墓守りの男
伊吹
墓守りの男
自分の墓場を見に行った。地中海にのぞむ断崖絶壁を覗き込むと、ヒサシのように墓が崖に無数に張り付いていた。どれが我が家のものなのかは一目瞭然だった。
五男にあたる父とその家族の墓場は、供え物もなければほとんど手入れもされていない。半円形の石造りの器の中には雑草が生い茂り、雨跡の泥の中を小さな魚が這い、他のものは干からびていた。浅い水差しの中に目を向けると魚が横たわって呼吸困難に陥っていた。
私は死者が眠る土を踏まないように、石造りの器を不器用に伝って断崖絶壁を下って行った。3つほど墓を伝ってきたところで手を伸ばし、魚を指で払って泥の中に落とそうと試みた。三度失敗し四度目に成功したが、魚は泥ではなく乾いた土の上に落ち、何度か弱々しく跳ねた後に息絶えた。よく見ると、息絶えた魚の側には摘まれたタンポポの花が手向けられヘドロにまみれていた。
ふと上を見上げると私は自分が随分断崖絶壁を下っていたことに気が付いた。戻ろうと思ったが、自分の力では這い上がることが出来なかった。大声で叫んでみたが誰も来なかった。陽は沈み足元で波が幾度となく断崖絶壁を打ち付けていた。なす術もない私は波の数を数えていた。
しばらくすると男女の声が聞こえてきた。女の方は姉だということが分かった。呼びかけようと思ったが、なにやらただならぬ様子であった。私は自分の置かれた状況よりも、普段と違う姉の声に空恐ろしくなって、じっと押し黙ってやり過ごした。
姉はとても美しかった。金の巻き毛に陶器のような肌には一点の曇りもなかった。私は燻んだ色の髪にそばかすだらけで、かといって愛想もなければ歌や楽器もいまいちといった様子なのでどうしてみようもなかった。本を読むことと空想が好きだったので他国の言葉がいくつかつかえたが、女に外国語ができてもナンにもならないし、なによりみっともないので人には言うなと家族には言われていた。
母は私達を二人産んだがそこで打ち止めになってしまい、何故男を産まないのだとなじられ続け、心と身体を病んで早世してしまった。私は、死んでしまったのが私ではなく何故母だったのかということを長い間考えていた。
空が白ばみ始める頃、男が墓を下ってきて、私を見つけて驚いた顔をした。何をしているのかと聞かれたので、朝陽を見にきたのだと答えた。水平線の向こうから眩い光が差し込んで、断崖絶壁を照らした。男は、1000万回陽の光を浴びると死者は蘇るのだと言う。それは本当かと聞くと、実は昨日蘇ったばかりなのだと言って、私の墓にタンポポの花を手向けた。
また会えるかと聞くと、その墓守りの男は、自分は三日後に愛する人と結婚するのでそれはできないと申し訳なさそうな顔をした。
はたしてその三日後に森の中で惨殺死体が見つかったという。姉はそれから泣き濡れて伏せってしまった。父はない金をかき集め、姉に持参金を持たせて×××××公爵の3番目の妻にさせるつもりだった。あんまり泣くものだから折角設えたドレスが余るようになってしまい、仕方がないので詰め物をして式を済ませた。
私はぼんやりとしたウスノロの不美人だったので奉公にもやれず、厄介払いに修道院に入れられた。教会の地下には無数の死者が陽の光を浴びることもなく眠っており、修道院は気の遠くなるような腐臭にまみれていた。しかしその臭いが私の骨の髄まで染み込む頃にはそう気にもならなくなった。
あれだけ泣いていた姉は結婚後は福々と肥え、今度はドレスの身が足らなくなってしまったが、それよりもドレスを買い換える方がずっと早かった。私はもう大人だったので自分一人でも断崖絶壁を下って墓参りすることができた。私はもう大人だったので、墓守りの男がどうなったのかを知っている。
ある人は死者は蘇ると言うが、別の人はそれを嘘だという。隣の国では自由と平等と愛を叫んで革命が起こったということだが、それはどちらであっても私にはあまり関係がないようだった。私は何をなすべきなのか分からず、自分が何をしたいのかも分からなかった。
墓守りの男 伊吹 @mori_ibuki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます