魔王になった僕を、勇者になった恋人が殺しに来た。

柚子故障

第1話

僕が図らずも魔王となってから、2年が過ぎていた。


その日、僕は単身で攻め込んできた勇者と戦っていた。勇者が来たことを悟った僕は部下たちを下がらせ、結界を張ったうえで、一騎打ちの形で相まみえていた。勇者は猛攻を仕掛けるが、僕が得意とする結界術にことごとく防がれる。


「この、受けてばかりで……! 覚悟しなさい、魔王。破軍……雷槍!」


勇者が放った雷は、狙い違わずに僕の心臓を貫こうと迫ってくる。だが、その攻撃も僕には届かない。


「無駄だよ……僕の結界の性質は璧。穿ち貫こうとする敵意は、すべからく流れて霧消する」


彼女の破軍級の魔法は見事だった。本来なら一軍の上に降り注いで殲滅を図る魔法だ。その幾百幾千の雷を一つに凝縮させ、僕一人に向けて放ったのだ。


恐らくは、数ヶ月をかけてじっくりと練り込んだのだろう。僕一人を殺すためだけに。僕を殺すためにそれだけの努力を積み重ねたのだと思うと、感動で胸が熱くなる。


しかし、その芸術的な魔法も、僕が常時展開している結界にいなされ、川を流れる小枝がいつの間にか見えなくなるように、自然と消えていった。


「えっ……」


切り札であろう魔法をたやすく防がれてしまった勇者の顔が、驚愕に染まる。僕の結界は単なる防御ではなく、敵意を無に返すために構築されたものだ。どんな攻撃も、この『璧』の中では霧散してしまう……それこそが、僕の結界の本質だった。幾度となく襲ってきた精鋭の騎士や魔法士たちも、この防御を破ることはできなかった。


「どうしたの?  もう終わりかい?」


僕はあえて挑発するように言う。


「そんなわけないでしょう! これならどうかしら? 聖槍よ!……我が敵を滅ぼせ!」


彼女は叫ぶと同時に、僕の周囲に無数の槍を展開させた。


「神が遣わした使徒の軍勢が用いていた槍よ? 全てに対応できるかしら?」


なるほど。確かにこの数の槍を全て防ぐのは難しいかもしれない。しかし、それはあくまで普通の敵相手ならばの話だ。


「……無駄だよ。この槍も全て無力化される」


そう言って僕は右手を前に突き出す。すると、全ての槍が僕に襲いかかる前に霧散してしまった……そして勇者の動きも止まる。


「くっ……」

「上手かったね、これだけの槍を囮にして、隙をついて空間転移からの首筋狙いとは。まるで手練れの暗殺者だ」


勇者が僕の頸動脈を切り裂こうとした裂帛の一撃は、僕の身体に届くことなく、空中で停止していた。


「璧を越えても、そこは蜘蛛の巣。僕の魔力の糸を感じるかい? ここに到達したのは君が初めてだよ。準備していたものを使わせてくれて、ありがとう」


僕はそう言いながら勇者の頬に触れた。あの頃と変わらない温かさが伝わってくる。


「くっ……さっさと殺しなさい。覚悟はできているわ」


勇者は悔しそうに睨みつけてくるが、全く抵抗はできていない。それも無理はない。僕がこの2年間紡ぎ続けた魔力の糸が、勇者の全身に絡みついているからだ。そして、その糸は微弱ながら魔力を吸い取る。

本来なら数十本レベルの出力で耐久性も低く、役立たず扱いされる魔法だが、数百万の糸は急速に勇者を無力化させていた。


僕は勇者の頬を愛おしく撫で、その美しい金髪に優しく触れる。彼女の顔を見ていると、かつての日々が蘇ってくる。でも僕たちの間には、決して戻ることのできない深い溝ができてしまった。勇者として、彼女は僕を殺すためにここにいる。


