第27話 勝利

 アオイの槍は皇帝の喉元で停止していた。あと少し槍を突き出せば皇帝の命を奪える。だが、アオイはそれをしない。


 いや、違う。それができなかった。何故ならば、皇帝の槍の方が早くアオイの首筋に突き付けられていたからだ。傍目に見れば相打ち。それを避けてお互いに攻撃を止めた。そう思える状況であったが、それが誤っていることをアオイ自身が一番理解していた。


 皇帝の槍は、アオイの頸動脈を斬る致命的な一撃を与えられるはずだった。先に生命の糸を切り離され、アオイの攻撃は届かなかったに違いなかった。もし、本気で殺意があったのならば、地面に倒れこんでいたのはアオイだったことは間違いない。


「陛下……」


 アオイが皇帝のことを睨みながら小さく呟くように言うと、皇帝はニヤリと笑みを浮かべた。まるで、チャンバラごっこをする幼児のように楽しそうで、大人をからかって喜んでいる子供のようにいたずらっぽく、そして道化師のように心の奥を見せずに、皇帝は持っていた槍を手放した。


 ゆっくりと地面に落ちる断ち切られて二つとなった槍は、乾いた音を立てる。皇帝は抵抗しないと言わんばかりに両手を上にあげると大きな声で宣言をする。


「私の負けだ」

「なっ!?」


 アオイは反射的に声を出しつつ、皇帝のことを見やる。

 次の瞬間、大歓声が周囲に轟く。セイザス帝国の兵士たちとポニア王国の兵士たちの喜びと驚きと悲しみがまじりあった声が、街を振動させるかのように響き渡る。


 あまりの喧騒の大きさにアオイは、兵士たちの暴発が起こらないかと警戒するが、お互いに武器を振り回そうということはなく、十分に統制が取れている。しばらくして、周囲の騒ぎが収まってきたところで、皇帝が両手を広げる。


「我が兵たちよ。我が名に従い降伏せよ。勝手に一騎打ちをしそれで負けた上、唐突な命令になり兵たちには迷惑をかける。反発がある者がいるのも理解する。私に何か言いたいことがある人もいるのもわかる。それでも、ここは私を信じて武器を収めよ」


 皇帝の宣言に対し、兵たちは動かない。納得ができないのだ。皇帝が負けたということも、自分たちが負けたことにされることも。それでも、抵抗はしない。皇帝の命令に反旗を翻して攻撃を仕掛けてくることもない。


「帝国の兵士諸君! 私は帝国皇妃アオイである。それと同時にこの街をポニア王国から預かる立場でもある。聞け! 兵士諸君。確かに、ポニア王国の立場からは諸君は敵である。だが、同時に私は諸君らの味方でもある。これ以上の戦いはお互いに犠牲を増やすだけで、国家としての意味はない。だから、陛下の命に従え」

「我が兵たちよ。我が妃の言葉の通りだ。戦闘態勢を解除し、街の外で待機せよ」


 アオイと皇帝の言葉に兵士たちは緊張感を解く。そして、皇帝に指示を与えられた部隊長らの命令に従い街の外へと退却していく。


 ポニア王国の兵士らは、帝国軍が街から出ていくまでは警戒を続けていたが、最後の兵士が街から出ても門を閉じると、ようやく少しだけ緊張感を解く。


「見張り以外は順番に休憩をとるようにしてください」


 アオイがリュウに命令を伝えると、リュウはわかったとばかりに頷き、各部隊長を集めて指示を出す。帝国軍は街から撤退はしたが、武装解除をしたわけではない。再度、攻め込んでくる可能性までは排除しない。


「陛下、よろしいですか?」


 アオイは皇帝を邸宅の一室に案内する。皇帝に従って着いてきた近衛兵たちを武装解除させ、部屋の外に待機させる。勿論、アオイも皇帝も武器を預けている。部屋の中にはアオイと皇帝の二人のみ。


