第26話 対峙

 アオイが兵を率いて帝国軍の背後に迫った時、周囲は異様な雰囲気に包み込まれていた。邸宅を防御するリュウの部隊と帝国の兵士は、弓矢が届く距離にいるにもかかわらず、お互いに沈黙を保っている。にらみ合うだけで少しも戦況が変化していない。


「止まれ!」


 アオイは攻撃を仕掛けずに、距離を取って陣取らせる。相手が撃って来たならば撃つ姿勢を見せて、帝国の出方を伺う。どうしてこのような膠着状態が発生しているのだとアリサが問うような視線を向けてくる。


 当然、アオイだって答えることはできない。リュウに訊けばもう少し細かい状況は確認できるだろうが、帝国軍の真ん中を突っ切って訊きに行くわけにもいかない。


 いつまでも対峙しているだけでいられるわけではない。きっと、リュウは自分から戦端を開くのを躊躇しているだけだから、始めるならば自分しかない。アオイはそう決意を固めたが、皇帝相手にオキと同様の手法が通じるかは自信がない。それに、もし、勝てるとの確信があったとしても……。


「アオイ様、危険です」


 アリサの言葉を無視して、アオイは隊列の先頭に立つ。既に、アオイ達のことに気づいている帝国の兵士が弓矢を向けている中、隊列より更に前に出ると、凛とした声で言葉を放つ。


「皇帝陛下に奏上願いたい」

「許そう」


 アオイの声に反応したのは、皇帝シンその人であった。帝国軍の兵士たちがざわめく中、馬に乗った一人の男がアオイに向かって近づいてくる。ポニア王国軍の兵士が矢を放てば当たるかもしれない距離まで前に出ているのに、皇帝は顔色一つ変えない。


 それどころか、周囲の声を気にせず、兵士たちの隊列より前に出る。

 アオイと皇帝はそれぞれ、表情を観察できるほどの近さでお互いが見つめあう。


「久しぶりだな我が妃よ」

「陛下もご健勝そうで何より」

「それで、何を私に聞かせようというのか」


 皇帝は言いながらニヤリと笑う。主導権は自分にあるとでも言いたげな様子に、アオイは微笑み返しながら答える。


「降伏していただけないでしょうか?」

「理由がないな。我が軍のほとんどはまだ健在で気力も十分だ。戦意を喪失しているものなどおらん。それなのに、我が妃は私に負けを認めよ。と言うのか」

「はい。陛下に私の血がかかることは望ましくありませんので」


 アオイが言うと、皇帝は、『ほぅ?』 と言いながら目つきを鋭くする。先ほどのアオイの言葉は、言外に、皇帝を斬ると言っている。と言うのも、何事もなくアオイの血が皇帝にかかることなどない。つまり、斬りあって血しぶきがかかると言っているのだ。無論、勝算がないのに斬りあう。なんて言う意味はないし威圧にもならない。よって、皇帝から見れば、斬りあえばあなたは負けると言われているようなもの。皇帝は戦士ではないが、アオイに一騎打ちで負かしますよ。と言われて笑って引くことなどできない。


「勝てると思うのか?」

「勝てないと思われますか? オキ将軍のように」

「将軍はどうされた?」

「沈黙なされました」

「そうか」


 皇帝はそう呟くように言うと、槍を構えて前に出る。背後から、皇帝のことを制止させようとする声が上がるが、聞く耳を持たない。やる気満々とばかりに、槍を一回転させるとアオイに向かって突きつけてくる。


「陛下、戦場ゆえ、礼儀に不適切さがあればご容赦を」

「許そう」


 アオイも同じく槍を構える。振り回したりなどはしない。だらりとおろした右手で掴んでいるだけだ。


「先に攻める権利を与えよう」

「感謝いたします」


 アオイは馬に命じて皇帝に向かって突進させる。体当たりするかのような勢いに加え、下から振り上げるようにして腕を伸ばす。きっと、皇帝からは、単なる地面へと延びる線が点になったように見えたはずだ。