「昔よりもさらに綺麗になったね、クラレス。昔はもっと髪が長かったのに、切ってしまったんだね」

「……さっさと殺しなさいって言ったでしょう。辱めても無駄よ。私は絶対に屈しない」


勇者は僕を睨みつけながら言う。しかし、その身体は小刻みに震えて、声も弱々しいものだった。


「そうだね、君はもう魔力を失って、ただの剣術がちょっと得意なだけの女の子だ。殺すのは容易いね……」


僕はそう言いながら勇者の身体を抱きしめる。彼女の存在をすぐ近くに感じると、懐かしい思い出がよみがえり、胸が少しずつ高鳴っていくのを感じた。


「何をするつもり?」


怯えたように僕の腕の中で震えるクラレスの身体を抱きしめながら、僕は言った。


「待っていたんだよ、クラレス。君が、僕のことを殺しに来るのを」


********


僕とクラレスは、同じ村で育った幼馴染だ。僕らの家は隣同士で、家族ぐるみの付き合いがあった。そして僕らは、幼い頃から互いを想い合っていた。


「カイト!  今日も一緒に遊ぼう!」


クラレスはいつも元気よく僕の家にやってきた。


「うん! ちょっと待ってて!」


僕も急いで準備をする。遊ぶ時はいつも一緒だった。森の中や川べりを駆け回ったり、木登りをしたりした。時には喧嘩もしたが、すぐに仲直りしてまた遊んだりした。


12歳の頃だった。僕たちは手を繋いで走り出していた。森を抜けると、草原が広がる場所に出る。そこにはたくさんの花が咲いていた。クラレスはその景色を見て目を輝かせていた。


「わぁ……綺麗だね……」

「そうだね。でも、クラレスの方が綺麗だよ」

「もう……カイトったら……」


その頃には、クラレスの表情は大人の面影を見せ始めていた。彼女は恥ずかしそうに頰を染める。そんな彼女が愛おしくて、僕は思わず抱きしめてしまった。


「きゃっ……いきなりどうしたの?」

「ごめん。つい我慢できなくて」

「しょうがないなぁ……」


そう言いながらも、彼女は嬉しそうだった。僕たちはしばらくそのまま抱き合っていた。


「ねぇ……クラレス。僕ね、君に伝えたいことがあるんだ」

「何?」


僕の言葉を予測して、クラレスは草原に咲く花のように微笑んだ。


「僕はクラレスのことが好きだ。ずっと一緒にいてほしい」

「もう、そんなの当たり前でしょ? 私もあなたのことが好きよ……」


そう言って、クラレスは僕にキスをしてきた。僕は突然のことに驚きながらも、彼女の想いに応えるように唇を重ねた。


どちらからともなく、舌を差し入れて絡め合う。教えてもらった訳でもなく、唾液を交換し合う。僕たちは日が暮れるまで、抱き合いながらキスを交わし続けた。


14歳になると、クラレスは胸が大きくなり、すっかり女の身体になっていた。僕も精通をして、クラレスの身体に異性としての魅力を感じるようになった。


僕たちは安息日になると、2人で街まで出掛けることが増えていたが、この日は森を抜けた秘密の逢瀬の場所で愛を囁き合っていた。


「ねぇ……クラレス。僕、もっとクラレスのことを知りたいよ」

「もう……カイトったら……。でも、友達に話して自慢したりしないでよ。あいつら、私がカイトのものだって分かってるのに、すぐいやらしい目で見てくるんだから」


クラレスは僕の頼みに応えてくれた。思っていた通り、とても美しい身体だった。


「綺麗だよ、クラレス」

「ありがとう」


そう言いながらも、彼女の顔は羞恥で真っ赤に染まっていた。僕はそんな彼女にキスをした。


「んっ、あっ……ダメよ……カイト」

「どうして?」

「だって、私たちまだ成人前なのにこんなこと……あっ、そこは……、どうして知ってるのよ、こんなこと」

「村の兄さんたちにね」

「もう、バカ……言わないでよ、私たちのことは」

「うん、約束するよ」


そう言いながらも彼女の目は潤んでいた。僕は構わず続けることにした。キスを繰り返しながら、お互いの心と身体を重ね合わせていく。しばらくすると、クラレスは肩で息をしながら、僕にもたれかかってきた。僕が優しく抱きしめると、彼女は僕の胸に顔を埋めてきた。


「幸せ……この時間がずっと続くと良いな……」

「うん、僕もそう思うよ」


でも、この願いは叶わなかった。


********


16歳の夏が来た。僕たちは機会があるごとに逢瀬を交わしてキスをしていたけど、純潔だけは守り通していた。16歳になり、成人の儀を終えれば、僕たちは夫婦となることができる。お互いの両親もすでに公認の仲であり、あとはその日を待つだけだった。


そして、ついにその日がやってきた。先に誕生日を迎えた僕は、教会へ行き成人の儀を受けていた。たまに魔力が見つかって国への出仕を求められる者もいるが、まぁそれはそれで良い給金をもらえるので、悪い話ではない。


「では、この泉に手をかざして。あとは君の体内に魔力があれば、勝手に呼び起こされてくれます」


僕はシスターに言われるまま、手をかざした。その瞬間、体内をすさまじい黒い何かが駆け巡った。どろどろとした何かが、口から飛び出しそうになるそれを必死で抑える。体の中で爆発するかのような感覚に必死で耐える。


