※   ※   ※

 広漠たる砂漠。

 日の光が弱々しく、空がかすんで見える。

 放牧されている牛が、悲鳴を上げてバタリと倒れた。

 牛の脚に、無数の不気味な昆虫がかぶり付いていた。

 牛がみるみる白骨化していく。

 太陽の周りに円い虹が現れ、風が吹き荒れていた。

 風が砂に隠れて見えなかった細長い岩を晒し出した。

 岩には〝龍楼〟と刻まれている。

 その向うに、揺らめいた陽炎のように古代の町並みが映った。

 町は周囲を高い頑強な城壁に守られていた。

 活気があり、砂漠の中にできたオアシス国家だった。

〝キーン〟

 彼方から空を切り裂くような、不快な金属音が聞こえてきた。

「爺。あれは何だ?」

 農作業の手を止めて、一人の若者が尋ねた。

「聞いた事の無い音だ。流れ星かの」

 老人は、腰を叩きながら答えた。

「ここのところ、急に肌寒くなってきた。いつもの年なら北からの風がくるのは、まだ先の事だ」

 若者は、不安をあらわにしながら言った。

「何か良くない事が起きる前触れではあるまいか…」

 老人も怪訝な顔をした。

 郊外でひとこぶラクダに荷を乗せて運ぶ商人の親子が、城壁外の砂の海に蜃気楼を見つけていた。

 砂上に浮かび上がった光景に、商人が恐怖におののいた。

 砂漠を、何千という騎馬の兵が駆けている。

 砂煙が高く立ち上って、天日を覆い隠し、旗が炎のように流れながらはためいていた。

「フンヌ(匈奴)が、来るぞっ!」

 商人の息子が、叫んだ。

「ホイツー(回族)が、やって来るぞ」

 親も思わず、つられて叫んだ。

 城壁の早鐘が激しく打ち鳴らされ、城外に放牧されている牛馬が連れ戻された。

 望楼に見張りの兵が駆け上がり、弓に弦が張られ矢が揃えられて、たちまち臨戦態勢が敷かれた。

 城中では占星術師が亀の甲羅を焼いて吉凶を占っていた。

「いつごろ、やって来るのだろうか…」

 龍楼王が、心配げに呟いた。

「明日かもしれない。明後日かもしれない」

 そう、占星術師は言った。

 巫女が祭壇で祈りを捧げた。

〝キーン〟

 血のように紅い夕焼け空を、音が渡っていった。

「また、あの音だ」

 その日の農作業を終えて、後片付けをしながら若者が話した。

「まるで、空を走って切り裂いているようにも聞こえる」

 老人は、言った。

「蛮族の仕業なのか?」

 若者が、聞いた。

「解らぬ。いずれにせよ、不吉な兆しの音だ」

 老人が、答えた。

 月が西に傾く頃だった。

 近隣の家から幼児の泣き声が聞こえ始めた。

 天の一角から、大きな光の玉が近付いてくる。

 それはみるみる高度を下げ、月よりも大きく砂漠を青白い海のように照らし出したた。

 雷鳴のように轟く物音に、天地は震え、人々は目を閉じ、耳を押さえて地に平伏した。

 城中の龍楼王は、恐怖に脅える兵達を叱咤し、様子を見に行くように命じた。

 砂海の果てに月が半分沈んだ頃には、月明りを頼りにした龍楼の兵が斥候に出ていた。