 距離感覚を狂わさせる一撃に、猛獣でさえ反応できずに打ちのめされてしまう。そんな強烈な一撃であったが、皇帝は咄嗟に槍を突き出してくる。


 アオイの槍は、皇帝の槍先で突きの角度を変えられて、そのまま皇帝の右肩を掠めながら通り抜けていく。そして、馬上のアオイもそのまま皇帝の横を無防備な姿勢のまますり抜けていく。


 もし、皇帝が振り返りざまに一撃を加えてくれば、アオイは致命傷を与えられていた可能性もある。捨て身の攻撃を仕掛けたのだから、その後の防御までは考えられていない。


 皇帝はその隙を逃すまい。と攻撃を加えることはできなかった。崩れた姿勢を整えなおし、馬の向きを変えるだけで精一杯。背後を取ろうにも、アオイも皇帝に対して馬首を向けている。


「流石、陛下。今のを躱されますとは」

「それほどの攻撃でもなかったがな」

「いただいた馬であれば今ので終わっていたはずですのに」

「言い訳や遠慮せずとも本気で来るがよい」

「仰せのままに」


 今度はアオイはゆっくりと馬を近づけ、槍を頭上から振り下ろす。まともに受けたならば、大怪我間違いない威力の攻撃だが、皇帝は角度をつけて受け流してくる。そのまま地面まで振り下ろさずに薙ぎ払うような水平攻撃をアオイは仕掛ける。


 遅くはないが、見切れないほどではない素早い一撃にたいして皇帝は馬を一歩前に出す。そしてアオイの柄の部分を自分の柄で受け止める。


 お互いに手の届く範囲に入ったことを察して、アオイは槍を引き突きを繰り出そうとした瞬間、皇帝の拳が飛んできた。


 距離がある。そう判断したアオイが体を背けて躱そうとしたとき、皇帝は狙いすましたかのように左肩に体重を乗せてアオイにぶつかってくる。動きは見えていたものの馬上では体勢を堪えるのにも限度がある。ましてや、皇帝の方が体重は重い。質量の差により落馬を免れない。そう判断したアオイは落ちる瞬間、馬の尻の方向に飛びながら皇帝の腕に両足を絡みつかせ、重力の力を利用して皇帝を馬から引きずり下ろす。


 地面に着地する瞬間、槍を前方に投げ捨てて両手を地面につけて体を前転させて衝撃を逃がす。転がる勢いを利用して立ち上がりつつ、倒れかけている槍を掴んで体を半回転させながら構える。


「やるな」


 皇帝が褒めるような言葉をかけると同時に、兵士たちの歓声が周囲から飛び込んでくる。


「騒々しいことですね」

「それだけ、期待しているということだろう」


 アオイは皇帝の言葉に合わせて一歩前に強く踏み込み同時に突きを放つ。一撃、二撃、そして三撃。強烈な伸びるような突きではあるが、皇帝は背後に飛んで間合いを外してやり過ごしてくる。


 それだけではない。アオイの勢いが止まった。と見るや否や、お返しとばかりに突きを放ってくる。速度はそれほどではないが、一撃一撃の狙いが正確で重い。穂先を柄の部分で受け止めるが、そのまま柄が断ち切られそうな勢いにアオイは内心ヒヤリとしながら下がって距離を取る。


 アオイは、再び槍を引いて構えると、先程と同じように突きを放つように見せて、槍を横に薙ぐ。ニヤリと笑みを浮かべながら躱す皇帝に対して、アオイは思いっきり踏み込みながら円を描くように横から頭上に槍を上げて叩き落す。


 まるで刀や薙刀のような技に、皇帝はそれまでの余裕を消して柄の部分で受けきろうとする。だが、勢いをつけて振り下ろされた刃先の力で皇帝の槍を真っ二つに断ち切ることに成功する。


 誰しもがアオイの勝利を感じたその時、皇帝が今までの表情を一変させる。アオイのことを強く眼差しで睨みつけてくる。マズい。そう判断して、アオイが下がろうとするより速く皇帝が動く。


 短くなった槍の不利など感じさせない勢いでアオイの左側に回り込むと、アオイが皇帝の動きを止めるより速く、穂先をアオイの首筋に伸ばしてきた。






 


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