「え……このような結果、教本でも見たことは……カイトくん、あなたは、一体……?」


シスターがぽかんと口を開けて、次第に表情が脅えたものへと変わっていく。泉は真っ黒に染まり、禍々しい変貌を遂げていた。それが先祖返りで僕に宿されていた魔王の力であることを知ったのは、後々のことだった。


あまりの異常事態に、村の有力者が集められ、協議が始まった。凶兆であることは明らかなようだったが、誰にも分からなかったので判断のしようがなかったのだ。当事者である僕は家で待機するように指示を受け、心配して様子を見に来たクラレスは僕の手を握って励ましてくれた。


「きっと、あなたが強い魔法士だって証拠なのよ。お城に呼ばれて、取り立ててもらえるわ。私も一緒について行って支えるから、お給金がもらえたら仕送りもしてあげましょう?」


クラレスはそう言ってくれたけど、僕は不安で仕方がなかった。


「うん……でも不安だよ。本当に真っ黒だったんだよ。石炭よりも黒くて、夜の空よりも深かった。まるで、底なし沼みたいにどろどろとしてたんだ」

「忘れちゃいなさいよ。大丈夫だよ。きっと大丈夫」


クラレスは自分に言い聞かせるように、何度もそう呟いた。


でもこの時、僕たちがすべき選択は逃げることだったのだ。


*******


僕が覚醒した際の魔力の波動は、王城にも伝わっていたらしい。そしてそれは、魔王の復活として即座に認定された。


すべての騎士団と魔法士団が緊急招集され、精鋭によって魔王の討伐隊が編成され、昼夜を問わずに駆けつけてきた。そして、村に気付かれないように包囲を完了した一流の魔法士たちが唱えたのは、非情の宣告だった。


「破軍……雷槍!」


彼らが選択したのは、不意打ちによる魔王の暗殺。そして、村一つの存在はやむを得ない犠牲として扱われた。無数の雷が村中に降り注ぎ、人も家畜も、命があるものはすべからく雷に心臓を撃たれ、襲撃に気付く暇もないまま、死んでいった。


「う……っ」


クラレスと家にいた僕も雷に撃たれた。何発もの雷が身体を撃ち、血をたぎらせ、心臓を止めようとしていた。しかし魔王の魔力の方が上回り、絶命は避けられていた。


「一体、何が……そうだ、クラレス……クラレス! 母さん、父さん! どこにいるんだ……、あぁ、そんな……」


事情が分からないまま周囲を見渡した僕はすぐに、至るところから血を噴き出して絶命している両親と、倒れているクラレスを見つけた。彼女もまた、雷に体力を大きく奪われてはいたが、生存していた。


「クラレス! あぁ良かった、生きてる……」

「んっ、身体が痛いよ……カイト……何があったの……?」

「分からない。でも、母さんたちはもう……そっちは見ないであげて。クラレスの家に行こう……おばさんたちが心配だ。何があったかは分からないけど、早く逃げないと」


恐怖に顔をひきつらせたクラレスを抱きしめ、励ましながら移動した僕たちを待っていたのは、同じように無惨に絶命したクラレスの両親の遺体だった。僕は自身の両親を悼む余裕もなく、号泣するクラレスを抱きしめるしかなかった。


「カイト……私たち、これからどうなるの……?」

「分からない。でも、僕が君を守るよ。とにかく、安全なところに移動しないと。駐屯地に助けを求めに行こう」


その時、騎士たちの声が死に包まれた村に響き渡った。


「いたぞ、魔王はまだ生きている! 包囲して止めを刺すんだ!」


その言葉で、僕たちはすべてを悟ってしまった。あの黒い魔力は、僕が魔王である証拠であったということを。僕は恐る恐るクラレスの顔を見る。その表情は、困惑から、驚愕に塗りつぶされようとしていた。


「ごめん、クラレス。ごめん……そんな、僕が、僕が……」


僕は思わずクラレスを突き放した。そして、そのまま逃げだした。弓矢を射かけられ、強力な魔法を惜しみなくぶつけられながらも、僕の魔力は自然と結界を作り出して、辛うじて包囲を脱出した。


そして、同じく僕の魔力の波動を感知して迎えに来た魔族に保護された。魔族は理性的な一族であり、人間を面白半分に虐殺するような種族ではないことを、そこではじめて知った。


僕は魔王という存在になるべきか葛藤した。魔族たちは、僕の苦悩を受け入れてくれた。そのうえで果たすべき責務について覚悟を決めた僕は、数ヶ月の厳しい魔法の研鑽を積んだのち、実力を示して魔王の座についたのだった。