 深夜、兵達が異国の服装に身を包んだ一人の凛々しい青年を引き連れて戻って来た。

「お前の名は?」

 王は、訊ねた。

「ルキア」

 詰問する龍楼王の言葉に対して、青年は腕時計型の翻訳機を操作しながら答えた。

「一人で来たのか」

 王が、聞いた。

「そうだ」

 ルキアと名乗った青年は、答えた。

「王様。こやつはフンヌ(匈奴)の手先で偵察に来たのかも知れません」

 左大臣は、意見を言った。

「その内、大勢の仲間にここを襲わせるつもりなのでは」

 右大臣も、追随した。

「探し物を求めて、ここに辿り着いた」

 今度は、ルキアが言った。

「それは何か」

 間、髪を入れずに王が問い質した。

「説明しても、理解できないだろう」

 ルキアは、答えた。

「王に対して無礼な物言い」

 左大臣が、怒りの形相で言った。

「不敬罪だ」

 右大臣も、付和雷同した。

「ルキアと申したな。では改めて聞こう。お前はいずこから参ったのだ」

 王は、大臣達を制しながら言った。

「テラから来た」

 ルキアは、はっきりと答えた。

 王は、その国の所在を側近に質した。

 側近達の誰もが分からずに、首をひねった。

 その時、好奇心旺盛な若い王女が静かに近寄って来た。

「蘭…そちは下がっておれ」

 王が、愛娘をたしなめた。

「旅人よ。それは、どこにある国なのか。コンロン(崑崙)の先か、あるいはテンザン(天山)の果てか、それとも海の向うと伝えられる日出づる処の国か?」

 痺れを切らすかのように、王は訊ねた。

「テラは、あの星だ」

 ルキアは、窓に歩み寄って天の一角を指差した。

 満天の星々の中に、血のように赤く輝く一つの星が見えた。

「すると、お前はあの星から来たと言うのか」

 王の言葉に、ルキアが頷いた。

 側近達は、互いの顔を見回してざわついた。

「王様。あの星は不幸の星。この世に災いをもたらす星でございます」

 占星術師が、青ざめた顔で王に耳打ちした。

「今は赤く見えるが、遠い昔にはこの星のように青かったと伝わっている」

 ルキアは、続けて言った。

「昼間のフンヌ(匈奴)の蜃気楼といい、昨今の異常な天候といい、これら全てが赤い星のもたらすという不幸の言い伝えによるものなのか……」

 左大臣が、言った。

「砂漠の遥か北の果てで、馬を駆って生きるホイツー(回族)の通った跡は、草も生えないという噂……」

 右大臣も、付け足すように囁いた。

 他の側近達は、口々に風評を立てて不安を煽った。

「して、旅人よ。あの光り物は何であろう。まさか、あれでお前の言う星の世界からやっ

て来たなどと言うのではあるまいな」

 兵士達が、銀色に輝くカヌーのような物体を王の御前に運んで来た。

 それには、龍楼の人々が見た事もない図形のような文字が刻まれていた。

「これは城外のオアシス、ロプノール(楼蘭海)に流れ込むタリムホー(葱嶺河)に浮かんでいる我等の皮舟のような物ではないか。お前はやはり、舟の旅を続けて来たに違いあるまい」