「どうして降伏されたのですか?」

「負けたからじゃないか」

「陛下は、本当に負けたとお考えで?」


 部屋の奥の窓際に置かれた椅子に皇帝は座る。窓の外を眺めながら、アオイの問いにすぐには答えない。お互いに沈黙の時間の後、皇帝は思い出したかのように言う。


「喉が渇かないか?」

「気が利かず申し訳ございません。すぐにでも用意させます」


 アオイは部屋の扉を開き、外にいたアリサに紅茶とお菓子を用意するように命じる。


「そなたが立っていると、私だけ座っているのが高慢に感じられるぞ」


 扉を閉じたアオイに向かって、皇帝は軽口を叩く。怒っているのではなく、どちらかと言えば、からかっている口調だ。


「それでは失礼させていただきます」


 アオイは皇帝の向かいの椅子に座り、皇帝と同じように窓の外に視線を向ける。


「戻っては来ないのか?」

「帝国にですか?」

「そうだ。将軍オキが死んだのであれば、戻らない理由は無くなるのであろう?」

「いいえ、私はこの街を預かる身であり、陛下より婚姻破棄をされた身、帝国には戻れませんし、戻ったとて誰が歓迎しましょう」


 アオイが淡々と述べると、皇帝は視線をアオイに向けてくる。


「では、アオイが昔、私に言った魔族と人族が手を取り合い憎しみあう必要のない国を作りたいという言葉は本心ではなかったということか?」


 皇帝が言うとアオイは皇帝の方を見る。


「それとも、その気持ちより、私に頭を下げたくないというプライドの方が大事と言うことか?」

「お待ちください陛下。陛下は勘違いされております。セイザス帝国は我がポニア王国に敗北し、陛下は捕らわれている状態。どうして陛下に許しを請う必要がありましょうか」

「許しを請う必要はないさ。ただ、我が妃に戻らねばならぬということ」

「今回の戦の勢いのまま、帝国に侵攻する選択肢があるとは考えられませんか?」


 アオイが挑発的に言うと、皇帝はニヤリと笑みを浮かべる。


「分かっているはずだ。この街にいる戦力で帝国を滅ぼすことなど不可能であることくらい。もし、ここにいる兵士たちを全滅させることができたとして帝国にはまだ十分な兵力が残されている。このままではあと百年は争いが続くことになる。アオイが帝国に来たのはそのようなことを望んでいたからではあるまい」

「確かにその通りではありますね。陛下の首を帝国に持って行くならば、反発されてより帝国内の団結力を高めるだけのことになるでしょう。そうすれば、ポニア王国だけが、帝国の恨みを買うことになるでしょうね。確かに、そのような愚策を選ぶわけにはいきませんが、帝国に攻め入る以外に良い案が無ければ陛下にこのままポニア王国にご滞在いただくという選択肢があるかもしれません」

「作戦は決まっている。このまま帝国の兵士と王国の兵士をまとめて、帝国に戻れば良い。オキがいなくなった今、主だった敵対勢力は宰相しかいない。完全に、権力を集中させれば、アオイの望む世界も作れよう」

「なるほど。陛下も考えられていたわけですね。皇太后様のお部屋で」

「おかげで、十分に時間が稼げたよ。計画を立てたり情報を収集するためのな」


 皇帝の返答に対して、アオイは理解したと言わんばかりに頷く。だが、それ以上は何も言わない。皇帝のことを値踏みするかのようにジイっと見つめる。


「そうか、気づかなかったな」


 皇帝はそう言うと、ゆっくりと立ち上がる。そして、アオイに向かって手を差し伸べる。


「一緒に来てくれないかアオイ。私とそなたと理想の国家を作るために」


 それまでの会話にあったようなからかったり冗談を言ったりする雰囲気は全くない。ただただ、本心を伝えたと言わんばかりの真剣な表情の皇帝がそこに立っていた。



 



 



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