*******


「殺しなさい。お父さんたちを、村のみんなを殺したのは魔王……あなたよ」


僕に抱きしめられながら、クラレスは僕の肩に噛みついてきた。僕は結界を発動させず、彼女の好きにさせてあげる。彼女の荒い吐息と共に、鋭い痛みが肩を襲う。


「……なんで大人しく噛まれるのよ……」

「クラレスの好きにさせてあげようと思って。痛いけど、君になら構わないよ」

「……さっさと殺しなさいよ。どうせ、無力になった私を慰み者にでもしたかったんでしょう? でも、それだけはごめんよ」


クラレスは僕から離れると、自分から鎧を外し、その辺りに乱暴に脱ぎ捨てていく。そして肌着姿になると、自分の胸をトントンと指し示した。


「ほら……好きにして良いわよ。癪だから先に教えてあげるけど、処女よ。好きなだけ私を凌辱して、劣情を吐き出しなさい。満足したら殺しなさい……んっ」


僕はクラレスを覆いかぶさると、彼女の唇を奪う。最初は抵抗していたものの、すぐに受け入れてくれた。舌を絡ませ合う濃厚なキスだ。口の中を蹂躙していると、やがて息が苦しくなったのか、彼女は僕の背中を叩いてきた。唇を離すと、頬が情欲の色に染まっているのが分かる。


「はぁ……はぁ……こんなことをして良いなんて、言っていないわ。さっさと犯して殺して……」

「ごめん。それはできないよ」


僕はクラレスの首筋に舌を這わせる。彼女は小さく喘ぐが、すぐに歯を食いしばって耐えようとする。僕はそのまま彼女の身体を抱きしめて、成長を確かめる。


「……やめなさい……」

「本当に嫌なら、もっと抵抗しないとダメだよ」

「んっ……」


クラレスは声を押し殺そうとするが、甘い吐息が漏れてしまう。僕はさらに激しく責め立てる。彼女は身体をくねらせて逃れようとするが、逃さない。しばらく続けていると、彼女の声音が弱々しくなっていった。


「こんなことしないで……さっさとすれば良いでしょう……」

「ダメだよ」


僕はそう言うと、さらに身体を強く抱きしめて、キスを続ける。クラレスは必死に耐えようとしているが、時折甘い吐息が漏れてしまう。


「んっ……ふぅ……そう、やっとするのね。さっさと終わらせて……」

「うん、君の処女をもらうよ。力を抜いてね」

「あっ……だめっ……そんなにしたらぁ……」


そして僕はクラレスを貫いた。行為の途中で、彼女の目を見ながら告げる。


「クラレス、ごめんね。この後で君の魔力を戻して君に殺されてあげるから、もう少しだけ、一緒にいさせて」


僕の言葉に、クラレスは眼を見開き、口をぱくぱくとさせた。


「何言ってるの……殺されるのは私でしょう?」

「いや、死ぬのは僕だよ。ずっと待っていたんだ、君に殺してもらうのを。でも、ごめん。死ぬ前に君を抱きたくなってしまったんだ。おじさんとおばさんだけじゃなくて、純潔まで奪ってしまって……酷いよね、僕」


その言葉を言う前に、もう一度、僕はクラレスと甘いキスをした。応じてくれる彼女の顔に、涙がにじむ。

「愛してるよ、クラレス。だから僕を、魔王を殺して。」

「いやよ……あなたが私を殺すのよ……」

「罪を償いたいんだ。僕がみんなの人生を壊してしまったから……」

「やめて、カイト。あなたが悪くないことなんて分かってるの」


クラレスが涙を流しながら僕の手を取り、自分の首に置かせる。


「あなたがいなくなってから、勇者だって言われて、あなたを殺すように言われて、訓練を受けて……でも、ずっと嫌だった。あなたが悪くないことなんて、私が一番分かっていたから。私たちの村を滅ぼした騎士たちに囲まれて、嫌で嫌でたまらなくて、逃げ出してあなたのところに行きたかった。あなたを殺すための訓練なんて、最悪だった。でもあの日、村にいなくて生き残った人たちと城下で暮らしていたから、できなかったの」


クラレスの言葉が、僕の胸を穿つ。なぜ、あの時に手を放してしまったのだろう。一緒に逃げていれば、彼女をこんなに苦しめることはなかったのに。


「……だから、私は頑張って、あなたの元までたどり着くことにしたの。そして魔王になったあなたと戦って、殺してもらいたかった。私が勝てないことくらい分かっていたから……お願い、あなたが果てたら、このまま首を絞めて殺して、私の死体を城下に投げ捨てて」


