僕と本山さん

@aratashin

第1話

ある日、河川敷でぼーっとしていたら、変なお姉さんに声をかけられた。

「へい、君! なんだか疲れてるね」

ハァ? という顔で彼女を見る僕に、お構いなしに言葉を続ける。

「新入社員?」

「まあ、そうです」

「じゃあ今半年くらいか。どう、仕事慣れた?」

「まあ……分かんないことはあるけど、それなりには」

いきなり何なんだろう、この人。

「どんな仕事してるの?」

「工作機械売る営業です。あんまり喋れないけど」

「見た感じ、明るくハキハキが似合うタイプではないね」

あはは、と笑う彼女に、どうして見ず知らずの人にそんなことを言われなきゃいけないのかと、僕は声を荒げた。

「うるさいな。いきなり何なんですか」

「いや? 何となく気になったから声掛けただけ。私の事見えてるみたいだったし」

「……は?」

見えてる? 何言ってるんだ。

怪訝な顔をした僕に、彼女はにっこり笑って、ちょいちょい、と自分の下半身を指差した。

「足が、ない……」

彼女の足は、膝下から先がすうっと透けていた。思わず、絶句する。

「いやー、私昔うっかり線路に落ちて死んだんだよね。なんとなく成仏できなくて、この辺よくふらふらしてるの」

「うっかりって……」

「ふふ、てなわけで幽霊だけど、どう? 怖い?」

「いや、なんか道連れにされそうになっても勝てそうだし」

「失礼ね! まあ道連れとかしないから安心してよ」

「君もよくここで黄昏てるし、暇なんでしょ? 明日からもここにきて私の相手して」

「なんて勝手な……」

「いいじゃん! 何か約束があるとずるずる会社で仕事せずに済むでしょ」

それから、僕と彼女のお喋りが始まった。


**


「お客さんからいろいろ意見もらうからエンジニアに伝えるけど、反映されないんですよ」

「雑用関係、いつのまにか全部僕がやってて。同期は調子良いからアピールだけは上手い。けどうちの会社はそっちの方が評価される」

「仲良いですって雰囲気だけどちらちら出世競争のための蹴落としが見える」


その幽霊のお姉さんは、本山さんといった。

本山さんは僕の愚痴をうんうんと聞いてくれて、なんとなく会社でもやもやしていたことを言語にすることで、だいぶ僕は救われていた。


「社内で学歴の派閥があるしら喫煙所では噂話ばかり。なんかやらかしたら他の部署まで話しがすぐに回る」

「えー! 小さい世界だね」

「そこそこ大手だし福利厚生もしっかりしてるから入社したし、別に労働環境は悪くないんですけどね。なんかたまに全部投げ出したくなります」

「私はそういう時全員脳内で殴り殺してた」

「物騒すぎる。でも僕も明日から使う」



「本山は生前何してたんですか?」

「丸の内OL!」

「絶対嘘でしょ、ここどこだと思ってるんですか」



「好きな言葉は?」

「定時退社」

「嫌いな言葉は?」

「サービス残業」



「十分くらいだし、とか思って居残りし出すと延々と残るから、まじでやめておきな」



「多分、君が全部雑用してるの、見てくれてる人がいるよ」


**


心なしか、本山さんと出会ってから会社でのストレスが軽減している気がする。いや、確実に軽減している。

大抵のことはどうでも良くなってきたし、世界がここだけじゃないというのが分かると、社内での評判を気にする自分が馬鹿らしい。

行きたくもない飲み会、休日に行われる社内行事、それらを断ることが出来るようになったし、断った後の相手の反応が悪かろうが何も思わなくなった。

「僕、本山さんに会えて良かったです」

突然僕がそんなことを言うと、本山さんは戸惑ったようにこちらを見た。

「ええ? 何、急に?」

「なんていうか、大抵のことはちっぽけでどうでもいいなって気付けて、楽になったから」

「お、一年目でそこまで辿り着いた? 君は本当に優秀だね」

彼女はそう言って、嬉しそうに笑っていた。


「最近すぐ帰るけど、何かあったの?」

定時より少し前。ある程度今日の仕事の終わりが見えてきたため、使わない資料を片付けていると、主任に声をかけられた。

もう定時で帰るようになって一ヶ月は経つ。目を付けられてもおかしくない。

「……」

「あ、ごめん。責めてるんじゃないんだ。早く帰るのは、俺は良いことだと思うし」

僕が答えを見つけられずにいると、主任がはっとして、違うんだよ、と言う。

「そうなんですか? 営業って、遅くまで残ってなんぼみたいな雰囲気があるから、てっきり……」

「まあ、うちは規則はそこそこ時代に合わせたスタイルになってるけど、人が昭和気質だからね。会社は推奨してても、有給たくさんとったり残業しなかったりするのを悪くいう人もいるのも事実」

僕も思っていた、社内規則は整備されているのに、それに人が馴染めていないと。

「主任はそうじゃないんですか?」

僕がそう尋ねると「昔はどちらかといえば有給とったり残業しないのは悪だと思っていたよ」と主任は答えた。それから、でもね、と続けた。

「もう五年くらい前かな。ちょうど入社して5年経った頃だった。同期の女の子が、死んだんだ」

「……え」

そんな話は、初めて聞いた。

「その子は事務の子だったんだけど、事務ってこう、やって当たり前みたいな雰囲気あるだろ? そんな中、ずる賢くて華やかな女の子たちは、上手に仕事をその子に押しつけてて、それでもその子は文句言わずに仕事を済ませてたみたい」

