第45話 記憶
「コーヤと言ったな。お前の話を詳しく聞きたい」
「わかりました。でも、その前に、今朝というかまだ夜明け前に辺境伯の城を出た後、ずっと馬を駆って短い休憩を挟むだけでした。お茶がないので、白湯か薬草を用意しても良いですか?」
「白湯だ。余計な物を入れるな」
辺境伯の城でもそのくらい用心深かったら良かったのに。
白湯を人数分沸かすが、器がエリックの持っていた1つしかないので、必然的に回し飲みとなる。
「私に回し飲みをしろと?」
「入れ物がないんだからしょうがないだろ。嫌なら飲むな。干からびちまえ」
「こらっ。エリック!」
「フン」
不貞腐れて横を向く仕草は可愛げがないが、王様が怒って斬りつけでもしないかとヒヤヒヤだ。
3人で車座に座り、王様の前にコップを置く。
「毒味をしろ」
素直にコップを手に取り喉を潤す。王様に忘れられたショックで冷えていた指先に、血が巡ってきた。
俺が王様の前に戻したコップを、エリックが横取りした。
「ぷはっ。うめー」
口の周りを拭うと、王様の前にコップを置いた。だが、中身は殆ど残っていない。
王様も気付き、エリックを睨む。
ため息を吐き、コップに新たな湯を注ぎ足し、数口飲んでから置き直す。
今度はエリックより早く王様がコップを手に取った。残りをゴクゴクと飲み干した。
王様は、エリックの前でコップを逆さに振り、口元を歪めて見せている。
もう。子供じゃないんだから。でも、意地悪そうでも笑顔が見れて嬉しかった。
「何だよ。コーヤまで笑うなよ」
「あははは」
口を尖らせ抗議するエリックを見て、自然と声を上げて笑っていた。
いけない。話しをしなければ。
王様を見ると、不思議なものを見るような瞳で何故か目が合う。
王様は俺のことを忘れてしまっているのに、俺は王様と出会ってからの全てを覚えている。
悲しみに覆い潰されないように、王様の綺麗な色の瞳から目を逸らし、会話に集中しようと座り直した。
「では、俺から聞きたいんですが、王様は以前の……自分のことはどのくらい覚えていますか?」
「以前とは?私は、フォルトラ国王カルレイン、30歳だ。日々、政務で忙しい。何故こんな場所で目覚めたのかわからん」
相槌をうちながら続きを促す。
「最初は、お前が私を薬か何かで眠らせ、王宮から拉致して来たのかと思ったが。お前たちの言葉に齟齬がないとすれば、私は記憶を失ったのだな?」
「信じてくれて、ありがとうございます。違って嘘は言っていません」
王様が頷く。
「お前はエリックと呼ばれていたな。兄弟か」
「ッ!兄弟なわけあるかっ!俺は成長期なんだ!今にデカくなって、見下してやるからな」
「俺のいた治療院の近くに住んでいる者で、王宮に行く前は仲良くしてました」
「お前は、どこの治療院にいた?」
「中央治療院です。妹殿下のメイリーン様の治療師として、他の治療師5名と一緒に診療に当たっていました」
王様は、無精髭が少し伸び始めた顎を撫でながら、成る程と頷いた。
「メイリーンの為に治療師を集めよと、パドウに指示していた。使者を出すところだった筈だったが、進んでいたんだな」
良かった。信じてくれたみたいだ。
「コーヤ、お前は治療師なのだろう?私はどのくらいの記憶を失い、きが戻る可能性はどの程度あるんだ?」
さすが王様だ。記憶を失くしてることがわかっても取り乱したりしないなんて。
「王宮から使者が来てから大体2週間というところでしょうか。それと、記憶の方ですが、使者を出す前のことで、思い出せないことはないんですよね」
「ああ。記憶に途切れはないと思う」
「そうですか。崖から落ちた時、王様は全身に怪我をされ意識もない状態でした。治癒魔法で治療したので怪我は治った筈なので、逆行性健忘か、乖離性健忘なのかなと思うのですが」
「なんだ、それは」
「頭を打ったことで打つ前の一部の記憶がなくなったか、心理的に忘れたい記憶が抜け落ちてしまったか、ですね。少し乱暴に言うと」
「思い出せるのか?それって」
黙って聞いていたエリックが、心配そうに尋ねてくる。やはり良い子だ。
「それは、俺には分かりません」
「ずいぶん専門的なことを知っているが、お前は医師ではないのか」
王様から、知っているはず自分のことを尋ねられる度、忘れられたことを再認識させられる。
悲しい気持ちで簡単に説明し、王様にとって最も重要であろう話題を振った。
「王様、辺境伯のことを話してもよろしいですか?王位に関わることなのです。俺の知っていることは僅かですが」
「では、私が記憶のない間のことでお前が知っていることは、全て話して聞かせろ」
俺が話しては、王様が質問を挟み、その夜は遅くまで話しこんだ。
エリックも、へらず口はもう叩かず、大人しく2人の話を聞いていた。
一通りの出来事を話し終える頃には、夜もかなり更けていた。
俺は前夜もあまり眠っておらず、王様は病み上がりでもあったため、翌日王都に出発することにして眠ることになる。
当然、布団も無く雑魚寝をすることになり、暖かい季節で良かったが、王様は床に雑魚寝などしたことはないだろう。
俺を真ん中に川の字になり、エリック側からはまもなく寝息ぐ聞こえてきたが、王様はいつまでも寝付けないようだ。
「眠れませんか?」
「ああ。お前もか」
「身体は疲れて眠いんですが、昨日から色々ありすぎて。気持ちが昂っているのかもしれません」
昂ると言うより乱れていたが、言うことではないだろう。
王様にはキスのことは話していない。
俺の気持ちまで話さなくてはならなくなる。忘れられて悲しい気持ちまで。
「でも、もう寝ますね。明日また相談しましょう、おやすみなさい」
「ああ」
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