「できないよ、そんなこと」

「お願いよ、カイト。そうしないと、死んだことをはっきりさせないと、裏切ったと思われたら、生き残りの村のみんなが……愛してるわ、カイト。愛しているなら、私を殺して。愛しているあなたに、殺されたいの……」


クラレスがぼろぼろと泣きこぼれながら、僕の手を首に押し当ててくる。僕はその手を優しく握った。


「愛しているよ、クラレス」

「私も愛してるわ。あなたが魔王でも、私の愛したカイトであることに変わりはないわ……だから、殺してもらうために、ここまで頑張ったのよ」

「いやだよ。僕の愛している女性を、殺せるわけがないじゃないか」


「やだ、わがまま言わないで……」

「僕も死ぬつもりだったけど……気が変わった。村の生き残ったみんなは、僕たちが救うよ。だから、2人で生きよう。魔王と勇者に敵対する者なんていないよ。僕たちは誰も殺さないし、どこも侵略しない。ただ、愛し合って周りにも愛を分け与えながら生きていくんだ」

「カイト……」


クラレスが涙で濡れた瞳で見つめてくる。その瞳には迷いと悲しみの色が浮かんでいるように見えた。僕は彼女の頭を撫でながらそっと抱きしめた。そして耳元で囁くように語りかける。


「お願いだ、クラレス。僕と生きてくれ」

「……分かった。私も、覚悟を決めるわ」


僕はクラレスにもう一度、キスをする。クラレスも甘い吐息を漏らしながら、僕を受け入れてくれる。僕たちはお互いの気持ちを、改めて確かめ合う。


どれくらいの時間が経っただろう? さすがに疲れて身体を離すと、クラレスは名残惜しそうな表情を浮かべながら、優しく微笑んでくれた。


「最期のつもりだったけど……最初の経験になったわね」

「僕も、そのつもりだったんだけどね。でも、せっかくだからクラレスの身体をもっと知りたいな」

「えぇ、良いわよ。でもその前に、あなたをもっと知りたいわ」


クラレスはそう言うと、僕の耳たぶを甘噛みしてきた。思わぬ攻撃をされて、声が出てしまう。


「んっ、あっ……」

「あら、カイトの方が可愛い声、出てるわよ」


クラレスは嬉しそうな表情を浮かべると、さらに僕を愛してくれた。そして僕たちは有り余る体力を、この2年間の空白を埋めるためにぶつけ合ったのだった。


*******


「カイト、あなた本当に人間なの? 信じられないくらい絶倫ね……」


疲れ果てたクラレスはベッドに横たわり、僕はその隣で彼女の頭を撫でている。さらさらとした金髪を靡かせながら、クラレスは微笑んでいる。


「まぁ、一応魔王だからね」

「あら、そうだったわね。私も勇者だったわ」


僕たちは、これまでの辛い過去を吹き飛ばすように笑い合った。


*******


その後、僕たちは生き残りの村人たちを救出して魔王城で保護し、圧倒的な武力差を背景として不可侵条約を結んだ。そしてクラレスは普通の女性として生きて、出産し、老いて死んだ。


数百年の寿命を得てしまった僕は今でも、日課の墓参りは欠かすことなく、クラレスと愛を育んだ土地と家族を守りながら、皆に愛を分け与えている。クラレスと過ごした日々の記憶が、僕を支え続けている。

この日も僕は、墓参りを終えていた。花を一本、墓前に供える。


「じゃあね、クラレス。明日も来るよ」

「ええ。待ってるわね、カイト」


声が聞こえたような気がして、ふと振り返る。そこには笑顔で花を摘むあの日のクラレスの幻影が、見えたような気がした。涙がこぼれる。


「クラレス、ごめんね。役目を終えたら、僕もずっと傍にいるから」


********


そして数百年の時間を生き抜いて約束を全うした僕は、クラレスの隣に葬るように伝言してから、息を引き取ろうとしていた。


「カイトおじいちゃま、お休みなさい」

「ああ、お休み」


看取りは断った。僕の寿命の到来を知らない子孫の女の子が、最後にドアを閉める。僕は寿命を終えるため、わずかに残っていた魔力を霧散させ、息を止める。


「カイト、やっと来たのね。待ちくたびれたわよ」


遠くからクラレスの声が聞こえる。


「ああ、ごめん。とっても待たせちゃったね」

「良いのよ。あなたが頑張っていたのは、知ってるから」


愛する彼女が待つ場所へ、やっと帰ることができたんだ。僕が最後に脳裏で見たのは、あの日の彼女の、まぶしい笑顔だった。

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魔王になった僕を、勇者になった恋人が殺しに来た。 柚子故障 @yuzugosyou456

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