 興奮しながら王が言った。

 ルキアは、黙っていた。

「言え! どこから来た? トルファン(吐魯番)か、チャドウタ(精絶域)か、それと

もジパング(黄金国)からか」

 王の剣幕に、側近達はおろおろした。

「王よ。そのどれからでもない。俺はテラから来た」

 首を振りながらルキアが答えた。

「舟で来たと申すがよい」

 王の納得を得なければ、この場は収まらないと思った蘭王女はルキアに助け舟を出した。

 人は自身の理解を超えた物事に対して、恐怖して抹殺しようとする習性があるからであった。

「ありがとう。だが、俺は本当にテラから来たのだ」

 雄々しく答えるルキアは、実直過ぎた。

「石室に繋いでおけ」

 王は、ルキアが嘘をついているとは思えず、実直な物言いに好感さえ覚えていた。

 しかし、訝る重臣達の手前もあって、困り果てた王はとりあえず牢送りを命じた。

 邑の真上に、太陽が昇っている。

 馬が激しくいなないた。

 遠方に、砂煙が上がり出している。

「カラブラン(黒嵐)とは、異なるようだ」

 邑人が、口にした。

 城壁の彼方に、夕陽が地平線に没しようとしていた。

 その地平線を覆い尽くすように、真っ黒な陰影がが近づいて来た。

〝ゴオォォォ〟

 鳴り渡るその音の正体は、無数の騎馬隊であった。

 急ぎ、城門が閉じられた。

 馬群の中から、二頭の白馬に牽引された無蓋の馬車が進み出た。

「龍楼王よ。この美しい城には、玉と絹で飾られたみめ麗しい王女がいると、西から来た隊商の長に伝え聞いた。我には、まだ妃がいない。是非戴こうではないか」

 大陸を我が物顔で荒らす回族である、剽悍な匈奴の族長が横柄な態度で言った。

 返答の変わりに、城壁の上から雨のように矢が降ってきた。

 親衛隊が、匈奴の族長を丸い盾で庇った。

 不敵に笑う族長が、部下に反撃を命じた。

 匈奴軍は投擲機を使って、岩塊を飛ばした。

 龍楼の城内にある民の家屋が、次々に潰されていく。

 接近して来る匈奴兵は、城から射られる無数の矢にバタバタと倒れた。

 激烈な戦いは、ほんの一時の休みもなく、三日三晩続けられた。

 一進一退の膠着状態の末、匈奴の騎馬軍団は黒煙を上げて退却して行った。

 龍楼城に、勝利の歓声が上がった。

 砂漠に、財宝で飾られた巨大な木馬がポツンと置かれていた。

「何でしょうか?」

 龍楼の物見兵が、聞いた。

「我等の鉄壁の防御に怖れをなして逃げたのだ。我が王に対する謝罪のつもりだろうて」

 隊長はそう言うと、木馬を運び込むように指図した。

 重い城門が開けられ、テコとコロを巧みに用いて、木馬が城内に搬入された。

 翌日に開かれる王主催の勝利を祝した儀式のため、戦利品として広場に安置された。

 深夜。

 広場の木馬から匈奴兵が、静かに出て来た。

 猫のような俊敏な動きで、物音を一つ立てずに背後から龍楼の衛兵の喉を掻っ切っていった。

 匈奴兵は、城門を内部から開けた。

 そして、松明をかざして城外に合図を送った。

 城に火がかけられ、たちまち炎上した。

「彼奴等らを、根絶やしにしろっ」

 夜討ちされた龍楼城の混乱に乗じて、匈奴の族長は全軍突撃命令を下した。

 無数の匈奴の軍勢が、雪崩を打ったように龍楼城に襲い掛かっていく。

 偃月刀を振るう匈奴の兵士達の姿は、舞いを舞うかのように炎に映った。

「姫を生け捕れっ! 後は煮るなり焼くなり、好きにしろ」

 匈奴の族長が、無慈悲な下知をした。

 龍楼の善良な民が、両手を縛られた上に両足のそれぞれに縄を括り付けられた。

 足縄は数十頭にまとめられた馬に繋がれていた。

 匈奴兵が、先頭の馬に鞭を打ってけしかけた。

 一気に走る馬力によって、龍楼の民が悲鳴を上げながら股先から裂けていく。

 油を撒かれた鉄板の上で、無残にも焼かている民もあった。

 龍楼の敗残兵達は、次々に投擲機で生きたまま城外に放り出された。

 女達は強姦後、その腹を裂かれた。

 城内は火の海となり、阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられていった。

 龍楼の多くの民や兵が無差別に惨殺された。

 王宮にも魔の手はのびていった。

 頑丈な門をめがけて、匈奴軍は丸太を束ねた荷車でぶつけてきた。

 門が破壊されて、匈奴軍が宮廷内に侵入してきた。

「そちは逃げろ」

 王の間では、龍楼王が蘭王女に言い含めていた。

「私は、行かないわ!」

