マスクラーメン
不来方久遠
第1話
平成生まれのボクは、バブルの弾けた不景気の日本しか知らない。
常に景気の悪いのが日常だった。学生の頃は、ニュースから流れる円高が進んだとか、日経平均株価が下落したとかにはまるで関心が無かった。
ましてや、世界経済についてはなおさらだった。
高卒後、進学できる学力も無かったので、取りあえずビジネス系の専門学校に通った。
修了の頃、アメリカの大手証券会社が破綻して、何とか持ち直しかけていた日本経済だったが、その煽りから不況に逆戻りした。
いわゆる、サブプライムローン問題に端を発したリーマン・ショックというやつだ。
遠い外国で起こった不祥事が、ウイルスのように日本に伝染し、ボクの就職内定が取り消しになったのは、卒業間際の出来事だった。
就活に失敗し、まさに就職浪人になった。
一人っ子として育てた両親は、我が子に起こった不幸を本人以上に嘆いた。
無職であるという負い目から、そして、何もしないのも苦痛なのでバイトを探した。
カッコ悪い自分を、近所の知り合いに見られるのがイヤでたまらなかった。
職にあぶれたという劣等感から人目を気にして、自宅から離れた勤務場所を選んだ。
チェーン店のラーメン屋の厨房で皿洗いをしながら正社員としての職探しをする事にした。
バイト先での仕事内容は、洗浄機に客の使った食器を入れてボタンを押し、キレイ
になったところで、乾燥機に入れるという単純作業だった。
すぐに辞めるバイトが多いため、人の出入りが激しく、ボクのやる仕事は増える一
方だった。
人手が足りなくなると、調理も担当するようになった。
いつしか、店の勤務シフトに組み込まれ、職探しをするヒマもなくなっていた。
麺の盛付けをやると、店長に筋がいいと誉められた。
他人に誉められて、悪い気はしない。
スープの味付けを任される頃には、一年が過ぎていた。
「うまかったよ」
客の一人が、麺の湯切りをしているボクに声をかけてくれた。
厨房で黒子に徹していたボクには、意外だった。
ボクのいる勤務時間に合わせて、わざわざ足を運んでくれる客もいたほどだった。
客からの評判も良く、店の売上げも上がった事が評価された店長は、別の大きな店
に栄転する事になった。
店長は、人事異動の際にボクを正社員として本部に推薦してくれた。
が、不採用だった。
バイトからの社員登用は認められないという方針らしい。
申し訳無さそうに説明する店長を、ボクが責めるわけもない。
社会に出てから、初めてボクを認めてくれた事にむしろ感謝した。
そして、店長が代わった。
今度の店長は、この春の新卒で入社したての新入社員だった。
この一年、店の味を守ってきたとボクは密かに自負していた。
マニュアル化されたチェーン店ゆえ、工場のように機械化されたラーメンなので、調理実績が無くとも店長職は可能なのだろう。
就活に失敗し、スタートラインに立てなかったボクには、世の不条理を感じざるを得なかった。
新しい店長の下では、ボクの立場が一変した。
バイトが味付けまでして、店を仕切っているのが納得できない様子だった。
ボクは、皿洗いに戻された。
「味が変わったな」
常連の客が言った。
新店長が味付けしてから、よく聞かれるようになった。
客の舌は正直だ。
いくらオートメーション化しても、微妙な味付けは熟練の差が出るものだ。
店を訪れる客足が目に見えるように減った。
元々、ボクの事を良くは思っていなかった事もあって、新店長はボクに何かと難癖をつけるようになった。
いたたまれなくなり、ボクは店を辞めた。
やがて、先の見えない状態に次第に心が病んでいった。
人前に出るのが怖くなり、日中外出する事ができなくなってしまった。
強迫観念から自分の噂をしているような被害妄想になり、人の視線が恐ろしくなった。
対人恐怖症が酷くなり、食卓に置かれた魚の目玉さえ見られなくなった。
ウツになり、自宅に引きこもるようになった。
父は早朝から出勤し、母は昼前からパートに出かけた。
働かなくては生きていかれない。
家のローンは、まだ半分近く残っているようだった。
ロクデナシの息子にかまけていると、一家共々路頭に迷う事になりかねない。
家庭内で暴力を振るうでもなく、ただ無気力になっている状態に対して、人様に迷惑になりさえしなければ、そっとしておくという配慮をしてくれた。
精神科の医者からのアドバイスらしかった。
家族が出かけて留守になった昼頃に起床して、母が作ってくれたブランチを摂り、風呂に入るのは午後2時過ぎだった。
湯上りでボーッとしながら朝刊を眺めていると、ポストに夕刊が配達された。
夕方になり、テレビのニュースが始まる。
特に、経済の報道については注視した。一見、遠くで起こっている経済問題が、自身の生活を直撃した経験上、その動向には敏感になっていた。
夜更けになると、自室でネット内を当ても無くさ迷った。
リアルから弾き飛ばされてからは、バーチャルなネットの中だけに、自分の存在を見出せた。
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