時の方舟

不来方久遠

 地球は青かった。

 かつて、人類史上初めて外から丸ごと地球を見た宇宙飛行士が発した言葉である。

 その地球と月の引力の中心点、ラグランジュ・ポイント(静止軌道空間)に、一機のスパイ衛星が浮かんでいた。

 衛星のセンサーが、地上から上る異常な熱源を感知したのだ。

 レンズがペルシャ湾東部をズームアップしていく。

【沙河中ニ多クノ悪鬼、熱風アリ。遇エバ即チ皆死シテ、一トシテ全キ者無シ。上ニ飛鳥ナク、下ニ走獣無シ……唯死人ノ骨ヲ以テ、標識と為スノミ】

 かつて、経典を求めてここを通った高僧が伝えたとされる人跡未踏の地であった。

 枯渇して砂漠化した湖跡にできた風紋が映し出された。

 黄昏に、廃墟の城邑が陽炎のように揺らめいた。

 すり鉢状に崩れ落ちた中東の砂漠は、巨大なクレーターになっていった。

 地下核実験が、行なわれたのだった。

 NPT(核拡散防止条約)に加盟していないイスラム圏のその国は、IAEA(国際原子力機関)による査察を頑強に拒否していた。

 爆風に晒された砂丘には、小さな墳墓が見えた。

 その墓が自動的に開き、カヌー型の柩が現れた。

 数千年の歳月を経て、すでに風化している柩の表面は砂漠の乾いた風に一瞬にして塵となって飛散した。

 小さな窓らしきものから、まるで今眠りについたばかりのような、うら若い女性の顔が見えていた。

 研究所の周りは外部と遮断され、ゲートには厳重に武装した中東の兵士達が警備していた。

 そこは、核開発施設と噂されている秘密の研究所だった。

 地下数百メートル深く潜った研究室では、所員達が運び込まれた棺を調査していた。

「所長。放射性元素の半減期の測定値によると、四千年以上前のモノだと判明しました」

 二十代とおぼしき青年研究員が、検査数値のデータを見ながら説明した。

「まさに、オーパーツ(超古代文明)だな。核爆発に耐えた柩は、超科学技術的な価値がある。この未知の技術を解明すれば、核を持つ以上に他国からの侵略に対する抑止力になる」

 白髪の混じった老齢の所長が答えた。

 発掘される柩の主はミイラ化されて姿形を保持されている場合があるが、信じられない事に今回の遺物は完全な姿の仮死状態で保存されていた。

 無菌室の手術台には様々なパッチやチューブを全身に貼り付けられた、まだ幼さが残る十代位の若い女が蘇生手術を受けていた。

「彼女は、数千年の時を経て蘇った超人類だ。クローン再生を応用すれば、不老不死の医療技術と共に、バイオ・ヒューマン(人造人間)を創造する事も夢ではない。例えば、感情をコントロールされた戦うだけの人間の軍隊を作る事も可能になるかもしれない」

 外側からしか見えないマジックガラスで仕切れられた無菌室内で、昏睡状態のまま寝ている若い女を観察しながら所長は冷徹に言った。

 手術から三日が経ち身体的には蘇ったが、さすがに脳は機能していなかった。

 青年研究員が、定時の心電図をチェックしていた時であった。

「っ!」

 思わず、驚きの表情をした。

 オシロスコープの波形が波打っていたのだ。

 若い女は、数千年ぶりに夢から覚めたように目覚めた。

 むっくりと起き上がると、自分が全裸なのに気付いて床マットを引き剥がして身体に巻き付けた。

 隔絶された室内を見渡した後、警戒しながら部屋の端にうずくまった。

 女の透き通るような瞳に、青年研究員は吸い込まれるように魅かれた。

 青年研究員は、マニュピレーターを遠隔操作しながら白い手術着を差し出した。

 獣のように素早い動きで、女が着衣を取って身にまとった。

 次に、食事のスープを載せたトレイが差し出された。

 毒でも盛られるていると警戒しているのか、全く手をつけようとしない。

「俺が、行って見ます」

 青年研究員が、勇んで言った。

「いかん。未知の細菌に拡大感染するバイオハザードに発展するリスクがある」

 年配のベテラン研究員の制止を振り切って、青年研究員は防護スーツを着用して無菌室のエアロックを開いた。

「おい、危険だぞ!

 ベテラン研究員が、叫んだ。

 無菌室に入った青年は、女にゆっくりと距離を置くようにして座った。

 知能検査を計る目的で準備しておいた、ブロックの簡単なジグソーパズルをバラしてから組立てて見せた。

 焦点の定まらない表情で、女は無関心を装っていた。

 次に積み木を試してみたが、全く興味を示そうとはしなかった。

 女の腹がキューッと鳴った。

「腹が、減ってんだね」

 微笑みながら警戒心を解くため、青年が防護ヘルメットをおもむろに脱いだ。

「な、何て事を」

 マジックガラス越しに、ベテラン研究員が慌てふためいていた。

 青年は、安全である事を証明するためにまず自身がスープを美味しそうに飲んでから勧めた。

 それを見て女は恐る恐る舐めた後、青年の顔をじっと見つめた。

「っ」

 と、女が何かを思い出したような表情をした。

「ルキア!」

 初めて、女は言葉を発した。

「えっ?」

 青年は、驚いた。

「忘れたの。あたしよ。蘭よ」

 不思議な抑揚の古代語で、女が名乗った。

 青年は、戸惑った。

「約束通り、迎えに来てくれたのね。変わった所だけど、ここはあなたの国なの?」

 思い出したのか、蘭は堰を切ったかのように一気に喋った。

「……」

 言葉の意味も分からない青年は蘭が記憶障害を起こしていると思った。

「父は? 龍楼はどうなったの!」

 四千年前の光景を、昨日の事にように想い出して蘭が言った。

「ロンロウ?」

 ルキアと名指しされた青年は、どこかで聞いたような何か懐かしい響きの名だと感じた。


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