリアで生まれ育って、アメリカで長く暮らしていて……」
「……ウン」
「なのに、どうして……シャワーの使い方もわからないの?」
彼は瞬きをした後、深く息をした。
「二年前までは、百々目と同じ家で住まなきゃいけなくて……百々目、帰れないくせに日本が好きで、日本語しか話さないし、日本製しか認めないから……だから、俺も日本のものに、慣れてて……」
彼の声に涙が混ざっていく。彼の手が私の背に回り、私を強く抱きしめた。
「じゃあ、冷蔵庫の中の幅とって仕方ないお酒は百々目さんのものってこと? 捨てていい?」
「そう……百々目が、引っ越しの、餞別でって渡してきて……、そうだね、捨てよう、ウン……」
「紫貴は百々目さんと仲良しなのね」
彼は鼻をすすってから、急に「見るな」と低い声で唸った。
「何を?」
「百々目。格好いいから、見ないで」
「ハァ? どこが?」
「エッ」
紫貴は本当に驚いたのか顔を上げてくれた。泣き顔さえ天使のようだ。人差し指で彼の涙を拭う。
「いきなり来るし、部屋で煙草吸うし、土足だし、人のこと『お嬢ちゃん』とか呼ぶし、家主に対して失礼すぎ。もう来ないでほしい」
「そ……っか、わかった。二度とやらせない。百々目は殴っておく」
「殴らなくてもいいけど……紫貴の大事な人なんでしょ」
「そんなことはない」
「えー、アハハ」
あんまりな断言に私が笑うと、紫貴は私をソファーに押し倒した。私の肩をおさえて、彼が私を見下ろす。
「……みどり、いいの?」
いいはずなんかない、という理性はある。そんな相手を選んで親に顔向けできるのか、なんて誰かに責められたら私はきっと泣くだろう。
だからこそ、私は頑張って笑った。この選択は間違ってるとわかった上で、それでも笑った。
「あなたが好きなの。人生後悔してもいいぐらい、あなたが恋なの……今更離れられないわ」
彼の顔を引き寄せてキスをする。彼のキスを真似て伺うように触れると、彼は私を真似るように主導権を渡してくれた。だから彼のために、慰めと決意を込めて、少しずつキスを深めていく。彼は私の肩を掴む力をゆるめ、すがるように落ちてくる。
キスを終えて彼の顔を見ると、彼は力が抜けたのか、ゆっくり私の上に寝そべる。汗ばんだ彼の体は重たく、押しつぶされそうだ。
「私のこれまでの人生と、これからの人生……全部大事にしてくれるんだよね?」
「ウン、……俺の全部で……必ず守るよ」
――マフィアなのにどうやって?
つい、そう、思ってしまった。それでも、その思いごと彼を胸に抱きしめた。彼は私に抱かれながら静かに息をする。蛇だと言われたら確かに似ている、今更そんなことを思った。
次の更新予定
ポートレート・イン・ザ・ダーク 木村 @2335085kimula
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