 気丈に、王の側で王女が答えた。

「余は王としてこの国の最期を見届けねばならぬのだ。空から来たと言うあの者に、娘を託そう」

 王に目配せされた側近達によって、王女は連れ出された。

 後ろ手に扉を閉じて、王が鍵を掛けた。

「父上! 開けて下さい」

 王女は、閉じられた扉をひたすら叩いた。

「姫様。お早くお逃げ下さい」

 迫り来る追手に怯えた側近が、王女を促した。

 城の内と言わず外といわず、匈奴軍は惨たらしい殺戮の限りを尽くしていた。

 石室。薄暗い地下牢においても表の喧騒は聞こえていた。

 側近が牢守を促した。

 牢守は無言のまま頷き、幽閉されたルキアのいる牢の錠前を外した。

「王の命である。これなる蘭王女を城外へ」

 側近は、命じた。

 解放されたルキアは、階段にある小窓から外を覗いて見た。

 龍楼の兵が空から降って来て、地上に激突していた。

 悪逆非道な匈奴兵によって、屍を累々と積み重ねて落城する龍楼城の様子が分かった。

 突然、回廊の天井が崩れてきた。

「姫様!」

 側近は、王女を突き飛ばして助けた。

 一瞬にして、側近達が崩落した天井に押し潰されれていた。

「……」

 王女は、自分を助けて骸と化した側近達の状況に呆然とした。

「こっちだっ」

 ルキアがやって来て、王女の手を引いた。

 崩れ落ちる王の間と、燃え盛る龍楼城の町並みを露台から見ながら王女は、懐から短剣を出して自らの胸を貫こうとした。

「よせっ」

 ルキアは、王女の腕をつかんで止めた。

「蛮族の虜となって生き恥をさらすくらいなら、死なせて下さい。私のために龍楼が滅びるの。私は生きて、この地にはいられぬ身です……」

 思いつめたように、王女は語った。

「王はあなたを死なすために逃がしたのではないはずだ」

 ルキアが、王女の顔をじっと見つめて諭した。

 王女が、顔を上げてルキアの瞳を見つめ返した。

 二人の視線が熱く絡み合った。

 短剣が王女のたおやかな手から滑り落ちた。

「お願い。私を連れ去って」

 懇願するように、王女が言った。

「連れて行くのはたやすいが、絹と玉と花束に飾られたあなたが、他へ行って暮らす事ができるのかい」

 ルキアは、微笑みながら聞いた。

「できるわ。私は粘土で壺を作る事ができます。機を織る事もできるのです。ですから連れてって!」

 そう真剣に訴える王女の手を引いて、ルキアが走った。

 星も見えないほどに、炎の勢いが夜空に赤々と焦がしていた。

 二人は、ルキアが乗って来た小型宇宙艇のある格納庫にたどり着いた。

「どこへ、逃げるの?」

 不安気に、王女が聞いてきた。

「俺の故郷の星へ、連れて行こう」

 識別盤に手を当てて、キャノピー(天蓋)を開けながらルキアが答えた。

 操縦席で機械をチェックしている最中だった。

 無数の矢が飛来する映像が機内モニターに映った。

「蘭っ」

 機体から飛び降りて、ルキアは王女をかばった。

「うっ…」

 呻き声を上げるルキアの背中には、数本の矢が刺さっていた。

「ルキア!」

 王女が、叫んだ。

「急いで乗るんだ!」

 ルキアは、後部座席に王女を乗せてキャノピーを閉じた。

 匈奴兵が矢を放った。

 バラバラと機体に跳ね返されて、矢群が落ちた。

 四方を囲むように、匈奴兵の群れが近づいて来た。

 ルキアは、機内にある人工冬眠装置に王女を寝かせてその手をスキャンした。

 王女のDNAの二重螺旋構造が表示された。

 ルキアが、手早く彼女のDNAを記憶させる。

「次に起きた時は、俺の故郷だ」

 カウンターを、“∞”(無限)にセットするルキアの身体からは、大量の血が流れ出していた。

「約束よ。目覚めたら、そばにあなたがいると……」

 目に涙をためながら王女が言った。

 装置の扉が閉まり出した。

「ああ、必ずだ」

 ルキアは、操縦席に戻ってオートパイロットに設定した。

 後ろを振り返り、催眠ガスで眠らされた王女の寝顔を確認した。

 遥か四千光年の旅の果て、ルキアは遠のく意識の中で探していたもの見つかったと思った。

 槍や剣を持った匈奴軍が到達する瞬間に、小型宇宙艇が光を放って消え失せた。

 数千年の時を飛び超えて溶けていく機体から、カプセルが放出された。

 柩にも似たカプセルの中には、眠っている蘭王女の姿があった。

   ※   ※   ※

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