なんとなく、今の自分と、口が上手い同期との状況に重なる。

主任はぽつりぽつりと、当時のことを話してくれた。

「たぶん、ある日何かがプツンと切れたんだろうね。線路に飛び込んで、亡くなった。後から人事がPC調べたら、その子は四人分の仕事を常にまわしてたことが分かったらしい。残りの三人の子はほとんど何もしてなかった。さすがにクビになったよ」

毎日毎日、楽をする人間のために膨大な仕事を一人で片付けていたその人は一体どんな気持ちだったんだろう。

「お前もよくゴミ捨てとかシュッレッダーとか備品の補充とか、一人で何も言わずにやってくれてるの見て、その子のこと思い出してた。こんな感じだったのかなって」

主任は僕がやっていたことを、知っていたのか。そういえば、最近は僕が物品の補充するより前にもうされていることがたまにあった。

「だけど、最近お前のどんよりしてた感じがなくなって、楽しそうに帰っていくから何か変化があったのかなって気になったんだ」

急に聞いて悪かったな、と主任は微笑む。

そして、僕は主任の話を聞いてるうちに、ふと、思い当たる節があった。

本山さんはおそらく二十代後半。

主任は今、三十三歳。主任の同期が亡くなったのは五年前。それも、線路に飛び込んで。

「……あの、主任、その人の名前って」

ドクン、ドクン、と心臓が嫌に鼓動する。僕は主任に尋ねた。

「名前? 名前は──」


**


「本山さん」

「あ、お疲れ! 今日は少し遅かったね」

いつもどおり河川敷へ行くと、本山さんはすぐ僕に気付いて声をかけてくる。

「定時前に電話がきたので」

「そっかそっか」

「……今日、主任と話しました」

「?」

突然そんなことを言う僕に、本山さんはキョトンとして僕を見た。

「本山さんも知ってる人ですよ。あなたの同期の、須田さんです。うっかり線路に落ちたなんて、嘘だったんですね」

主任の名前を告げると、本山さんは驚いたように目を見開いて、それから過去を懐かしむかのように目を細めて微笑んだ。

「……そっかあ、須田くんももう主任かあ」

そう言ってから、強張った表情のままの僕に気付く。

「ちょっと、そんな顔で見ないでよ。……うっかり落ちたのはほんと。飛び込んではない。でも、よろけたとき体勢を立て直そうと思えば、多分、できた。それは、しなかった」

「僕があなたと似てたから、声をかけたんですが?」

僕が尋ねると、彼女は口をきゅ、と結ぶ。

「うーん、そうなのかも。この子、死にそうになったら特に足掻かないだろうなっていうふうには、思った」

確かに、そうだっかもしれない、と僕は思った。彼女は、明るく続ける。

「私ね、死んでからやっと全部どうでもよくなったの。仕事全部引き受けないと悪口言われるとか、物がないと私のせいにされるとか。まあ、そもそも死んだら仕事とか関係なくなるからなんだけど。……けど、それって生きてても出来たよなって、しばらく経ってから気付いた。だって、私に仕事押し付けてた人たちもそれを見て見ぬ振りしてた人たちも、私個人を必要としてたわけじゃなくて、対象は誰でもよくてどうでも良かったんだもの。だったら、そんな人たち、私もどうでも良かったなって。ぜーんぶ、馬鹿らしくなっちゃった。それに、死んでからだけどちゃんと調べてくれた人がいて、そいつらクビになったみたいだし。須田くんみたいに、今も私の事覚えてくれてる人もいる。もう少し、待ってみても良かったかもって思った」

自分が死んだ後、人事が調べて、自分に仕事を押し付けていた人たちがクビになる様を、彼女は見ていたのだ。

「だから、君にそれを教えたくなった。最終的には君の選択だから、こうしろとかはなかったけど、私はこうだったよって伝えたくなったの。ただの自己満足だよ。……ちょっと、なんで泣くの」

彼女に言われて、初めて僕は自分が泣いていることに気付いた。自分が、誰かを思って涙を流すことがあるなんて思ってもみなかった。

「僕、たくさん助けてもらったのに、本山さんに何もしてあげられてない。どうしてこんなに普通に話をしてるのに、本山さんはもう生きてはいないんだろう」

目の前にいるのに、もし彼女が涙を流しても僕は拭うこともできないし、彼女を労って抱きしめることもできない。

はらはらと涙を零す僕に、彼女は包み込むように身体を寄せた。

「何もしてあげられてないってことは、ないと思うよ。君のおかげで、私のこの五年間の放浪も終われそうだし」

「……え?」

放浪が終わるとは、どういうことなんだろうか。間抜けな声を出した僕に、彼女はゆっくり説明をしてくれた。

「私、人と壁作って接してきたから、死んだ時、誰も本気で泣いてくれなかったんだ。なんとなくそんな人生が心残りで成仏出来てなかったんだけど……。今君が、本気で私のために泣いてくれた」

とびきりの笑顔でいる彼女とは対称に、成仏という言葉に僕は狼狽える。

「成仏って、消えちゃうんですか? そんなの」

成仏してしまったら、もう、話すらできない。

「私はもともとここにいるべきではないから。それに、君はもう大丈夫だよ」

これから先、もしかしたら生まれ変わって別の人生を送れるかもしれない。

僕を見て、またどこかでちゃんと、生きられる気がしたのだと本山さんは言った。

「ありがとう、私のために泣いてくれて。……またいつか、違う形で出会えたら良いね」

そんな言葉を残して、彼女は僕の前に現れたときのように突然姿を消していった。

僕はしばらく彼女が居たはずのそこを茫然と眺めていた。

「……ありがとうは、こっちのセリフですよ」


**


ある日、河川敷でぼーっとしていたら変なお姉さんに声をかけられた。その人は、臆病で繊細なくせに思い切りが良くて、優しい人だった。


その人が僕に遺した教えは、常に僕の中で生き続けるだろう。

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